九百三十四 志七郎、銭の使い道と犯罪組織について考える事
身に付ける事が出来れば割りと簡単に銭を得る事が出来る錬玉術を学ぶ為、北方大陸に着いた時点で船を降りたのは比較的家格の低い家の者達で、西方大陸にやって来た者は大名家の出だったり旗本でも上位だったりと裕福な者が多い。
今、朝帰りをブチかました者も、東西南北――いや南町は件の事で御役御免になっていた筈なので、他の三家の何処かだろうが――町奉行の三男坊と、幕府の中でも重鎮と呼んで差し支えない家の出だ。
それ故……と言う訳では無いのだろうが、此方に残った連中は銭使いが荒い者が割りと多い様に思える。
江戸で春を鬻ぐ見世も下は一発二十四文の夜鷹から、上を見れば青天井の太夫を抱える楼閣とピンからキリまで存在するし、その辺の相場事情は此方の大陸でも然程差は無いだろう。
とは言え、それ相応の格を持つ家の子弟が、どんな病気を持っていても不思議の無い安い女郎屋で遊んで、実際に病気を貰いソレを治す為に霊薬を買う……なんて事に成れば霊薬代の方が高く付く事位は知っている筈だ。
と成れば彼が遊びに行った先は此の街でもそれ相応に格の有る娼館の筈で有る。
当然そうなれば御銭も相応に張るのが当然なので、此方でも鬼斬……いや冒険者として活動し収入を得てからならば兎も角、今の段階で使った銭は火元国から持ってきた物と言う事に成るだろう。
いや……まてよ? 確かこの人は船の中でスクリューを回す為の動力を発生させる自転車によく似た術具を積極的に漕いで居た内の一人だった筈だ。
という事は船の上で稼いだ銭を使って早速大盤振る舞いして来たのかな?
それでもこの先どんな事が有ってどれ程入用に成るか分からん事を考えれば、もう半月位は待てない……物だよな。
考えて見れば便所以外の数少ない個室は、船長一家以外は女性陣の寝所として使われており、留学生に個人的な空間は一切無かった。
そんな状態だから丸っと一ヶ月以上、艶本を手に自分を慰める様な事も出来ず、溜まる物が限界まで溜まっていて当然である。
前世に何かの本で読んだ記憶に拠れば、一般的な成人男性は三日間禁欲するだけで陰嚢が満タンに成るまで溜まる物だ言う話だった。
俺だって前世に三十路を回った身体にまで成長した事が有る、彼の様な十代後半のヤりたい盛りの猿の様な溢れんばかりの性欲は経験して居るし、あの頃は剣道の稽古なんかで余程疲れて無い限り一日一発は余計な物を絞り出した物だ。
実際には個人差も有るだろうし、三日に一回と言うのは必ずしも根拠の有る話では無いのだろうが、ソレでも一ヶ月以上も我慢を続けていたのであれば欲求不満に成って当然である。
男ってのは色事方面に関して馬鹿に成る物だ、ソレを自制出来る者が傑物と言われるのだろう。
「ミェン一家とドン一家ですか……此処に着いた時にお花さんの弟子の方から受けた説明には出てこなかった名前ですが、どう言う連中なのかまでは聞いていますか?」
ヤる事だけが目的の安い娼婦ならそうした噂話もろくに出て来ないのだろうが、彼が行ったであろう其れ相応の格が有る娼館ならば街の噂の一つや二つは睦言代わりに引き出せる事も有る筈だ。
実際、吉原の太夫辺りだと床入りするのはオマケに過ぎず、彼女達と一晩掛けて遊んだと言う事が大事で、そうした色事以外の時間をどう使うかが其の者が粋人か野暮天かを分けるのだ……と三阿呆と呼ばれる家臣達から聞いた覚えが有る。
「ああ、昨夜行った飲み屋で聞いたんだが……」
と、そんな枕言葉から始まった話に拠ると、精霊魔法学会とこの屋敷が有る街区は比較的治安の良い場所なのだが、その隣に有る街区は元々縄張りにしていた犯罪組織が壊滅した事で半ば無法地帯化して居るのだと言う。
そんな場所を奪い合っているのがミェン一家とドン一家と言う二つの犯罪組織なのだそうだ。
その上でミェン一家は東方大陸からの移民達の互助会が先鋭化した物で、比較的新しい組織なのだと言う。
