九十 志七郎、古き魔女と対面する事
「我輩はセバス。誇り高き狼人族の戦士にして、偉大なる魔女様の従者である」
手すりを飛び越え3階から飛び降りた彼は、大した音もなく着地すると改めてそう名乗りを上げた。
その身のこなしを見る限り、彼の言葉通り優れた武勇を秘めた使い手である事は疑う余地も無い事実の様だ。
「猪山藩猪河家嫡男、仁一郎で御座る。弟がご無礼仕った。この火竜列島、火元国では獣人族を眼にする事は先ず無くまた幼き者の申す事故、ご容赦頂きたい」
俺を庇うように前に出た兄上はその場で深々と頭を下げ、そう謝罪の言葉を口にした。
「ご不快な言葉、誠に申し訳有りませんでした!」
慌てて俺もそれに習い頭を下げる。
一寸した舌禍で様々なトラブルを呼ぶ事など前世に腐るほど経験してきた事だ、公務員と言うだけで『俺が税金を払ってるやってるから、生活出来るんだろ偉そうにするな』等と盗人猛々しい輩の相手をした事だって数えきれない、なのに何をやってるんだ俺は……。
思った事が顔に出る、それどころか口にすらしてしまう、これは身体が幼いからというだけでは無いだろう。
幼いが故に多少の事では問題に成らないと言う、そんな甘えた思いが俺の中に有ったに違いない。
もっと気を引き締めないといけない、もう一人で出かける事だって有るのだ、こうして兄上達にフォローしてもらえる状況だけとは限らないのだから。
「……そう素直に謝罪されて、これ以上責めては此方が悪者に成ってしまいますな、謝罪を受け入れましょう。ですが少年よ覚えて置くと良い、人以外の種族にとっては類似する他種族、特に妖魔と同列視するのは最大の侮辱であると」
セバスさん曰く、彼ら獣人と呼ばれる種族は更に多数の種が居り、それらには類似する者が多数居るのだそうだ。
彼は狼人族と言う狼の頭と力を持つ種族なのだが、同じ獣人である人狼族や犬人族等と混同する分には苦笑と訂正だけで済む範疇だが、犬鬼の様な妖魔呼ばわりは刃傷沙汰にも成り兼ねない侮辱に当たるらしい。
「はい、申し訳ありませんでした」
前世とは違うこの世界、俺はまだ江戸と言うたった一つの都市の事すらも完全に理解したという訳ではない、世界はそれよるもずっとずっと広いのだ。
もっと注意深く、もっと色々な事を知っていきたい、そう決意を新たに俺は改めてセバスさんに謝罪の言葉を口にする。
「……上で魔女様がお待ちです。ご案内致しましょう」
一瞬眼が合う探る様な推し量る様なそんな視線が俺を射抜く、彼は俺の眼を見て何を思ったのだろう、小さく頷くとそう言って踵を返した。
3階の奥、恐らくはこの旅館で最も良い場所にあると思われる部屋に彼女は居た。
部屋に差し込む夕日の中、こちらに背を向けて座り空を見上げている。
夕日の朱の中にあっても、流れる艶やかな金色の髪は、よほど高級な金糸のように光を跳ね返し日の色に負けず、腰を超えて尚も余る長さのそれは無造作に畳の上へと広がっていた。
身に纏う真紅のワンピースも、光に負けぬ深い紅の布に複雑な魔法陣の様な物が、これまた見事な金色の糸で刺繍されて居り、例え文化が違うこの国の人間が見ても決して安い物とは思わないだろう。
畳の上で横座りになり窓の桟に肘を付いて居る姿勢なので、その身の丈がはっきりと解るわけでは無いが、女性だという事を差し引いてもかなり小柄であり、その体格から察すればかなり若い様に見える。
後ろ姿であるためその容貌までは解らないが、金色の髪から突き出した鋭く尖った耳の存在は、彼女が何者であるかをどんな種族の者であるかを物語っているように思えた。
森人だ。
獣人同様この火元国では殆ど見かけることの無い妖精族。
人間よりも遥かに長い寿命を持ち、万人が見て美しいと称する容貌を持つ。
