九百三十 志七郎、出航を見守り責任を感じる事
「乗船予定者名簿と本人の確認完了しました!」
「手荷物検査も完了、御禁制の品無し!」
「役人の積荷検査の結果と現物の突合せも完了、一切問題無し!」
「密航者は居らず、ミャー子達が鼠が居ると思わしき反応を見せていましたが、乗客名簿にも記載されて居る霊獣でした!」
乗船や荷物の積み込みの為に出ていた小舟が全て湊へと戻ったのを確認し、虎乙女の団の海賊達が吉人殿の所へ次々報告へと走って来る。
海賊と言うと船を塒に海を荒らし回る荒くれ者の集団……と言う感じだとばかり思っていたのだが、下手な警察署なんかよりも余程統率も取れているし、税関の職員も斯くや有らんと言わんばかりに手慣れた様子で荷物の検査なんかも確りとして居た。
虎乙女の団は無辜の民を襲う様な狭義の意味での『海賊』では無く、賞金が掛けられた他の海賊を狩ったり戦争状態に有る敵国の船を狩る『私掠船』の方が近い立ち位置なのだとは聞いていたが、多分獲物が居ない時には『荷運び』なんかの仕事もして居るのだろう。
つか考えて見れば江戸湊も含め、湊に船を入れる際に海賊旗を掲げた侭で入る様な真似をすれば、現地の海軍や治安組織に喧嘩を売る様な物だし、当然『表向き』の商売を偽装して入る位の事はする筈だ。
各地の船乗りや港湾関係者もその正体が海賊だと知っていたとしても、自分の所で暴れないので有れば、態々藪を突いて蛇を出す様な真似はせず普通の船として扱うのが慣例だと言う。
悪党側の海賊だとしても略奪だけで全ての物資を手に入れる事が出来る訳でも無く、時には綺麗なお姉ちゃんの居る見世で飲みたいと言う様な事も有る訳で、彼等も『絶対に暴れない拠点と成る港』を決めているのが普通なのだそうだ。
そうした拠点の港にとっては他所では悪党外道の類だとしても、其処では気前良く大枚を叩いて遊んでくれる上客に成るのだから、余程名の知れた賞金首でも無い限りは見逃してお金を落として貰った方が良いと考えても不思議は無い。
「良し! 出港準備開始! 帆を張れ! 錨を上げろ!」
船の先端近くに有る一段高い所に設けられた操舵室で舵輪を握った吉人殿がそう叫ぶと、主檣近くに居る船員が銅鑼を何度も打ち鳴らす。
其の音は吉人殿の声が届かない様な後檣の上に居る船員達への合図なのだろう、銅鑼の音が響き渡ると同時に帆を縛る縄を解き放つ。
帆船の帆と言うのは縄を解いたからと言って勝手に広がる物では無い、特に此の船の様に一つの帆柱に何枚もの帆布が複雑に取り付けられて居る様な船では、帆を張るだけでも何人もの船員が力を合わせて操作する必要が有るのだ。
しかし此の船は恐らく何らかの術具が使われているのだろう、止め縄を解くと其々の帆が丸で追い風を一杯に受けた彼の様に一気に広がり、パンパンパンッ! っと音が聞こえる程の勢いで次々と張り詰める。
錨も本来ならば多数の男達が協力して『捲揚機』と呼ばれる樽状の装置に棒を取り付けた『某世紀末漫画の発電機』の様な物を回して巻き上げるのだが、此方の方も術具が使われいる様で操作棒一つで自動的に捲揚機が回り続けていた。
術具が有るのに捲揚機其の物が撤去されて居ないのは、恐らく何らかの理由で術具が破損した際に、人力でも巻き上げる事が出来る様にする為なのだろう。
錨に繋がれた鎖がピンっと張り積めると、其方に引っ張られる様にして船が少し横滑りしてから、風に吹かれ少しずつ前へと動き初めた。
「行ってきまーす!」
「絶対帰って来るぞー!」
「俺、帰ってきたらあの子に結婚を申し込むんだ!」
「未だ見ぬ外つ国よ! 絶対に負けねぇぞ!」
「父上! 母上! 御身体御気を付けて!」
「爺! 俺が帰って来るまでくたばるんじゃねぇぞ!」
徐々に速度を上げていく船が江戸湊から離れて行く中、手を大きく振りながら皆が思い思いの言葉で見送りに来た者達に声を掛けるが、多分此処からでは湊の者達には聞こえないだろう、其れでも声を張り上げる気持ちは……まぁ理解出来る。
実際、眼球に氣を集めて湊の方を見てみれば母上や姉上達が両手を振って口をパクパクと動かして居る姿が見える辺り、声を張り上げて見送りの言葉を口にして居るのだろう。
しかしそうした言葉は船が波を掻き分ける音に打ち消されて聞こえて来る事は無い。
「風を捕まえた! 速度が上がるぞ! 客を船室に入れろ、先ずは予定通り世界の最果て岐洲大島へと進路を取る!」
