九十四 志七郎、魔法を学び始める事
江戸へと戻り一週間がたった。
この世界の暦は一週間が七日、一月はだいたい三十日、一年は三百六十五日と概ね前世と変わりない。
前世の世界の江戸時代は、月の満ち欠けを基準とした暦を使っていた、と何かで読んだ記憶があるが、鎖国政策が敷かれず神々という世界運営者が実際に存在するこの世界では、神々が定めた暦を使っているらしい。
まぁ、暦の話は兎も角、この一週間俺はほぼ安静と言うか身体を鈍らせない程度に散歩や鍛錬をしていた物の、鬼切りへと行くのは禁止されていた、かと言って精霊魔法に付いての座学を、お花さんから受けると言う事も出来なかった。
到着初日は屋敷を上げて歓迎の宴が開かれ、その後も世界に名を轟かせる高名な魔法使いと言う事で、幕府や近隣諸藩への顔見せに忙しく走り回っていたからだ。
一郎翁の母親で有るならば、猪山藩の国元にずっと居たのだと思っていたのだが、そういう訳でもないらしく、彼女が火元国にやって来たのは実に七十年振りの事なのだそうだ。
鎖国こそされていないものの、世界の端も端、極東と言う言葉通り、この国の東にはもう世界の果てしか無い、そんな場所へとわざわざやって来る物好きな外国人は殆ど居らず、皆が皆外の情報に飢えているのである。
世界をまたに掛ける大魔法使いで有るお花さんは、そう言った要望に答えられるだけの知識の持ち主で有るが故に、朝から晩まで色々な所から招待を受け続けていたのだ。
だがそれも、俺の体調が完全に戻った事で終わりと成るらしい、彼女が江戸に来たのはあくまでも俺に魔法を伝授する為なのだ、それを最優先する事に異を唱える事は、その許可を出した幕府の決定に異を唱える事と同義となる。
なので、今日以降彼女を招待していた所は全てお断りという事に成り、俺の方も暫くは魔法習得の為の勉強が優先で、ある程度魔法に目処が付くまで鬼切りに行くのも禁止だそうだ。
「はい、手が止まってますよ。呪文書の制作は基礎の基礎ですからね」
これまでの事を思い出し作業に集中していない俺を、お花さんのそんな言葉が呼び戻した。
今やっているのは、彼女の持つ呪文書の写本である。
精霊魔法は口頭で呪文を詠唱することで発動する魔法で、陰陽術の様に一言一句誤りなく詠唱しなければ発動しないという物でも無い、力を借りる精霊や霊獣に術者がどういう事を望んでいるのかが伝われば効果は出るのだ。
ならばこうしてわざわざ呪文書を写本し、その呪文を暗記する事に意味が無いのかといえばそういう訳でも無い。
力の弱い精霊は自我と呼べる物が無く、本当に言われた通りの事しかしないので、余程注意深く命令しないと、術者の意図したのと違う結果を産む事がちょくちょくあるのだという。
『精霊魔法は思った通りに発動しない、命じた通りに発動するのだ』と言う格言が有り、初心者は先ずは先達が作り上げた定形呪文と呼ばれる、効果がはっきりと安定した呪文で魔法の挙動を学ぶのだそうだ。
とは言っても、読めもしない言語を只管写本するというのは中々ハードルが高いと言わざるを得ない、なんとか見よう見まねで写してはいるものの、分厚い呪文書の全てを写し切るにはどれほどの時間が掛るだろうか……。
「そろそろ、集中力も切れてるようですね。じゃあ今日の写本はこの辺にして、座学を始めましょうか」
今日の写本はここ迄、と言われただけなのに気分が楽に成った気がするのは、やはり肉体に引き摺られて心まで子供に成っているのかもしれない……。
「精霊魔法は火、水、風、土の4種類の精霊、その力を借りて様々な効果を発揮させる魔法です」
そんな言葉から授業は始まった。