その多くが優れた戦士であり、優れた魔法使いであると言う。
大昔には火元国にも住んで居た事は有るらしいが、恵まれすぎた彼女らは他の多くの者達から妬みと嫉みを買い、またその美しさと長命を自らの物としようと企てた者達により多くの戦乱の原因にも成った。
これは世界の多くの地で同様の事があったらしく、数を減らした彼女達は神々に願い、神々の暮らす世界樹で神々の従僕として暮らす様に成ったのだ、と書庫に有った歴史書に記されていた。
「魔女様、猪河家のご兄弟をお連れいたしました」
従者と名乗った通りセバスさんは、そんなエルフに仕える立場なのだろう、俺達に先立って部屋へと入り、彼女の傍らに跪きそう言った。
だが彼女は身動ぎ一つする事無く、ただ静かに座り夕日を見上げている。
「魔女様、長く待たされたのは彼らの責では無いと仰っていたでは有りませんか、ご機嫌が宜しく無くてもご対応下さいませ」
一つ咳払いをしてから再度そう呼びかける、その言葉に多少なりとも嫌味の様な物は感じるが、呼びつけておいて一ヶ月も待たされれば、一つや二つは言いたく成るのもしょうが無い事だと思う。
だがそれに対しても彼女は賛同の声も、叱責の声も上げる事無く黙ったままだ。
「魔女様! ただの使い走りが相手で有れば兎も角、次代の領主が来られているです。無視為さるのはどうかと……、魔女さま?」
三度声を掛ける、今度は多少声を荒げその内容も咎める様な物だが、その最後は尻切れトンボの様だ。
その原因は直後に解った。
「グゥ……ハッ!」
カクンっと立て肘から顎が外れ身体が流れた、どうやら彼女は眠っていたらしく、慌てた様にキョロキョロと辺りを見回す。
「フミャ! セ、セバスちゃん! お客様が来たなら声を掛けてちょうだい!」
そして俺達の姿を認めると慌てた様にそう叫んだ。
「何度もお呼びしました……と言うか、何故ほんの五分前に私が外へと行った間に寝るのですか」
「いやぁ……、良い風が吹いてきたからついウトウトと……」
「ここへ来てから、一体何時間眠れば気が済むのですか。食事と入浴以外は大半寝てますよね!?」
「歳を経たエルフはそんな物よ。長老連中なんか一ヶ月の内1、2時間起きてれば良い方じゃない」
「あんな千年を超えた方々とご自身を一緒にしないで下さい、貴方はまだ三百年も生きてないでしょう」
「もう二百九十八なんだから三百と変わらないわよ、それに子供どころか孫だって居るんだからちゃんと老人扱いしてちょうだい!」
「普通女性であれば、若く見られたいとは思っても、年寄り扱いされるのは嫌がる物でしょうに……」
頭が痛いと言わんばかりに米上を押さえ、軽く頭を振るセバスさん。
そのやり取りは主と従者と言うよりは、彼女の若いともすれば幼いとも言える容貌も有ってか、わがままを言うご令嬢とその教育係と言う風に見える。
種族の違いがあるにせよ、見た目はどう贔屓目に見ても十代前半の少女だ、彼女が本当に俺の師匠となる古い魔法使いとは思えない。
「……お話の最中失礼ながら、ご挨拶をさせて頂いても宜しいでしょうか、赤の魔女殿」
そう言って兄上が二人のやり取りに割って入った、すると赤の魔女と呼ばれたエルフは、頬を朱に染めて居住まいを正した。
「あ、あらやぁねぇ……、コホン。いえ、此方から挨拶をさせて頂きますわ。わたくしが『赤の魔女』フルール・シーバスです。この国では鈴木花と名乗って居りますわ」
綺麗な正座でそう名乗りながら平伏するその所作は、異文化に生きる者が付け焼き刃で真似ている物ではなく、武士の娘のそれであった。
「猪山の方々には一郎の母と言った方が通りが良いのかしらね? それともお若い方には清吾の祖母の方が解りやすいかしら……」
一郎翁の母……!? どの辺に彼女の要素が有っただろうか?




