九十三 志七郎、誰何を受ける事
翌朝、何時もとは違うのんびりとした朝の時間を過ごし、朝食を摂り終えた俺達は帰路へと付くことになった。
兄上の連れてきた馬には、てっきりお花さんが乗るものだとばかり思っていたのだが、実際には俺が跨っている。
乗馬技術なんてものは持って無いし、前世もその経験は無かったので手綱は兄上が持っている、体験乗馬状態では有るが。
四煌戌との契約を結ぶ事で俺が自力で歩いて帰れなく成る事は、事前に想定ができていたお花さんの指示で連れてきたのだそうだ。
馬の手綱と四煌の縄その両方を手にした兄上を先頭に、峠を下る事一時間少々、特に何のトラブルに見舞われる事も無く、関所へと辿り着いた。
昨日とは違い関所の前に並ぶ者達も居らず、どうやら一番乗りらしい。
「失礼ながら、御役目により誰何させて頂きます。御身の証たる手形、その他書状等御座いましたらご提示を」
関所を守るまだ若い役人の一人がそう鯱張った様子で声を上げた。
「御役目ご苦労。私は猪山藩、藩主猪河四十郎が嫡男、猪河仁一郎である。我が弟の師と成る術者を迎えて参った。江戸への術者入場は幕府老中、百望様より許可の旨、認めて頂きました、ご確認を」
兄上の対応はほぼ昨日と同じで、自身の鬼切り手形と共に書状を手渡した。
俺に対する対応もやはり昨日と変わらず、手形を少し確認するだけで問題無いと判断されたようだ。
だがお花さんやセバスさんはこの国の人間では無い、明らかな外国人であり、江戸では見かけることの無い異種族である、俺達の様に簡単な手続きで江戸へと入れるのだろうか?
「はい、これで大丈夫かしら?」
「この国の物では無いが、互換性は有ると聞いている、確認願おう」
そんな俺の心配を他所に、お花さんは俺が手にした物と同じ鬼切り手形を、セバスさんは金属のプレートの様な物を提示している。
一郎翁の母親なのだからお花さんがそれを持っているのは、さほど不思議な事ではないかもしれない、セバスさんが出しているのも外国における類似品と言ったところだろうか。
「えーと、鈴木花殿……格……え? 二百七十八ぃ!? あ、赤の魔女って……あの!?」
「える、いー、ぶい、いー、える……たしかコレが格で……、名前がえーっと……、済みません、西大陸の言葉は得意ではないので……、読める者を呼んできますので少々お待ちください」
やはり一筋縄では行かない様で、お花さんはその内容故に、セバスさんはどうやら係員が読めない言語で書かれているらしく、どちらも複数の係員が集まり大騒ぎしている。
「何だ何だこの騒ぎは! 定書通りの対応で済まない場合にゃぁ、さっさと上役を呼ぶ事になってんだろうが!」
騒ぎを聞きつけて、関所の横に建てられた恐らくは詰め所であろう小さな小屋から、そんな怒鳴り声を上げ男が一人飛び出してきた。
年の頃は三十路を回っては居ないだろう若い男で、着崩した着流しに羽織を羽織り、鞘ごと刀を担いだその格好は、ぱっと見る限りでは役人のそれには見えない。
どうやら寝起きにこの騒ぎで起こされ押っ取り刀で出てきたと言った所のようで、目元にはその痕跡がはっきりと残っている、目やにがバッチリ付いているのだ。
左手は刀を手にそれで肩を叩き、右手は無造作に懐に突っ込んだ、はっきり言って隙だらけの姿勢でゆっくりと歩み寄ってきた、だがその身のこなしを見る限り、この場に居る役人の誰よりも強い事は、ひと目で理解できる。
「んで、書状は間違いねぇんだろうな? あとはそいつらの手形の確認だろ? 目視で確認に自信がねぇなら、直ぐに玉を使えば良いだろうが! 偽手形を玉に掛ける事ぁ出来ねぇんだからよぉ」
一頻り怒声を上げ、その言葉に役人たちが弾かれた様に走りだすと、その男は俺達の方へと改めて振り返った。
「部下達の不手際失礼した。俺はこの時間、関所の管理を任されてる者だ。外つ国の御方々、遥々江戸へとようこそ参られました……」
