九百二十八 志七郎、動物達を預け神の試練を思う事
「四煌戌達も焔羽姫も仁一郎兄上や其の部下達の言う事を良く聞いて良い子にしてるんだぞ。船の上じゃぁずっと一緒って訳には行かないが、西方大陸に着いたらちゃんと召喚するからな」
普段は猪山屋敷内の長屋に有る俺の部屋の窓下を寝床にして居る彼等だが、西方大陸へ渡航する為に寅女王号に乗船して居る間は仁一郎兄上の飼う馬や犬達と一緒に厩舎の方で寝起きする事に成っている。
猪山の馬産は何も父上の代から初めた事では無い、小藩が持つには不相応に広い敷地を持つ下屋敷の一角には牧場と言って差し支えの無い場所が有り、折角の土地を遊ばせておくのも勿体無い……と武士とは切っても切れない騎獣の養育を初めたのだそうだ。
兄上や父上の様に優駿を制覇する程に飛び抜けて馬術に長けた者は流石にそう何人も居る者では無いが、歴代の先祖の中には同様に馬比べ場での賞金を小遣いにした者はそこそこ居るらしい。
「怪童丸も義兄様達の言う事を良く聞いて良い子にしていて下さいましね」
「く~ん」
なお、お連が連れてきた熊の怪童丸も同じ厩舎に居るのだが、仁一郎兄上が鍛えた馬達は捕食者でしか無い肉食獣に怯える事も無く、寧ろ『どっちが格上か教えたろかい』と言わんばかりに威嚇した結果、怪童丸の方が腹見せ降参した……なんて事も有ったりした。
……獣神の加護を受けた仁一郎兄上に育てられた生き物は、本来食物連鎖の可也下の方に位置し烏の様な猛禽ですら無い雑食鳥にすら狩られる鳩でも、群れる事でそこそこ格の高い鬼や妖怪を倒して持ち帰るなんて真似が出来る様に成る。
そんな兄上が本腰入れて軍馬として育て調教した馬は、鬼熊の様な妖怪化した相手ならば兎も角、怪童丸の様な未だギリギリ『若熊』にも届かない『子熊』に気組みで負ける訳が無いのだ。
俺とお連が外遊して居る間は仁一郎兄上が怪童丸の面倒を見てくれる事に成っているので、多分帰って来る頃には彼も普通の熊とは言い難いトンデモ生物に成長して居るんだろうなぁ……。
首の周りに有る白い毛から察するに怪童丸の品種とでも言うべき物は所謂『月輪熊』なんだと思うが、仁一郎兄上の手に掛かれば『羆』を相手取って勝つ様な化け物に育っても不思議は無い。
帰ってきたら頭部から背中に掛けて毛が赤く染まり、江戸州内の熊を従える親分熊に成って居ても驚かないぞ。
まぁ其の場合には仁一郎兄上が育てた猟犬が、超高速回転しながら飛んでいく様な必殺技で首を落として仕留める未来が待っているだろうし、そもそも兄上が躾を間違える様な事が無けりゃそんな事には成らんだろう。
ちなみに四煌戌や怪童丸の食餌代やその他養育に掛かる経費は、本来俺達が自分で稼いで出すのが我が家の取り決めに乗っ取った形なのだが、今回は理由が理由であるが故に母上の稼ぎから出して貰える事に成っている。
四煌戌の食餌代だけでも銭で贖えば一日一両を軽く越えるんだが……母上は其れを更に越える稼ぎを叩き出す自信が有るんだろうな。
つい先日もお花さんの『瞬間移動』の魔法で態々外つ国まで出向いて博打で一稼ぎして来たらしいしなぁ……。
「連は向こうに着いても怪童丸を簡単に呼ぶ事は出来ませんけれど、その分義兄様が美味しい物を食べさせてきっちり鍛えてくれると約束して下さいましたから、行儀良くして強く成るんですよ」
にしても……動物の飼育が子供の情操教育に良いと言うのは本当の事なんだな。
初めて会った時には只々母親に言われた通り『俺の妻に成る事』だけを考え、自分自身と言う物を殆ど持っていなかった様に思えるお連も、怪童丸と言う『自分が守り育てる存在』を得た事で一気に年相応以上に『お姉さん』の顔をする様に成っている。
「輝騎も手騎の言う事さよーく聞いて、きっちり調教受けるだよ。オラも向こうさ着いたら牧場ば見つけてちゃーんと召喚するかんな」
俺達同様に霊獣を此処に預けた侭で渡航する事に成る蕾も、長く離れる事に成る相棒に対して其の鬣を優しく撫でながらそう言い聞かせている。
蕾は仁一郎兄上を手騎と呼ぶが、ソレは馬の調教師を指す彼女の国の言葉らしい。
実際には下屋敷に設けられた馬場の責任者は兄上では無く、町人階級の経験豊富な馬喰が何人か雇われている。
しかし兄上が幼い頃は兎も角として、そこそこの歳に成ってくると獣神の加護を持つ兄上が直接調教した方が圧倒的に強い馬を育てる事が出来る様に成っていった。
恐らく兄上が嫡男で無かったならば彼等の多くは失職し、兄上が生きている間は彼が強い馬を作り続ける事に成っただろう。
けれども兄上は近い内に父上から藩主の座を受け継ぐ事に成り、馬や犬に鳩の養育に割く時間は今までの様には取れなく成るのは確定で有る。
故に今は比較的若い馬喰達も雇入れ、彼等に老人達と兄上が得た技術や経験を惜しみ無く伝授して居る所だ。
同様に犬の調教や鳩の育成に関しても兄上の弟子と呼べる町人階級の下男が何人か居るのだが、流石に神の寵愛を受けた兄上程の『化け物』を育てる事は出来なく成るだろう……成るよな?
