九百二十七 志七郎、再び名付け契約する事
生き物の成長は早い、いや人間の成長が他の動物に比べて遅すぎる……と言うべきだろうか?
極々稀な例外を除いて多くの動物は人間の様に二十年近い年月を掛けて大人に成ると言う事は無く、早けりゃ一年程で長くとも四、五年も有れば成獣と成り繁殖活動を始める者が殆どだ。
とは言えそうした成長の早さは、其の侭寿命の短さだと言っても大凡間違いでは無いのだろう。
しかし人間の寿命を大凡百年と仮定し、猫の寿命を大体二十年と仮定すると、前者が十五~二十年で大人に成るのに対して、後者は大凡一年で成獣と成るのだから、一生の内で子供で居られる期間の割合は人間がやはり長いと言えるのでは無かろうか?
まぁこの辺は殆どの動物が産まれて直ぐに立って動ける程度まで母の胎で成長するのに対して、人間は自力じゃぁ只々泣く事しか出来ない程に未熟な状態で産まれてくる事を考えれば子供の期間が長いのも仕方無いのかも知れない。
……と何故、冒頭からこんな話をして居るのかと言えば、
「ぴちゅん! ちゅちゅん!(名前! 私も名前!)」
ヒヨコがとうとう自力で宙を舞い、早朝稽古前の散歩の間ずっと空を飛んで俺達の上を着いて来る事が出来る様に成ったからだ。
京の帝から賜った養育指南書に拠れば、自力で空を飛ぶ様に成ったこの辺りが『雛』と『若鳥』の境目で、此れ位の成長段階で名付けと契約を行うのが良いと言う事だった。
ちなみに大きさとしては普通に立った状態で足から頭までの高さが三尺三寸程で、重さは八貫目と言った所だ。
仁一郎兄上が飼っている鷹狩り用の鷹が大きな者でも大凡二十六両程度なのを考えると、ヒヨコが鳥としては可也重い事が分かって貰えるだろう。
ノートPCに落として有る某巨大百科事典の記事に拠ると、向こうの世界最大の飛ぶ鳥はコンドルで、其の体重が最大級の者でも四貫目だと言うのだから、この時点で向こうの世界基準で見れば『何故飛べる?』と言う事に成る。
しかも今の段階で成長が終わったと言う訳では無く、此処から更に大きく育つのだと言うのだから、此処が幻想世界だと言う事を否応無しに思い知らされる様にも思えた。
何はともあれ渡航前に名付けと契約が間に合うのは本当に有り難い、なんせ四煌戌と此奴の食餌は並の……いや、猪山の者基準から見ても膨大と言える量に成る。
其れを全て事前に用意して船に積み込むと、其れだけでも可也の重さで場所も取る事に成るし、何よりも保存食ばかりで新鮮な物を食べさせて上げられ無いのは彼等の健康な成長を考えても余り宜しいとは言い難い。
しかし契約が済んでしまえば必要な時以外は江戸の屋敷に送還し、此方で食餌を用意して貰えば必要と成る属性も栄養も含んだ物を満遍無く食べさせる事が可能だろう。
「我猪河 志七郎が告げる、この世に降り立つ新たな御魂、その名を世界に刻む神よ、照覧あれ。彼の者名は『焔羽姫』」
此の世界に置いて名前を付けると言うのは軽い事では無い、此の世界で産まれた者は皆、神々が管理する世界樹に情報が登録され初めて正式に此の世界に生きる者と成る。
だからと言って其処等辺に居る普通の動物や、名を持たない霊獣が此の世界に全く縛られない存在なのかと言えば必ずしもそうと言う訳では無く『〇〇A』とか仮名称で世界樹には登録されて居ると言う。
だがそうした仮名称の存在は非常に揺らぎやすい物で、一寸した外的要因で容易く変質してしまうのだそうだ。
固有名称を持つ魔物が同族よりも圧倒的に強いのは、其れだけで安定した存在だと言う事でも有る。
其れが世界樹を奪う為に異世界からやって来る筈の者達にも適用されるのは、固有名称を持つ者が元の世界の神々が直接管理する『使徒』とでも言うべき存在だからだそうだ。
兎角、此方の世界では前世の世界の様に単純に名前を付けると言うだけでは済まず、正式に名付けを行うと言うのは神聖な儀式と言える。
まぁだからと言って祭壇を作り捧げ物を用意して……と言う様な事までする必要は無く、名付けを司る神に『今から名前を付けますよ』と宣言し、それから其の名を告げるだけだが……。
