九百五十 志七郎、食事情を知り許嫁死にかける事
渋沢殿と新たな友好を深める為に雑多な会話を続ける事暫し……
「大変お待たせ致しました。本日の夕食は海鮮散らし寿司で御座います。御吸物はお熱う御座いますので、火傷等せぬ様にご注意下さいませ」
俺達の給仕を担当する女中さんがそんな台詞と共に、綺麗な漆器の寿司桶に盛られた料理を其々の前へと置いてくれた。
「おお! 今日は海鮮で御座るか! いや、此れは恐らく二期生の入学祝いで御座るな。にしても羨ましい幕府は其れ程までに今期生達に補助を出しておるのか……」
生唾を飲み込む音で喉を鳴らしながらそう言う渋沢殿の言に拠れば、此のワイズマンシティは湾岸都市にも拘わらず魚介類の類は比較的『お高い』部類の食材なのだと言う。
潮風や土壌の塩分の所為で勢力圏内ではマトモな作物が育たない此の街では食料の大部分を輸入に頼っており、比較的簡単に手に入ると言って良い魚介類は内陸部の農業が盛んな都市国家への輸出品として扱われる為に庶民の口に入る事は殆ど無いのだそうだ。
とは言え都市部周辺地域が不毛の荒野と言う訳では無く、放っておけば比較的塩分に強い雑草が生い茂り、更に其処を住処とする虫が集まり病気を媒介したり、そうした虫を食う為に街の近くまで獣やモンスターが現れる様に成る……らしい。
かと言って人を雇って草むしりなんて事をさせるのは税金の垂れ流しでしか無く全くもって建設的では無い。
ではどうするのかと言えば山羊や羊に牛や馬と言った家畜を放牧する事で、除草しつつ食肉も確保すると言う政策が取られている。
しかしそうした家畜肉も、公称で十万人、学会への留学生や流浪の冒険者等の一時滞在者を含めれば、恐らく二倍まで行かずとも五割増し位には成るだろう人々全員の腹を満たす程に手に入る訳では無い。
其処で登場する事に成るのが、冒険者達が放牧地の外で討伐して来たモンスター肉で有る。
豚鬼や牛頭鬼なんかはこの辺りにも割と良く出るらしく、そうしたモノの肉には冒険者組合は割と良い値を付けて買い取っていると言う。
「……良い値段を付けているので有れば、やはり一般市場に出る時にはそこそこ高値に成るのでは? この街の住人全てが裕福だという訳では無いでしょう? ならば庶民は一体何を食って生きているんですか?」
俺個人としては何となく想像は付いているのだが、今は未だ商売や経済なんて物には興味が無いだろうお連も、何時かは妻として母として奥向を取り仕切る事に成るのだから、こうした話は聞かせて置いて損は無いだろう、そんな判断で渋沢殿に問いかける。
「其処は其れ、どんな良い肉でも形を整える際に切り落とさざるを得ぬ部分と言うのが有るので御座る。そうした切り落とした端材とでも言うべき物を加工し食う術がこの街には根付いているで御座るよ」
そう言って話てくれたのはこの街の一大産業の一つにも成っていると言う『ランチョンミート』の作り方だった。
切り落とした端肉を種類区別する事無く纏めて全て挽き肉にして捏ね、其れに塩と香辛料を打ち込み更に捏ね、ブリキの缶に詰め込んで口を溶接したら缶毎纏めて竈で一時間以上加熱しそれから冷却して出来上がりだと言う。
そうして出来たランチョンミートは、どんな生物の何処の部位が入っているとも分からない状態の為、金持ちが好き好んで食べる訳も無く決して高値は付かず、庶民の口にも入る比較的安価の食材としてこの街や周辺地域で流通しているらしい。
「今日の昼に学会の食堂で食ったならば解ると思うが、アレは味が濃い故にソレだけで食う訳にも行かず、輸入品で高い買い物なのは解っていても野菜や麺麭なんかと合わせ食わざるを得ぬ……と言う感じらしいで御座る」
