九百四十三 志七郎、一触即発を見届け軍事力を考える事
南方大陸語で言ったのであればまだしも、態々西方大陸語で全方向に中指をおっ立てる様な台詞を吐いたイー・ヤン・ミーと言う男に、食堂に居る大半の者から殺意にも似た剣呑な物が混ざった視線が向けられる。
俺の視界の中でも豚系の獣人族と思わしき者が『豚の餌』と言う言葉に強い反感を持ったのか、激発し立ち上がろうとした所を隣に座る猫系の獣人族の者に肩を掴まれ押し留められていた。
そうした動きは当然の如く一組だけ起こった訳では無く、前世の感覚で言うなら下手な学校の体育館よりも広い食堂の中で至る所で起こっている事だった。
ソレだけあの創作の中にしか居ないと俺が思っていた『傲慢で愚かな馬鹿貴族』を絵に描いた様な男が口にした言葉に腹を立てている者が多いと言う証左なのだろう。
ただ明らかに『痛い男』で有る彼に直接文句を言って関わろうとする者よりも、奴に関わり合いに成る事を止める者の方が多かったが故に、即座に暴力沙汰に成らなかったと言うだけの事だ。
故に……
「貴様イー・ヤン・ミーと言ったな! その外套の紋章と名を聞くにトニーラヴァン王家の第三王子だろう。世の中には貴様が豚の餌と断じたこの食事すら満足に摂る事の出来ぬ者が居る事を分かって居てその言を吐いたのか!?」
そんな風に比較的穏当な切れ方で奴に食って掛かる者が居るのも当然の事だろう。
「何だ貴様は? 我が王子と知った上で我に物申すとは無礼にも程が有る! しかも名すら名乗らぬ等……コレだから亜人共と食卓を共にする様な蛮人は嫌なのだ!」
しかしそんな言葉も奴に響く事は無く、返って来たのは罵倒の言葉だった。
「名乗らずともこの外套を見れば相手の素性位ある程度見当を付けれるのが貴族として当然の見識であろう。まぁそうした真っ当な教育も碌に受けて居ないから先程の様な愚かな言葉が出るのだ」
米国映画の様に肩を竦め溜息を一つ吐き、彼は芝居がかった調子でそう言った後、
「我は南方大陸帝国が一角を担うマッカート王国が第二王子、オリヴィエ・ド・ルージュだ。人間至上主義は帝国の基本指針では有るが、ソレを外つ国に持ち出す様な恥知らずな真似は看過出来ぬ! 貴様の様な輩が居るから南方大陸は蛮族の地と言われるのだよ!」
自分こそが南方大陸を代表するべき立場の者で、イー・ヤン・ミーはそうでは無い……と、その場に居る全ての者に印象付ける様に、彼は強い言葉でそう言い切った。
だがソレでも奴は折れなかった、寧ろ嫌らしいと言う言葉以外に形容する言葉が見当たらない様な笑みを浮かべ
「ほほぅ、貴殿は選帝侯マッカートの王子で有ったか。しかし今の言葉頂けぬなぁ。マッカート王国は選帝侯の立場に有りながら、あの自国を滅ぼした歴史に名を残す愚かな王の肩を持つと言う事で間違い無かろう? コレが皇帝陛下の耳に入ればどうなる事か」
そんな事を曰ったのだ。
奴の言う『自国を滅ぼした愚かな王』と言うのは、恐らくはお花さんの師匠筋だと言う人物『エイブラハム・デュ・インスブルク8世』の事だろう。
その人物は帝国の国是で有る『人間至上主義』に異を唱え、国を挙げて奴隷解放の為に戦ったと以前お花さんから聞いた覚えが有る。
けれどもその結果は解放派の敗北で幕を閉じ、彼は賛同者達の手で他の弱き者達と共に大陸外へと落ち延びたのだ。
その後、エイブラハム師は冒険者と成り多くの冒険譚の題材と成る活躍をし、そして晩年はこの地で偉大な精霊魔法使いの一人として教鞭を取っていたと言う。
故に彼の御人は南方大陸では『国を滅ぼした愚かな王』だが、冒険者達や精霊魔法学会では偉人として讃えられている人物なのである。
……そして此処は彼が偉大な功績を残した精霊魔法学会だ、そんな場所で彼を貶す様な発言をすれば、
「エイブラムス師の事をこれ以上腐す様な発言をすれば、トニーラヴァン王国が地図から消える事に成るわよ? 貴方が只の貴族程度の立場ならば兎も角、貴方は王族……つまりは国を代表する立場の者なのでしょう? ならその発言は国の公式見解と言う事よね?」