寧ろ魔法使いと霊獣にとって本番と言えるのは此処から先の『契約』の言葉で有る。
「古の盟約に基づきて、天と地に満ちたる数多の精霊とそれを宿せし魂に誓う。我が名は猪河志七郎、天と地の狭間に生きる者。彼の者、焔羽姫。三精を宿せし一つの魂と、魂の契約を望む者也」
名付けを行った時点で発生した俺とヒヨコ……いや焔羽姫との間に有る魂の繋がり、其れが一気に太く強く成るのを確かに感じた。
「我ら御魂別つは死出の旅路のみ。我ら御魂は常に共に有り、我が声は無限の彼方を隔てようとも彼の者を呼ぶ。その代償に我が魂を差し出さん、我が魂は常に彼の者と共に有り」
そう告げると同時に太く成った繋がりを通して互いの魂力が混ざり合い相互に流れ込む。
四煌戌と契約した時には『熱い何か』としか認識出来なかった其れは、氣や魔法の源で有る魂の力だと今ははっきり理解出来て居る。
此れは俺が魔法使いとして成長したと言う事も有るだろうが、其れ以上に氣の扱い……ひいては魂力を用いて現実に影響を与える超常の能力を扱う事に慣れてきたと言う証左だろう。
魔法も氣も錬玉術も根本は同じ魂の力で有る、そう言う意味では氣が使えるのが当たり前だと言う武士は魔法や錬玉術を学ぶ最低限度の才能が保証されて居ると言っても良いのかも知れない。
「今、この場にて契約は成った。我と汝、その魂は常に共有り、我が命果てるまで御身の側に」
普段の聞き耳頭巾を通して聞こえてくる子供らしい可愛い声とは違う、姫と言う文字に相応しい気品ある大人の女性の声が焔羽姫の口から転び出る。
無論、其れは実際に人の言葉で声を発した訳では無い、魂と魂の繋がりを通して響いた物で他の誰にも聞こえない物だ。
つまり今聞こえた声こそが、彼女の魂が持つ本来の声色と言う事なのだろう。
きっと成鳥に成長する頃には聞き耳頭巾を通しても、そう聞こえる様に成るのではなかろうか?
なお最近は流石に自分が大きく成った事を自覚して居る様で、以前の様に紅牙の頭の上に留まる様な事は無く、散歩中に翼を休める時には鞍の後ろ側に降りて来る様に成っている。
其の辺を紅牙が寂しく思っている様では有るが、大きく成るにつれて頭の上に留まる際に首に掛かる負担が厳しく成って来て居た様で、頭の上に来る様に促すのは伏せの姿勢で重さを地面に逃せる状態の時だけだ。
……翡翠や御鏡に比べて紅牙の首だけが一回り太く見えるのは、多分耐えられるギリギリまで乗せていた事で鍛えられた結果なのだろう。
胴体的には雌雄同体と言える四煌戌では有るが、精神的には雌の紅牙に太ましいと言えば傷付く可能性が有るので絶対口には出さないし、同時に焔羽姫に対して重いとも言う事は無い。
女性に対して『重い』が禁句なのは割と欧米文化の影響で、国や地域に依ってはでっぷり肥えている女性こそが『美しい』と言う価値観の場所も有るのは知っているが、此処火元国は家安公の影響か『出る所は出て引っ込む所は引っ込んでいる』が美しいとされて居る。
俺自身、所謂『デブ専』と言う様な性的嗜好は無いし、かと言ってより古い時代の欧米の様に『大きな乳は下賤、小さな品の良い乳こそ至上』と言う様な趣味も無いので、今現在の江戸の流行は割と歓迎する所だ。
お連がどう成長するかは未知数では有るが、せめて相撲と言う武術に見合う体型にだけは成らない様に気を付けてやらないとな……。
向こうの世界で良く創作のネタになっていた光源氏計画を現実にやる気は無いが……許嫁と言う関係で有る以上は多少は自分の好みを口にしても罰は当たらないだろう。
「ぴっぴかぴー、ぴーちゅんちゅん、ちゅちゅん?(女の子と居る時に、他の女の事考えると、嫌われるよ?)」
『男は成長するに連れて男に成るが、女は産まれた時から女だ』と前世の世界で聞いた事が有るが、其れは人だけじゃぁ無く霊獣にも適用される真理なのだろう。
焔羽姫の言葉を聞いて俺は思わずそんな事を考えながら深く深く溜息を吐いたのだった。