此方に背を向け怒鳴り散らしている間に拭ったのだろう、既に目やには無く、だらしなく着崩れした着物も整えられていた。
「玉……確か西国ではギルドクリスタルと言ったかな? それを持ってこさせてますので、妙な真似をしてなけりゃ、直ぐに入れますわ」
何か含む物が有るのか、探る様な鋭い目つきで此方を見やりながらそう言う彼に対して、兄上は何も言う事は無いとアピールする様に腕を組み目を瞑った。
「しかし、外つ国のお人が何故我が国の鬼切り手形を持ってるんでしょうねぇ……。しかもアホみたいな格、赤の魔女なんて言ったら百年近く前の化物じゃねぇか、それがこんな小娘とは……、関所守も馬鹿にされたもんだぜ」
流石にそこまでストレートな物言いをされれば、お花さんの手形が偽造ではないかと疑われている事は理解できる。
だが、彼は森人即ちエルフが長寿の種族であることを知らないのだろうか? 確かに見た目は十二~三歳と言った所だが、その実三百年近い。
もしもエルフと言う種族を知らないにしても、この国にも猫又の様な見た目と実年齢の合わない存在は居るのだ、パッと見ただけでそれを偽造と断じるのは早計過ぎる様に思える。
「班長、玉をお持ちしました」
曇り一つ無い水晶球を持った役人が駆け寄ってくると、班長と呼ばれた男はニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。
「さて、コレを使えばもう申し開きは出来ねぇぞ。幾ら大名家のご子息様方とは言え、いやだからこそ関所破りは重罪だ。お家取り潰しもあり得る話だ、今この場で罪を認めるなら、まぁ俺の胸三寸に収めておけるぜ?」
「何を馬鹿な事を……。疑うのが役目とは言え、少々物言いに気を付けた方が宜しいのではござらぬか? そこまで放言しておいて何も無ければ、抗議では済まされぬぞ?」
「ハッ、洒落臭え。お前さんが言う通り、俺達ゃ疑うのが仕事だ。そしてそんな俺達を出し抜こうって輩は数知れねぇ。女房子供を江戸から逃がそうとする大名、銃や術者、阿片なんかのご禁制品を持ち込もうとする連中……」
そこで言葉を切った彼は、先程までのチンピラ臭い笑みを消し、覚悟を決めた者の目で改めて口を開く。
「幕府の決め事を破り、江戸に住む者を脅かす者をこの先に進ませねぇのが俺達の役目なんでな……。切腹なんざぁ覚悟済みだ、ハズレ引いたなら笑って死んでやらぁ」
ああ、この人は解っていてアヤをつけているのだ。
多分この人は、部下の手に余った者全てにこうして居るのだろう、それは彼の言う通り江戸市中に禁制品を持ち込ませない為、恨まれても仕事をするという意味では前世の俺達とも通じる所が有るようにも思えた。
まだ制服を着ていた頃には街を巡回し職務質問をした事もある、大半は仕事と理解を示し対応してくれたが、中には明らかに此方に対して攻撃的な態度に出る者も居た。
治安とマスコミが煩い日本だからこそ此方も丁寧な対応をしていたが、海外研修先では彼の様な警察官も少なく無かった、犯罪率が比では無いのだ決して理解できない事ではない。
「結果出ました。どちらも正規の物です、手配記録も有りません……。本物です」
「身元の確認が取れました、ご無礼仕った。ご無礼ついでに所持品検査も受けて頂きたい、外つ国から持ち込まれる禁制品は年々増加傾向に有りますのでな」
部下の言葉を受け謝罪の言葉を口にするが、頭を下げるでも無くただ事務的にそうしただけに見えた。
「……貴殿の無礼、御役目の上で必要な物と認識した。命を賭す覚悟で江戸を守らんとするその気構え称賛に値する、と父上に申し伝えておきましょう」
「はっ! 要らん要らん。俺ぁ憎まれんのが仕事だからな」
兄上の言葉に踵を返しそうとだけ答え、男は詰め所へと戻っていく。
その後姿は、命懸けで役目をこなす一人の侍の姿であった。