「「「アイアイキャプテン!!!」」」
大半の船員達は船長で有る吉人殿よりも年嵩の者達なのだが、彼等は素直にそう返事の声を上げると、最早米粒程の大きさすら見えない程に遠ざかった湊を名残惜しそうに見つめる乗客達を船室へと案内し始めるのだった。
今回乗船した寅女王号は概ね三層構造と成っており、最下層が倉庫で船旅の最中に使う予定の無い荷物や、何処かへと運ぶ予定の品物は全て其処に仕舞われている。
とは言え、一つの大きな倉庫が有ると言う訳では無く、万が一にも船底に穴が空いたりしたとしても一気に沈む事が無い様に、隔壁で区切られた比較的小さいと言える倉庫が幾つも有る構造だ。
また此の船最大の特徴と言える錬玉術で作られた術具の『原動機』や、其れを動かす為の霊力を発生させる装置なんかが有るのも最下層の一角で有る。
二層目が多くの者が此れから暫く続く船旅の間一番長く居る事に成るであろう生活空間で、此処は外周部に幾つかの個室が配置され、其れ等に取り囲まれる様にして大部屋が有ると言う様な構造に成っている。
そして上甲板の直ぐ下の階層は厨房や風呂に娯楽室等の生活する為の施設が有り、船員達が寝起きするのもこの階層だ。
更にその上には船首楼や船尾楼と呼ばれる部分が有るが、此処ら辺は船長一家の個人空間だったり、船の運行の為の施設だったりと言う理由で、渡航団の面子は基本的に立ち入り禁止と言う事に成っている。
「幕府から配布された『旅の栞』に拠ると船内での揉め事は御法度、もしも船員や船長に対して意見を具申せねば成らぬ時には、鬼切童子殿に先ず話を通す事……と、書かれているのは一体如何なる故だろうか?」
二層の大部屋で幾つも吊るされた釣床と、其の下に置かれた小さな鍵付きの木箱を其々専用に……と案内役の船員が割り当てて居ると、近い場所に寝る事に成った先輩が藁半紙を閉じた冊子を手にそう問いかけて来た。
「其れは此の船の持ち主が俺の伯母上に当る方で、船長が従兄だからでしょう。船の上では例え上様でも船長に逆らう事は許されて居ないと栞にも有る通りですが、親戚筋で有る俺が話を持っていく分には角が立ち辛いと言う訳です」
恐らくは其れだけでは無く、俺が過去世持ちで有る事を承知して居る上様や御祖父様辺りが『年長者として引率しろ』と言う様な意味も込められて居るのは間違いない。
実際、問いかけて来た先輩は今回の渡航団の中では年長者に区分出来る年齢では有るが、其れにしたって未だ二十歳を回って居ない若者で、一度三十路を超えた事の有る俺から見れば口汚く『若造』と言い切ってしまえる年頃の者で有る。
彼は確か西方大陸に精霊魔法を学ぶ為に渡航する佐崎藩主右近家の三弟で、名は國満殿だったかな?
佐崎藩は江戸から然程離れていない場所に有る海沿いの藩で、東街道には直接面して居ない事から通った事は無いが、漁業や海苔の養殖なんかで利益を得ている中藩に区分される土地だった筈だ。
「成程な、確かに縁者が物申すと言うのは筋が通っている。今回の渡航団では拙者が最年長故に皆の纏め役と成るべきだろうと思っていたのだ。うむ、もし貴殿の手に負えない面倒事が有れば何時でも相談してくれ。中には家格を盾に無体を言う者も居るだろうしな」
……國満殿は前世で言う所の『学級委員長』気質なのだろう、其の言葉に含む所は無く完全に善意で言っている様に見える。
にしても此れから西方大陸西岸部に到着するまでの間、俺は修学旅行の引率をする教師の真似事をしなければ成らないと言う訳か……。
アレ地味にキツイ仕事だって前世の親友が言って居た覚えが有るんだよなぁ。
しかも今回は人数に対して決して広いとは言い難い空間に詰め込まれた若い連中が『私生活ナニソレ美味しいの?』と言いたく成る様な生活を強いられる訳だから問題事は山程出るだろう。
途中で水や食料の補充の為に外つ国の港に寄港する事も有るだろうし、そんな時には一時的に船を降りて観光の真似事が出来る時間が有るかも知れないが、そんな時に戻って来ない者の心配なんかをする羽目に成るかも知れない。
成程な……胃に穴が空いたり鬱病を患う教師が多く成る訳だ、俺には彼等の命を預かる義務が有る訳では無いと言うのに、そうした騒動を想像しただけで胃が痛い。
同じ公務員と言う括りで公立学校の教師に成る道を選ばず警察官に成って良かった……と俺は前世の自分を褒めつつ、しくしく痛み始めた胃の辺りを擦るのだった。