神の加護と言う物は必ずしも生まれながらに持つとは限らず、長年の修行が認められ神の加護を後天的に与えられると言う案件も決して少ない訳では無い。
と言うか、寧ろ生まれながらに優れた能力が約束される形で与えられる者よりも、求道の結果『神の使徒』として加護を与えられる者の方が圧倒的に多い。
我が家は兄弟全員が生まれながらの加護を持つが、一世代にこんだけ纏まって加護持ちが生まれるなんてのは前代未聞の事態だし、江戸に居る加護持ちの大半は後天的に神に認められた存在だ。
毎年『食神の加護を得るに相応しい者を選別する』と言う名目で行われる料理大会が有ったり、相撲の『本場所』も『武神 誉田様』の加護を得るに相応しい力士を選抜する為に行われて居たりするのが其の証拠と言えるだろう。
しかし食神の加護を持つ者は江戸州内に居るのは睦姉上を含め片手の指で数えられる人数しか居らず、火元国中を見渡してやっと両手の指に多少余る程度……と言うのだから神の加護を持つ者の稀有さが解ると言う者だ。
同時に『神の加護を持つ者は相応しい苦難も待っている』とも言われて居り、七兄弟全員がそうだと言う我が家……いや火元国に本気でこの先どんな天変地異が起きても不思議は無いだろう。
そして当然、そんな騒動の渦中に居るのは俺達猪河兄弟と言う事に成る筈だ。
父上や母上は生産責任者として諦めて貰うにせよ、領民や家臣達は完全に巻き込まれた立場だが……其処は封建社会故に頑張って耐えてくれと言うしか無い。
御祖父様辺りは其の辺も考えた上で俺を鍛え、一朗翁や彼の運営する鈴木道場の師範代を務める万助に同じく道場を経営する猪牙の従伯父上も猪山藩全体の武力を底上げするべく全力を尽くしている。
俺が生まれる前の時点で神の加護を持つ子供が六人も続いたのだ、その時点で『六道天魔の乱』と同等か其れ以上の困難が火元国を襲う予兆と考えても何ら不思議は無いだろう。
『一回ならば偶然でも三回続けば必然』なんて言葉を前世に聞いた事が有るが、七人続けばそりゃ天変地異とか其れに近い化け物が現れる物だと考えるのは当然の事と言えるかも知れない。
猪山藩だけでは無く上様や幕府も当然の事実として其れを受け止めているのだろうから、今回の海外留学も来るべき日に備えて少しでも戦力の充実を図る為の方策なのだろう。
「余の黒江は何時も通り畑仕事の手伝いをしてる方が良いだろうし、お忠の白影は体格が体格故に食う飯の量もたかが知れているから連れて行っても問題有るまい。但し吉人殿から船には鼠退治の為に猫を飼っていると聞いているから食われぬ様気をつけろよ?」
『船乗り猫』なんて言葉がノートPCに落として有る某巨大百科事典にも乗っている位、猫と船と言うのは古い時代から切っても切れない間柄だと言う。
船の中で壁に穴を開け食料を盗み食いし病気を媒介する鼠は古来より船乗りの敵なのだ、其れを狩る可愛い猫が船乗りに愛されるのは当然の事だろう。
「白影はぐうたらで御座るから飯を食う時と拙者が魔法を使う様に命じた時以外は、此処で寝てるだけなので大丈夫で御座ろう……大丈夫で御座るよな? 白影よ、間違っても船の中で勝手な真似をする様な事だけは無い様にな?」
武光の言葉に未だ成長の兆しを見せない真っ平らな胸元に手を突っ込み、己の相棒の所在を確かめたお忠は、だんだん不安に成ってきたのか徐々に声を弱くしつつそんな事を言うのだった。




