九百二十五 志七郎、船を見学し水の問題苦悩する事
「どうだ! 此れが世界最高峰の最新鋭艦だ! 今回の航海から俺が此の船の船長を任される事に成ったんだぜ!」
今日は武光と二人で吉人殿に連れられて乗船予定の船の見学だ。
海外渡航に当たり俺達が乗り込む事に成る寅女王号は、凡そでは有るが全長が一町、全幅も八間と、ノートPCに入っている巨大百科事典の情報に拠れば前世の世界でも帆船としては最大級と言える大きさを誇る。
「うぉー!凄いな! こんな大きな船で余達は外つ国へと向かうのか!」
ただ向こうの世界の船は其処までの大きさに成ると帆柱が四本有るのが当然らしいのだが、寅女王号は其れが三本しか無い。
「武光、外つ国では徳田で通すんだろ? ならその余って一人称も変えた方が良いんじゃないか? まぁ向こうに着いたら西方大陸語での会話が普通に成るんだろうから其処まで気にする必要は無いかもしれないが」
そうなると速度の面に不安が出る様に思えるのだが、其処は氣や魔法の様な超常の異能が普通に存在して居る世界、恐らくは他の何かで補う術が組み込まれているのだろう。
帆桁と呼ばれる帆柱と交差する様に取付けられた部品の形状から察するに、前檣と主檣が横帆で、後檣が縦帆で構成された此の船は多分『バーク型』と呼ばれる形の船だと思う。
「悪いが此の船は豪華客船なんて洒落た物じゃぁ無ぇからな、幾つか個室は有るが全員に宛がう程は無ぇ。んだから個室は女連中に使って貰い、野郎共の寝床は基本的に大部屋に有る釣床を使って貰う事に成る。慣れねぇと寝辛いかも知れないが……慣れろ」
釣床と言うのは二本の柱に網や布なんかを括り付け渡した、所謂『ハンモック』の事で有る。
大川を遡上する際に乗った三角姫号は向こうの世界でも普通に使われている様な寝台が各部屋に備え付けられていたが、あの船が客船なのと川船故に大きな揺れに襲われる事が少ない事から成り立つのだと思う。
対して寅女王号が往くのは広く荒れた大海原で、普通の寝台では波に揺られて転がり落ちる事も多々有る様に思えるし、寝床として釣床を使うのは合理的と言えるのかも知れない。
ちなみに前世に読んだ海洋冒険小説では、釣床が普及するまでは箱の中に入って寝る箱型寝台――蓋の無い吸血鬼の棺桶と言えば想像し易いだろうか?――が一般的だったと読んだ覚えが有る。
波で揺れる船の中では普通の寝台だと寝返りを打たなくても転げ落ちてしまう事も有るが、其れを避ける為に箱の中に入って寝るのも仕方無いのだろう、けれども箱型寝台では船の揺れで頭や肩を打ったりする事も有り決して寝心地の良い物では無いとも書かれていた。
と成ると、揺れに合わせて常に水平を保つ様に動く釣床の方が寝心地は良いのかも知れない。
まぁ俺自身釣床で寝た事は無いので寝返りが打ち辛そうに思え、其の寝心地に対しては少々疑問を持っていたりするのだが、趣味の野外活動を好む者が野営で釣床を使ったりする事も有ったので気持ち良いは気持ち良いのだろう……多分。
「あと船の上で覚えて置か無ぇと駄目なのは……ああ、便所は野郎でも立ってするんじゃねぇぞ。船は何時揺れるか解らねぇかんな、小便してる最中に揺れたら撒き散らす事に成っちまう。後甲板から海に向かってするのもウチの船じゃぁ禁止だ」
寅女王号の便所は個室に座ってする形の所謂『洋式便器』が船内の各所に設置されて居り男女共に其処を使う事に成っていると言う、けれども小便でも立ったままでするのは禁止なのだそうだ。
付け加えて甲板からと言ったのは他所の船だと客船の類でも無ければ、態々便所を整備して居ないのが普通なのだそうで、大きい方も小さい方も海に向かってするのが一般的だから……らしい。
便所周りが確りと作られているのは、此の船を含めた虎乙女の団と言う海賊団の頭領が、女性で有る伯母上だからこそなのだろう。
ちなみに出した物は船内に溜める様な事は無く、其の儘海に向かって落ちていく構造なのは変わらないが、船の外にぶら下がって踏ん張る必要が無い分、便所一つにも命懸けと言う他所の船に比べりゃマシと言えなくも無い。