その辺の事情に関しても、一年以上この街で生活していく中で其れ也に地元民や他国からの留学生とも付き合いを持った事で色々と知る事が出来たのだと、渋沢殿は誇らしげに胸を張る。
そんな訳でこの街で手に入る主菜的な物は『魚介類>塊肉>挽き肉>ランチョンミート』と言う感じで格付けされるのだと言う。
「外で飯を食う時や誰かにお呼ばれした時なんかには、その辺の事情を鑑みてどれ程の歓待を受けたかの指標とするで御座るよ。勿論、同じ魚介類の中でも格の違いは有るし、肉にも差が有る故、詳しくは休みの日にでも市場へ見に行くと良いで御座る」
どうやら話は其処で一段落と言う事らしく、言いながら箸を手に取り吸い物の椀を持ち上げ口を付ける。
その姿を見て俺はお連に一度視線をやってから両の手を合わせて
「「頂きます」」
と言ったのだった。
鮪と思しき赤身の魚に、鯛や鮃の様な白身の魚、烏賊や蛸と言った軟体動物、それから此れは俺でも一目で解る帆立の貝柱……他にも何かの貝の刺し身なんかが程よい甘さの酢飯の上にふんだんに散らされている。
睦姉上が作る同様の物と比べると流石に一段味は劣るが、向こうの世界でそこそこ程度の値段で食える海鮮丼の店と比べれば間違い無く上と言える味では無いだろうか?
「御前様……連、こんな贅沢をして罰が当たったりしないでしょうか? 御刺し身がこんなに沢山、ソレに下に入っているのは銀舎利ですよね?」
うん……内陸の山奥に有る盆地な猪山藩では、こうした海の幸を食べる機会なんて無いわな。
彼女が江戸に出てきてから其れ也の期間江戸に居たならば、義二郎兄上の所の望奴に頼む也して、握り寿司なんかを食べさせてやる事も出来たんだろうが、出港までの期間は忙しくてそうした機会は作れなかった。
なので此れが彼女に取って初めての生寿司と言う事に成るのだろう、彼女は恐る恐ると言った箸使いで赤身の刺し身を摘み上げる。
「あ、お連、先に軽く醤油を回しかけると良いぞ。後は辛いのが苦手じゃないなら端に乗ってる山葵も一緒に食べるんだ」
海鮮丼や生散らしの食べ方は『醤油を上からかける派』と『刺し身を取って醤油に付ける派』が有るが、俺は簡単に手早く食べられる上から派だ。
食べ付けて居ない様子で刺し身を醤油も付けずにそのまま食べようとしたお連に、取り敢えず俺流の食べ方を教えるが、目の前に座っている渋沢殿は醤油に付ける派らしい。
でもまぁ……渋沢殿は人様の食べ方を邪道だなんだと批判する口では無い様で、美味そうに醤油の付いた刺し身を酢飯に一乗せさせてから飯毎頬張っている。
お連は俺の言う通り小瓶に入った醤油を軽く回し掛けてから、山葵を鮪に乗せて口へと運び……
「……くぁwせdrftgyふじこlp!?」
一瞬の後、何を言っているのか分からない叫び声を上げた。
「お連!? 大丈夫か!? 取り敢えず鼻摘め! それから御吸物を……慌てるなよ! 熱いからな、今冷ましてやるから一寸我慢しろよ!」
どうやら彼女には未だ山葵は早かったらしい……そんな状況を見て、俺は彼女の分の御吸物のお椀を手に取ると、息を吹きかけて少し冷ましてから手渡してやる。
俺の言う通り鼻を摘んで辛さを堪えていたお連は、お椀を受け取りソレを啜って一息吐き……同時に彼女の身体から微かな氣が立ち上っているのを感じた。
え? 嘘だろ? 一寸待て……俺は命懸けの戦いの中でやっと氣に目覚めたんだぞ?
「一瞬、黄色い綺麗な花畑が見えた気がしました……」
それって……俺が向こうの世界でくたばった時に落ちたあの場所か? 別の意味で嘘だろう? 山葵でガチに死にかけたって事か?
「うん、お連に山葵は未だ早いみたいだな、勿体ないしソレは俺が責任持って食う事にするか」
そう言って、俺は彼女の寿司桶の端に盛られた山葵を全部自分の桶へと移したのだった。