魔法使いの正装である法衣……ソレも真紅の物を纏った小柄な女性がそんな言葉で口を挟んだ。
魔法使いの法衣はその階位を表す色が定められて居り、ソレを見ればどれ程優れた魔法使いかが分かる様に成っている。
そんな中で真紅を纏う事が許されているのは『赤の魔女』の二つ名を持つお花さんだけだ。
「公式見解として我が精霊魔法学会の偉大なる先達であるエイブラハム師を愚か者と断じ、学会が学生に提供して居る食事を豚の餌と罵ったと言う事でよろしいのよね? ソレは私達学会に対する敵対宣言と言う事で良いのよね? よね!?」
お花さんは笑顔だ……但しその笑顔は肉食獣が獲物を前にして見せるソレである。
傍から見れば二十歳に成るか成らないかの若い男が、十代前半少女に詰め寄られている様にしか見えないが、彼女の実力を知っている者が見れば小国の王子に核保有国の代表が詰め寄っていると言う状況だ。
なんせ隕石群と言う精霊魔法でも最大級の攻撃力と効果範囲を持つ大魔法は、一撃で都市一つを壊滅させる事が出来る程の物だそうで、聞いた範囲でしか無いが恐らく広島・長崎に落とされた核兵器と同等程度の威力は有ると推測出来る。
ソレを彼女は一発撃って終わり……では無く、撃とうと思えば数時間ぶっ通しで連打する事も不可能では無い。
「トニーラヴァン王国には一度行った事が有るから、転移で行く事も出来るわね。当代の王は確かソル・セイム・ミーだったわね。彼も可愛そうにねぇ……こんな愚かな子の所為で国も民もみーんな灰燼に帰するんだから……ねぇ」
彼女が本気でソレをヤる……とはお花さんと言う人物を身近に知っている俺には思えないが、その為人を知らない者ならば、ソレが出来ると言うだけで十分以上の脅しには成るだろう。
前世の世界でも核保有国は核兵器を持っている事が重要で、実際に核兵器を使う事を考えている様な者は居なかった筈だ。
ソレでも核兵器を持っている事で、下手な真似をすれば撃ち込まれる『かも知れない』と言う恐怖が有るからこそ外交交渉で優位に立てるのである。
分かりやすいのは向こうの世界で日本の直ぐ側に有った小国だ、彼処は総力戦では絶対に勝てない大国と対等の交渉をする為に核を持とうとしていたのだ。
そして……精霊魔法学会と言う組織は国家でこそ無いが、其処に所属する者達が持つ『軍事力』と言う面から見れば、生半可な国では勝負の土俵に上がる事すら出来ない強大な物と言える。
たった一人の精霊魔法使いでも実力者であれば、莫大な軍事力を有する事に成る……その事を良く知っていたからこそ、家安公は江戸へ『術者』が立ち入る事に制限を設けたのだろう。
「マスター・シーバス! この大馬鹿者の件は私が代わって謝罪致します! トニーラヴァン王国は辺境の小国と言えども帝国の一部、其処を学会の魔法が焼いたとなれば、帝国全体と学会との間での抗争にも発展しかねません! どうか御自重下さい!」
にも拘わらず、お花さんに対して深々と頭を下げて謝罪の言葉を口にしたのは、件の愚か者では無くオリヴィエ・ド・ルージュの方だった。
イー・ヤン・ミーは、お花さんの言葉を口だけの脅し文句に過ぎず、実際に行われる事は無いと判断したのだろうか? それとも只の馬鹿で自分の発言がどれ程の危険を引き起こしたかも理解出来ないと言う事なのか?
「まぁ、其処のお馬鹿さんには後から担当教官経由で再度注意するとして……マッカート選帝侯の子弟に免じて一度は許しますわ。貴方が今言った通り帝国と学会との関係を考えるならば、もう少し留学生を選別する様に国許に伝えて頂戴ね」
そう言って踵を返したお花さんだったが、イー・ヤン・ミーは何の反論もする事無く只々黙っていた。
いや……奴はどうやらお花さんの放って居た本気の殺気に中てられて立ったままで気を失っていたのだった。




