九十一 志七郎、名付け契約する事
「結論から言います。直ぐに命名と契約を執り行い、その上で適切な処置をしなければこの子達は長く保ちません」
子犬の様子を見たお花さん――彼女がそう呼ぶ様に言った――は先程までの茶目っ気たっぷりな表情を改め、至って真面目な顔でそう言った。
「……やはり、ですか」
兄上はその結果を予想していたらしく、暗い面持ちで俯きそう言葉を口にする。
「自分を責めちゃだめですよ。四色霊獣の幼体なんて扱える者の方がレア……珍しいんですから。むしろ良くここ迄保たせたと思いますよ」
二人の話を総合すると子犬は栄養失調に近い状態なのだそうだ、ただしそれは肉体的な物では無く魂が、と言う話だが。
「石喰い鳥を主に与えて居たのが良かったんでしょうね。石喰い牛が主食だと完全に風の力が足りなかったでしょうから」
お花さんの話に拠ると、霊獣と言うのはその身に宿した精霊の力に見合った食事を取ることで成長するのだそうだ。
火の精霊を宿して居るならば火の属性を持つ獲物を、水の精霊ならば水の……と言った具合だ。
この子は四属性全てを宿している為に、全ての属性を満遍無く取り入れねば成らないのだが、四属性全てを宿した食材と言うのは限りなく稀なのだそうだ。
石喰い鳥はその稀な食材の一つでは有るが、火水土の三つが強く風は微量に含まれる程度なのでそれだけでは足りなかったらしい。
尋常ではない食事量はそれを補おうとするが故なのだそうだ。
兄上はその食事量でありながらあまりにも遅い成長速度を訝しんで居たのだと言う。
「火元国、火竜列島ではこれほど強い精霊を宿す生き物は、先ずお目にかかれません。氷狼や炎狼よりもなお強い、竜と同等の潜在能力が有るようですから……」
並の霊獣ならば兄上の指示で全く問題が無かったのだが、この子達は並の範疇では無いらしい。
この世界に置いてもドラゴンは最強、最高峰の存在である。四属性全ての高位精霊を宿すのはドラゴンだけなのだそうだ。
ドラゴンと同等の能力を持ち得ると言うのだから、そりゃザラに目にする物ではないだろう。
「まぁ、精霊の力とその法則については、そのうち講義をするとして……。この子には四つの名前が必要よ、火の頭、水の頭、風の頭、そして一体の霊獣としての名前をね」
より強い霊獣へと育てるには名が体を表していなければ成らないのだそうだ、その上で武士の家に相応しい名前を与えねば成らない。
火の精霊、水の精霊、風の精霊、3つの首それぞれが別の力を宿しており、土の精霊はその肉体全てに宿っているらしい。
火を宿していると言う首は真ん中のやんちゃ坊主、言われてみればその瞳は燃えるような赤、いや深い深い紅の瞳、そして口から覗く牙は焔で鍛えられた鋼の色をしている。
水を宿すは左の首のんびりとした個性を持つ子で、この期に及んで大きな口を開けあくびをしている、瞳の色は深い蒼なのだがその瞳は鏡の様に覗き込む俺の顔を良く映していた。
風を宿すのは右の首、臆病な寂しがり屋だと思っていたのだが、その魂を支える風の栄養が足りなかったから、何時もひもじさの様な物を感じていたのだろう。
その瞳は緑、新緑の若葉よりも鮮やかな翠、吹かれても吹かれても散らぬ生命力を感じる色だ。
それらを繋ぐ一匹分の身体、その4つの足は体格の割に太くきっと大きく育つであろう事は想像に難くない、その毛皮は体格の割に厚く長ずればきっと並の刃や矢に負けることは無いだろうと思わせる。
こうして改めて見れば、この子達の内に秘めたる力その片鱗は見える気がした。
俺は一度目を閉じ改めてこの子達の名前を考える。