四大精霊、四大属性と言う考え方は前世でも結構ポピュラーな物だったように思える、俺がよく読んで居たネット小説でも度々眼にした考え方だ。
諸外国では単純に魔法といった場合には精霊魔法の事を指す、と断言出来る程に精霊魔法はポピュラーな魔法であり、単独下位の精霊魔法ならば殆ど誰でも使える位に一般的な物だという。
「単体でも上位の精霊の力を借りれば強力な力に成るけれど、精霊魔法の本領は複数の力を掛け合わせて初めて発揮されると言っても過言ではありません」
二種複合六種、三種複合四種、四種複合一種、合計十五種の属性、それぞれの属性に更に数十の呪文、魔法があるのだ、その数は膨大である。
合体魔法とかそう言うのは前世の創作作品でも見た記憶が有るが、この世界の精霊魔法ではそうして属性を合わせるのも魔法使いと呼ばれるには必須の技能なのだそうだ。
必要に応じて精霊や霊獣を召喚し、その力に見合った呪文を正しく取捨選択できて初めて魔法使いと呼べるのだと言う。
「先生、火元国では何故、諸外国程精霊魔法が普及していないのでしょう? 幕府が禁止しているのは術者の許可無い江戸への侵入ですし、もっと普及していてもおかしく無いと思うのですが?」
「なかなか良い質問ですよ。それはこの国が、この火竜列島が世界的に見ても非常に特異な土地である事が原因です」
お花さんの話に拠ると、諸外国では精霊の力が有る場所以外では作物が育たず、街が出来る事も無いのだと言う。
なので、街の中には必ずと言って良いほど神々を祀る施設と合わせて、精霊を祀る施設も有るのだそうだ。
そこで幼い頃からその身の丈に有った精霊と契約し、精霊魔法が日常的に使われているらしい。
対して火元国は、この国のある島々『火竜列島』の名の通り、最上級の霊獣である火竜が住んでおり、その単体で列島全ての豊かさを担っている為、木端の精霊、霊獣が居ないのだと言う。
それ故に、神の加護を受け産まれながらに精霊と契約している者を除いて精霊魔法の使い手となる者が居ないのだそうだ。
「ちなみに私がこの国に来たのも、その火竜と契約する為なのですよ。世界広しといえども竜の中の竜、古龍と契約してる魔法使いは、現在では私一人なんですよ」
フフンっと胸を張りそう言う彼女、その話では古龍王は世界樹に神々が住むよりも更に昔から居る存在で、世界にたった五体しか居らず、その所在がはっきりしているのは彼女の契約している火竜だけなのだそうだ。
俺の契約している四煌戌同様、竜も四属性全ての精霊を宿しているのだが、火竜はその名の通り火の力が最も強く、他の力は一段落ちるらしい、それでも圧倒的な力を持つが故に四属性全てを合わせた最上級魔法以外は一通り使うことが出来るそうだ。
なお四煌戌は未だ幼い為、単独最下級魔法すら発動が覚束ないのが現状である。
「君の場合は最初から四色霊獣と契約してるから、あの子の成長が止まらない限りは新たな契約をする必要は無いけれど、逆にいえばあの子を失う様な事が有れば、魔法を失うと言う事になるわ」
言いながらお花さんは縁側から庭先へと視線を飛ばす、その先には繋がれることも無く庭を駆け回る四煌戌が楽しそうに走り回っている。
どうやら繋いで居た事も風と言う属性を弱らせる原因と成っていたらしく、帰ってきてからは池に落ちたりする事の無いようにドッグランの様な囲いを作り、十分な広さの運動場を用意してもらった。
俺はそこを眺められる部屋でお花さんの授業を受けているのだ。
「霊獣はそう簡単に死んだりはしない、戦闘で傷付き息絶えた様に見えても時間が経てば復活します。ですが契約した精霊をその力以上に酷使した場合、霊獣は力を失いただの獣になりそして死にます」
そういうお花さんの瞳は酷く悲しげな、だが何処か誇らしげにも見えた。




