九百三十七 志七郎、偉大なる一族と面倒事を知る事
お花さんが居住まいを正した事で改めて学長室の中へと招かれた俺達は、彼女に紹介されるままに会釈をして挨拶をした。
「全く……最初から真面目にやってくれ。一々アンタの悪巫山戯に付き合うのは、正直時間の無駄だ。私にだって研究も有れば、次の学会で発表する論文の執筆やら生徒達の指導やら、やらねばならならない事は沢山有って暇では無いんだ」
頭に生えたタコ足の様な触手で自分の頭をガシガシと掻きながら溜息を一つ吐きつつワイズマン師はそんな言葉を口にし、それから改めて俺達の方へと向き直り
「精霊魔法学会九百九十九代目学長、スクウィード・オスマン・ワイズマンだ。この性悪ババアの弟子である君達を直接指導する事は少ないと思うが、水と土そして毒属性との魔法についての相談ならば多少は時間を割いてやろう」
魔法学会の学長の座は代々ワイズマン家が引き継いで来た物だと言う話だが、九百九十九代と言うのは流石に長過ぎる……しかし彼の一族が先祖代々短命種族のヌル族なのだとすれば人間に比べて短い期間で代数を重ねても不思議は無いのかも知れない。
「今現在一般的に教えられている毒属性魔法の七割はワイズマン一族が編み出して来た物で、禁術まで含めれば割合はもう少し下がるんだっけ? まぁ兎に角、先祖代々毒属性の専門家の一族なのよ」
単純な攻撃力だけならば毒属性は全ての属性の中でも決して突出した物を持たない属性だが、状態異常の付与を目的とした魔法が圧倒的に多く、使い熟す事が出来れば格上の相手を倒す事すら出来る、ある意味で最強の属性と言える魔法だ。
実際、火元国を出る前に戦う羽目に成ったあの黒竜を倒すのに、酒の投槍の魔法が無ければ下手をしなくても、江戸の街は壊滅していたかも知れない。
「毒を持って毒を制すのが毒属性の本領だ、若い者の中には卑怯卑劣な絡め手の為の属性だと忌避する者も多いが毒と薬は紙一重、何時かは錬玉術で生み出される霊薬と同等の効果を持つ魔法も開発される筈だ」
と、そんな言葉から始まったワイズマン師の話に拠ると、海や湖の様な場所に住む水生生物系の亜人と言うのは割と多くの種族が存在しており、その中で地上でも水中でも生活出来る種と言うのは実は可也少数派なのだと言う。
ワイズマン師の様なヌル族も本来は海中を主な生活圏とする種族で、短時間であれば地上でも行動する事は出来るが、余りにも長い時間空気中に出ていると身体の水分が失われて命を落とす事に成るらしい。
そんな彼等が地上でこうして普通に生活出来ているのは、毒属性の魔法を使い海水に近いモノで常に自分を覆って居るからだと言う。
海水ならば水属性では無いかと思いがちなのだが、水属性で生み出されるのは多少の不純物は有れども真水で、海水並の塩分を含む水と成ると毒属性の領分と言う事に成るそうだ。
ヌル族だけで無く他の海棲系の亜人にとっても何らかの理由で地上に上がらねばならない時には必須と言って良いその魔法は、初代学長である『オクトパス・オスマン・ワイズマン』が開発した物だと言う。
そして今現在、その遥か先の子孫であるワイズマン師は、精霊魔法による霊薬の再現を目指して居り、もしもソレが成功すれば聖歌にも錬玉術にも頼らぬ第三の回復魔法と成るのだそうだ。
……うん、もしもソレが成功すれば歴史に名を残す快挙となるだろうし、多くの冒険者がモンスターとの戦いで命を落とす事も一気に減るのでは無かろうか?