この子達に相応しい、力強く優しく美しい、そんな名前を。
「火の力を宿す首には『紅牙』、水の力を宿す首には『御鏡』、風の力を宿す首には『翡翠』、そしてそれらを纏めて『四煌戌』」
どれほどの時間が経ったのか、或いはほんの短い時間だったのかも知れない。
事前に幾つか候補は考えていた。
だが深い深い思考の果てに口を突いたのはその中のどれでも無かった。
ふと思い付いた、いま思い浮かんだ名だ。
しかしそれは、俺の魂の奥から浮かんできた物の様に思え、不思議としっくりと来る物に思えた。
呟く様にそれを口にすると、彼女は一つ頷き胸の前で両の手を組み口を開いた。
「赤の魔女が告げる、この世に降り立つ新たな御魂、その名を世界に刻む神よ、照覧あれ。彼の者名は『紅牙』『御鏡』『翡翠』そして『四煌戌』」
彼女の声にに呼応し、衣に描かれた魔法陣に蒼い炎が迸る。
その光は次第に強く、大きく成って行く、衣に描かれた無数の魔法陣は布面の範疇に収まる事無く広がり、床に壁に天井に周囲を余すところ無く照らし輝かせた。
その魔法陣は書庫で読んだ精霊魔法の教本で見た覚えが有った、強い霊獣との契約を結ぶ際に使われる物だ。
「契約の言葉を、わたくしに続けて復唱を」
「はい!」
この魔法陣の中には俺と彼女、そしてたった今名前を与えられたばかりの子犬……四煌戌、二人と一匹だけしか居ない、この中だけが世界から切り離されたのだ。
通常、下位の精霊なら魔法陣等無しでも無条件で契約をする事ができるが、この魔法陣を用いる程の強力な霊獣や魔獣と契約をするならば、相手を倒し屈服させる必要が有る。
高位の精霊を宿す彼らが全力を出せば、例えそれが人里離れた世界の果てで有ろうとも、大災害と言えるレベルの被害が出る。
それを避け、互いに悔いなく闘う為の最高の舞台なのだ、本来は。
「古の盟約に基づきて、天と地に満ちたる数多の精霊とそれを宿せし魂に誓う」
「古の盟約に基づきて、天と地に満ちたる数多の精霊とそれを宿せし魂に誓う」
粛々と紡ぎだされる言葉を、一言一句間違いない様復唱していく。
だがこの子達は死神さんから授かった俺の魂の一部とも言える存在、契約を望まぬ理由も無く、むしろ本来ならば生まれた瞬間に自動的に結ばれて居るはずの事なのだ。
「我が名は猪河志七郎、天と地の狭間に生きる者。彼の者、紅牙、御鏡、翡翠、四煌戌。四精を宿せし四つの魂と、魂の契約を望む者也」
「我が名は猪河志七郎、天と地の狭間に生きる者。彼の者、紅牙、御鏡、翡翠、四煌戌。四精を宿せし四つの魂と、魂の契約を望む者也」
自身の名前と子犬達の名前、それらを口にした時その間に何か不思議な繋がりの様な物が結ばれたのを確かに感じた。
いや、きっと元から有った物なのだ、ただそれを俺は今まで認識出来て居なかっただけなのだろう。
「我ら御魂別つは死出の旅路のみ。我ら御魂は常に共に有り、我が声は無限の彼方を隔てようとも彼の者を呼ぶ」
「我ら御魂別つは死出の旅路のみ。我ら御魂は常に共に有り、我が声は無限の彼方を隔てようとも彼の者を呼ぶ」
それは彼らから俺、俺から彼らその双方を繋ぐだけでなく、その繋がりを通じて氣とはまた別の、なにか熱い何かが互いに流れだしそして流れこむ。
「その代償に我が魂を差し出さん、我が魂は常に彼の者と共に有り」
その熱が最高潮に高まった、そう感じた時言葉は自然に口を突いて出た。
「「「今、この場にて契約は成った。我と汝、その魂は常に共有り、我が命果てるまで御身の側に」」」
3つの口から揃って溢れでたその声は、犬の鳴き声では無くそう言っている様に俺の耳には聞こえた。