なお他所の船でもぶら下がり式の他にも、船内で御丸を使って出した物を海に捨てる……と言う様な方式も有るそうだが、此の船の便所は海水を汲み上げて流す『水洗便所』だと言う時点で世界最先端の便所と言えるかも知れない。
「お前等は未だ煙草は吸わねぇよな? 船内は基本的に火気厳禁だ、煙草を吸う奴は甲板の上に上がる事。もしも誰かが船内で煙管やパイプを蒸してるのを見かけたら問答無用でぶん殴っても良いが絶対に火を壁や床に落とすなよ」
寅女王号は衝角や各種留め金等を除いて基本的に木で作られた木造船だ、故に火事を起こせば大海原の中で足元を失う羽目に成る。
なので常に波を被り濡れている甲板や、火を使う前提で陶器や金属で固められた厨房と言う例外を除いて船内全ては火気厳禁だそうだ。
寝煙草なんぞやらかして出火する様な事が有れば、船に乗る者皆が海の藻屑と消える事に成るだろう。
なので船内で煙草を吸う様な真似をして居る馬鹿が居れば、その場の判断でぶん殴ってでも止めるのが此の船の取り決めだと言う
なお此れに関しては客だとか船員だとかの区別無く煙草吸ってる馬鹿は即座にぶん殴れと言われる辺り、恐らく船員の中にも隠れてパイプを蒸す奴は居るのだろう。
「他に注意する事は……ああ! 水! 船の上じゃぁ真水は貴重品だ、積める量にも限界は有るし長い航海じゃぁ水も腐るからな。一応ウチの船にも水魔法を使える奴は乗ってるが、其れにしたって火元国みたいに何時でも際限無く自由に使える量には成らねぇ」
うん、十分な消毒が行われていた前世日本の水道水でも、水筒なんかに汲んだ水の賞味期限は三日程度だと言われていた、薬品や熱処理なんて事が簡単に出来ない此方の世界じゃぁ樽の水はもっと早く傷むのだろう。
其れを補う為に水属性魔法の『水浄化』で海水から真水を精製するのだそうだが、其れだけでは船内全員の飲水を必要最低限賄うのがやっとらしく、身体を洗ったりする際には基本的に海水を其の侭浴びる事に成るらしい。
「其処は余や兄者の様に既に魔法を身に着けている者が協力する事で、少しはマシに成るのではないか? 水浄化は水属性魔法の基本の一つだし余もお忠も使う事は出来るぞ」
精霊魔法を使える者と言う括りならば蕾も含まれるのだが、彼女の契約している霊獣は水の属性を持たない為、真水の精製と言う意味では協力する事は出来ない為、敢えて其の名を出さなかったのだろう。
「お、マジか! 其れなら女性陣が身体を拭くのに真水を沸かしたお湯を出す事は出来そうだな。いやー野郎は其れこそ海が荒れて無けりゃ一発飛び込んで一泳ぎしてくりゃ綺麗に成るけど女衆はそう言う訳にゃぁ行かねぇからなぁ」
うん、毎日風呂に入るのが当たり前な日本人とは違い、外つ国人は余程汚れたと感じた場合以外は身体を洗う事すら無いと、留学者向けの特別授業で聞いては居たが……火元人の血を引く吉人殿も何方かと言えば外つ国基準なのかー。
個人的に言わせて貰えば海で泳いだ後は、きっちり洗って潮を落とさないとベタつくから俺としては海水で行水すると言うのは勘弁して欲しい……が、長期間の航海とも成ると真水の風呂なんてのは贅沢の極みとでも言うべき物なのだろう。
確か向こうの世界の海自の船でも最新鋭艦だと真水を精製する機械の性能が良い為に真水の風呂に入れるが、旧型の船だと海水を沸かした風呂に入るのが普通だと聞いた事が有る。
『水の一滴は血の一滴』なんて標語が有る位、船乗りにとって真水とは大事な物なのだ。
「まぁ、お前等が幾ら自前で真水を作れるにせよ、好きに使われると他の者達に示しが付かねぇから船長で有る俺の指示が無けりゃ船内で魔法使うのは禁止だ、解ったな」
妬みや嫉みと言う感情は簡単に組織を破壊する……解り易い例は色恋沙汰に絡む所謂『サークルクラッシャー』だが、水が足りない中で俺達だけが好き勝手に水を飲み身体を洗っていては確かに揉め事の一つも起こるだろう。
……つまり向こうに着くまでの間は風呂は諦めるしか無いと言う事か、そう気がついた俺と武光は互いに顔を見合わせて深く深く溜息を吐くのだった。
今週末は泊りがけで遠征が有る為、次回更新は早くて日曜深夜以降と成ります
ご理解とご容赦の程宜しくお願い致します