けれども同時に気になるのは、今現在『回復の為の魔法』を独占して居ると言って良い聖歌使いと、彼等に能力の行使を許している神々の反応だ。
神が実在するこの世界で神々……宗教の利権に手を突っ込むのがどれ程危険な事なのか、俺には想像する事も難しい。
錬玉術は遥か昔からその土地土地の素材を使って生み出されて来た霊薬や術具を、近年に成って体系だった学問として纏め出来上がって来たモノらしいし、そうして作られた物も決して安い訳では無いので住み分けは出来ているのだろう。
しかし毒属性の使える精霊や霊獣との契約が必要だとは言え、ソレさえ出来ていれば霊薬を丸っと複製出来ると成ると、宗教だけで無く錬玉術師組合も敵に回す事に成るのでは無かろうか?
前世の世界でも、新薬と後発医薬品のシェア問題とか色々有ったが、アレだって日本政府が社会保障費を少しでも削減する為に後発医薬品を推奨していたと言う側面が有った。
恐らくは高い開発費を投じて新薬を開発していた企業からすれば、自分達が苦労して開発し面倒な治験やらなんやらやってやっと世に出した医薬品を、独占期間が有るとは言え後発企業が複製しソレを政府が推奨する事に面白く無いと感じるのが当然だろう。
ましてや此方の世界では政府の推奨が有る訳で無く、材料云々も関係無く効果だけを複製しようと言うのだ、感覚的には書店なんかで本を立ち読みし必要な情報を携帯電話なんかで撮影すると言う『デジタル万引き』にも近いかも知れない。
でもまぁ……毒属性魔法である『酒生成』で生み出せる酒は、味も素っ気も無い『甲類焼酎』や『ウォッカ』の様な物にしか成らないし、錬玉術も多少齧っている身としてはそう簡単に出来るとも思えない。
むしろ精霊魔法と錬玉術の知識を併用して素材の栽培を簡単に出来る様にしたり、手順を簡略化したり、作業時間を短縮するとかそっちの方が、実用化の目処が立つのは早いのでは無かろうか?
とは言え、彼は本気で出来ると思って研究してるんだろうし、態々ソレを口にする様な真似はしないけどな。
「まぁ……君達は精霊魔法の深淵を極め更に奥へと掘り進める為に留学して来たのでは無く、実践の為の学問として学びに来たのだろう? ソレもまた精霊魔法の在り方の一つだし重要な役目の一つだ。実用性の無い学問程無意味な存在も無いからな」
一応、前世に大学で法学を専攻していたが、俺の通っていた所は公務員に成る為の予備校と言う感じの場所で、法律や憲法なんかを真面目に研究する事を志す様な者は居なかった。
だがソレは比較的『意識低い系』の低偏差値私立大だったからで、此処の様な世界最高峰の学府ならば又違ったんだと思う。
なんせウチの大学の法学部って弁護士目指してる奴一人も居なかったもんなぁ……卒業後の進路は県内各地の役場務めが殆どで、警察や県庁に行く者すら稀と言う、マジで就職予備校的な場所だったしな。
そんな大学だから教授連中の意識も低い低い……まぁソレでも所謂Fランクとか言われる様な所よりは随分とマシだったんだろうけどね。
「但し……学内での揉め事は起こすなよ? 前回受け入れた火元国からの留学団は割と面倒臭い連中が多かったからな。本気で死者が出てないのが奇跡と言える」
ああ、うん……火元武士は誇り高い奴が多いからなぁ、他国の貴族何かと揉めたりしたのかも知れないな。
「此処じゃぁ出自やらなんやは一切考慮されないのが普通なんだけれどもねぇ、まぁ此方に居る弟子達に補助する様に言いつけて有ったから、酷い事には成らないとは思ってたけれども……」
微苦笑を浮かべてそう言うお花さん、
「南方大陸の御貴族様共と何度か抗争を起こし掛けたり、ポテ党の連中とも揉め事を起こしたりしてたな……本当に面倒臭かった」
さもうんざりとした様子でそう答える学長の様子を見る限り、本気で厄介事が多かったのだろう。
「……ウチの連中と打つかるとしたら、その二者が多いって事ですね。前者は何となく解りますが、そのポテ党と言うのはどんな者達なんですか?」
一緒に居る面子を代表して聞いた事の無い単語について、俺は二人に問いかけたのだった。




