九百五十六 志七郎、守護者と出会い呪文書に思い馳せる事
下級禁術書庫に入る前に有った呪文図書室は、幾つもの本棚が並び其処に無数の本が入っていると言う、所謂『学校の図書室』の様な雰囲気の部屋だった。
しかしその奥に有った厳重に管理された重い鉄扉の向こう側は、前世の世界の日本では見る事の出来ない『鎖付図書』であった。
しかも単純に鎖が着いた本が本棚に納められている形式の物ではなく、何冊もの本が一つの閲覧机に取り付けられた留具に鎖で繋がれ、ソレが無造作にも見える形で平積みされている形式の物で有る。
こうした鎖付図書は印刷技術が発展する以前、未だ本が手作業で写本されていた頃の、一冊一冊が高い資産価値を持っていた時代に、図書館の本を盗まれぬ様にする為に作られた物だった筈だ。
けれども印刷技術が発展し書籍の資産価値が下落していくに従い、この形式の図書館は姿を消して行ったのだと記憶して居る。
この世界でも印刷技術は向こうの世界程では無いにせよある程度の発展は進んで居り、白黒濃淡での表現でしか無いがグラビア雑誌やソレよりも更に過激な本なんかが市販される程度には普及して居た筈だ。
では何故この部屋の本がわざわざ鎖に繋がれているのかと言えば、此処に有る本がどれも外に持ち出されては成らない『危険物』だからだろう。
なにせこの部屋は下級とは言え『禁術』に区分された魔法を保存して居る部屋なのだから。
「なぁ兄者……この部屋の本を全て書写するのは物理的に無理じゃぁ無いか? いや、考えてみれば余達の持っている呪文書も先程の部屋に納められた魔法が全て乗っているとは思えぬぞ?」
先程試験管をしてくれた先生も言っていたが、精霊魔法と言うのは各属性でしか使えない様な特殊な魔法や、『牛肉の蒸し焼きを焼く魔法』の様な特定の料理をする為だけの魔法なんかを数に入れれば莫大な量に成る。
そんな中から自分に必要だと思える魔法を取捨選択し、一冊の呪文書に纏めて携帯するのも、精霊魔法使いとしての勉強の一環だとお花さんの授業で習った筈だ。
「お花さんから見せて貰って書写したのは基本魔術書で、其処に乗っていない魔法は無数に有るって授業で習った筈だぞ? それこそ調理魔法の類なんかは禁術書架じゃぁ無くてさっきの部屋に有る本に書かれているんじゃないか?」
軽く肩を竦めながら武光の疑問に答えてやる……と、
「その通りだ。幼くして茶色を纏う者よ、よく学んでいるな。その法衣に恥じぬ学習ぶりだ。その顔を見た事が無い事を鑑みるに、其方は他所の土地で魔法を学んだ者なのだな? 師は誰だ?」
幾つも有る閲覧机の向こう側から、そんな声が聞こえて来たのだ。
その声が聞こえてくるまで、俺達はこの部屋に自分達以外の者が居る事に気が付かなかった。
ソレは決して此処が安全地帯だからと言って油断して居たとか、誰も居ないだろうと言う先入観から気を抜いて居たとかそう言う話では無い。
少なくとも俺は、戦場に居る時程では無いにせよ、江戸の街を歩く時と同程度には、周囲の気配に気を配っていた。
にも拘わらずソレが其処に居ると見抜けなかったのは、それだけ其奴が自然体でその場に居たと言う事なのだろう。
「ああ、驚かせてしまった様だな。我は知恵の番人にして知識の守護者。この下級禁術書庫を塒として居る霊獣、スフィンクスのインデックスだ。中級禁術書庫に入る資格を得るまでは此処に通うのだろう? ならば暫く宜しく頼む」
その声の主は獅子の身体に人間女性の上半身を付け、腕の代わりに翼が生えている……と言う様な姿の霊獣だった。
ちなみに女性の上半身と言った通り母性の象徴足る膨らみはきっちり存在して居るが、此処が学生も使う施設だと言う事も有ってか、革製の胸当ての様な物を身に着けていて丸出しと言う訳では無い。
その顔立ちは俺の持つ前世日本人の感性からすると『少々バタ臭い美人』と言う感じに成るだろうか?