対してドン一家は割りと古くから此のワイズマンシティに住む者達の自警団が前身で、他所の大陸や都市国家からの移民達が纏まって犯罪組織を形成しソレに対抗して行く内に、自分達も犯罪組織に成っていったと言う経歴らしい。
此のワイズマンシティの定住人口は公称で大凡十万人、ソレに加えて精霊魔法学会で学ぶ為に居留して居る学生や研究者が大凡一万人程で、火元国で言うならば大藩の藩都並の都市で有る。
その中で其れ相応の勢力を持つ犯罪組織と言うのが、どれ程の規模なのかは分からないが、組織立って行動出来ている事を考えるに百人以上居ると言う事は無いとは思う。
無論、ソレは飽く迄も正式な構成員の話で、末端の協力者まで含めて考えるとその数は一気に膨れ上がる可能性は有る。
とは言え俺が死んだ当時の日本の人口が一億三千万程、その中で暴力団員は大凡一万三千人程と割合で言えば一分でしか無かった。
まぁソレは世界的に見ても治安が良いとされて居る日本の、ソレも半グレ等と呼ばれていたストリート・ギャングの類を数に入れていない数字なので、ソレをそのままこの国にブチ込むのは一寸違うだろう。
「そんな訳で、暫くは隣の……えーっと、ああ、チャーターヒルとか言う場所にゃぁ近づかない様に皆に言って置かねぇとな。揉め事も殴り合いの喧嘩程度なら兎も角、万が一にも殺っちまうと、組織総出で御礼参りに来るらしいから注意しとかねぇと……」
流石は町奉行の子と言う事なのか、ただ単純に色事に感けていた訳では無く、此の街で生活する上で必要に成るであろう情報を集めて来た様だ。
ただまぁ敢えて『酒場で聞いた』と言ったのは、未だ幼いお連を相手に娼館やらなんやらの下世話な話を聞かせない為の気遣いなのだろう。
事実、一晩中呑んでいたにしてはその身体から酒臭さは殆ど嗅ぎ取れない、代わりに鼻を付くのは華尼拉の様な甘ったるい化粧品の物と思われる匂いだった。
……まぁ、前世の日本と違って十八禁なんて考え方の無い火元国では、お連の年頃でも女衒に買われて女郎屋で禿と呼ばれる下働きをしていたりする事も有るし、知っている者ならば知っている事では有る。
ソレでも子供に色事は未だ早いと考える事が出来る彼は、割りと良識人なのかもしれないな。
そんな事を考えながら思い返して見ると、上陸から然程も経たない内に娼館へと夜遊びしに行く程に溜まっていた割に、彼はお連を相手にそう言う目を向ける様な事は無かった様な気がする。
溜まっているのは他の野郎共も同じな筈だし、お連を相手にそう言う視線を向ける様な奴は変態の類にしか思えないのだが……船旅に慣れた船員は兎も角、俺達と一緒に来た留学生の中には少なからず居たんだよなぁ。
流石にGoタッチした奴は居なかったので、俺がどうこうする様な事は無かったが、実際にやらかした奴が居たら大人の良識とか、元警察官としての矜持とか関係無く打った斬ってたと思う辺り、お連に対して執着心の様な物を持ち始めてるのかも知れない。
ちなみに船内でそう言う目線を向けられて居た中には、俺や武光なんかも含まれていたりするのは、衆道が比較的一般的にも浸透して居る火元国故と言えるだろう。
前世にもそう言う趣味の者にそう言う視線を向けられた事は何度か有るが、毎回尻の辺りから背中に掛けてゾワゾワとした寒気が走るんだよなぁ……。
『可愛ければどっちでも良い』とか『お○お○ん付いてるからお得』なんて言うのは、向こうの世界の国際電子通信網の世界でも言われていたが、そ~言うのは女装をした所謂『男の娘』にだけ向けられる物じゃ無いだろうか?
お花さんの屋敷ではそれぞれの身分に合わせた広さの個室が与えられていて、溜まっている奴もある程度『処理』出来たとは思うが、ソレでも尻には気をつけておこう。
「御前様、そろそろ朝餉の頃合いでは無いですか? 連お腹すいちゃいました」
そんな事を考えつつ、俺はお連に促され手を引かれるままに食堂へと向かうのだった。