「名乗りが遅れて申し訳有りません。俺は火元国から来た留学生でフルール・シーバス師に師事し基本魔法を学び、更なる勉学の為にこの禁書庫へと罷り越した猪河 志七郎と申します。彼等は俺の弟妹弟子に当たる者」
「徳田 武光だ。宜しくお願い申す」
「オラは蕾いうだよ。よろしゅうたのんますだ」
「拙者は忠に御座る。他の方々同様良しなにお願い致します」
留学前に特別授業で学んだ此方の国の礼儀に則って、右膝を立てて跪いた後その上に右腕を置き左手は左膝の横に拳を握って地面に付くと言う姿勢で頭を下げて口上を述べる。
武光達も俺に倣って同じ姿勢で名を名乗った。
「そう畏まる必要は無い。儂は古き獣では有るがこの学会の教師と言う訳では無いからな。ソレに知識の守護者と言うのはスフィンクスの本能の様な物でな、霊獣では無い者も古代遺跡なんかで番人をする者が多いのだ」
インデックスを名乗ったスフィンクスの言に拠ると、彼女達の種族は精霊をその身に宿して居ない霊獣では無い個体も人の言葉を解するだけの知恵を持ち、本能的に図書館や博物館と言う様な『知識の宝庫』を守りたいと言う欲求が有るのだと言う。
故に人に友好的な個体は、街の図書館なんかで警備員と言うか番犬と言うか……兎角そう言う役目を担い、代わりに食事その他の世話をして貰うと言う生活をして居るらしい。
対して人と相容れない個体は、滅んだ都市国家のそうした施設を占拠したり、古代遺跡と呼ばれる場所や鬼の砦なんかに有るその手の施設で番人をしつつ、そうした場所に隠された財宝を狙う冒険者を食らうのだそうだ。
「書物は人が生み出した叡智の結晶……無論人は書物にだけ学ぶ訳では無い。数多の財を所蔵しソレを見る事で見識を広める為の施設である博物館なんかも、我等スフィンクスに取っては素晴らしき知恵の集積地。お前さん達も様々な物を読んで見て学ぶのだよ」
彼女はそう言うと俺達に興味を失った彼の様に、前足で器用に手元に置いた本に視線を落とす。
ソレは鎖に繋がって居ない所から見るに、此処に所蔵されている本では無いのだろう。
俺は彼女の読書を邪魔しない為、口の前に人差し指を立てる仕草で他の三人に静かにする様に促す。
すると彼等は言われるまでも無いと言った表情で静かに頷き肯定の意を示す。
「先ずはさっき先生に言われた通りに、この部屋にどんな魔法が有るのかをある程度把握するべきだろう。棚に書かれた分類と本の背表紙を見る限り、複数の生徒が同時に写本出来る様に複数の机に同じ本が置かれている様だしな」
俺は出来るだけ声を潜めて、武光達に向かってそんな提案をした。
パッと見ただけでしか無いが、入り口に近い所に有る幾つかの机に有る本は、どれも同じ装丁で全く同じ文章が背表紙に書かれているが、インデックスが居る辺りは机毎に違う本が乗っている様に見える。
背表紙に書かれた書名を見るに入り口周辺に有るのは、『〇〇の弾』や『〇〇の矢』の様な、属性に依らない共通魔法が書かれた本なのだろう。
そして奥の方に有るのは、其々の属性でしか使えない様な特殊魔法が記された本の様だ。
実際、奥の方の机には其々の属性を示す紋章が彫り込まれている所がある、幾つかお花さんに習った覚えの無い紋章も見えるが、恐らくソレは火+火=炎の様に同属性を重ねる事で派生する多重属性と言う奴なのだと思う。
そう言う物が有ると言うのは習っては居るが、同属性の重ね合わせと言うのは、複合属性よりも更に難易度が高いらしく、今の俺では四煌戌と焔羽姫の力を合わせて炎属性を生み出す事は出来ても正確な運用は未だまだ無理だろう。
「うむ、取り敢えずは共通魔法の書を読むのが一番良さそうだな」
同じく声を潜めてそう言う武光に、俺は首肯し其々開いている机へと向かうのだった。




