九百七 志七郎、大妖を目の当たりにし弱点を突く事
「くかかかか! 真逆! 孵化した大妖が此処まで巨大だとはの! しかしコレを倒せる者等早々居る物で無し! 江戸の侍なんぞ壊滅させて悠々と逃げ果せて見せるわ! 薙ぎ払え!」
以前、俺が相対した山姥よりも更に巨大な、其れこそ江戸城の天守閣と見比べても大差無い程の巨体を誇る漆黒の鱗を持つ四つ足に翼を持つ竜。
その頭の上に角を掴んで立った二十歳そこそこに見える黒羽織の侍がそう叫ぶと、其の言葉の通り竜の口から放たれた黒い光が群がる武士や鬼切り者達を薙ぎ払う。
……妖刀から孵化する大妖は元の存在が強ければ強い程に、必要と成る贄の質も量も莫大に成ると言う、昨日の今日であれ程強力な化け物を孵化させた奴は一帯どれだけの者を斬ったと言うのだろうか?
「まともに正面からぶつかろうと思うな! 熕や弩の援護も有る! 彼奴の吐息は色から察するに時の属性故に防ぐ手立ては無い! 纏まって当たらずきっちり包囲し的を絞らせるな!」
此の状況で上様から軍配を預けられ討伐の指揮を取るのは鬼切奉行で有る桂様だ。
其の下知に従い、数えるのも馬鹿らしく成る程の侍に鬼切り者が全身に氣を漲らせて、崩れ去った建物の瓦礫を押しのけつつなんとかかんとか包囲しようと奮闘する。
「近隣区域の避難も急がせろ! 氣も纏えぬ程度の鬼切り者とて避難誘導位は出来る筈だ! 一人でも多くの者を救わねば彼奴を討ち取っても我らの負けぞ! 此れ以上の被害を出さぬ事こそ勝利と心得よ!」
本来で有れば各藩の家臣達……即ち陪臣の者達へは、例え上様とて直接命令する権利は無く、彼等も必ずしも従う筋目は無いのだが『義を見てせざるは勇無き也』では無いが、此の状況下で在れを討伐する以外の選択をする大名が居る訳も無い。
かと言って其々好き勝手に打つかった所で其は戦力の逐次投入と変わらず愚策でしか無い、故に何処の藩士も自身が捨て駒にされる事も覚悟の上で、主家の名誉と主君の命を守る為に桂様の軍配に従うので有る。
ちなみに俺はと言えば装備を取りに帰る暇も無く、即応出来る術者として桂様の横で四煌戌の背に跨り奴の動向を伺っていた。
「ぬぅ! 在れは時転竜 波羅霊!? 六道天魔が四天王の一体で高野山の戦いにて家安公と其の仲間に討ち取られたと言う邪竜なのか!?」
黒竜が爪を一薙ぎする度に二人から三人の命が刈り取られ、時の属性が込められた吐息が放たれれば、其の範囲に居る者が塵も残らず消滅する……そんな絶望的な局面で、そんな声を上げたのは俺と同期の子供だ。
「知っているのか上鳴 電右衛門!?」
幕府が所有するその全ての書物を読み数多の知識を蓄えた、幕府の知恵袋とでも言うべき増平様ですら知らなかった事を、知っている素振りの上鳴殿に桂様がそう問いかける。
「はっ! 我が家の書庫に残されてる門外不出の品とされて居る『六道天魔顛末記』為る書に記されて居りました! 其の書に拠れば家安公は彼奴を討ち取る際、酒を生成する術にて生み出した大量の酒を呑ませ酔わせる事で弱らせたとの事でした」
……どうやら上鳴家には焚書を免れた稀覯本とでも言うべき書物が残されていた様で、其の中にはあの竜を討伐した際の情報も書かれていたらしい。
「……家安公は精霊魔法の優れた使い手だったと聞く。鬼切童子よお前の能力で同じ事は出来そうか?」
こうして話している間にもどんどん人の命が失われている中、冷静にそう問いかけてくる桂様、焦りが全く無いと言う訳では無いのだろうが、指揮官として敵を確実に倒す為に最善を選択する為に心を鬼にして居るのだろう。
「流石に酒を湯水の如く出す様な真似は出来ませんが、酒が効くと解っているので有ればそれ相応の対応は出来るかと」
酒は『百薬の長』にして『百毒の長』で有る、毒属性の魔法の中には酒を生み出す『酒生成』と言う魔法が有る。
だが其れに寄って生み出される酒は味も素っ気も無い純粋な酒精で、消毒に使う分には良いが飲用には適さない物でしか無い。
熟練の術者と酒を好む様な霊獣が、酒の材料に成る様な穀物や果実を素材として術を掛ければ、其れ也の味の酒を生み出す事も出来るらしいが、残念ながら四煌戌には酒を呑ませた事も無いし其れを行うのは今の所無理で有る。
では、どうやって奴を酔わせると言うのか? 其れは簡単な話で美味い酒を呑ませるのでは無く『酒の矢』の様な酒を直接打ち込む性質の攻撃魔法を叩き込めば良いのだ。
酒で酔うと言う事は毒属性に対する無効や反射と言った耐性は無い筈だが、普通に効果が有るので有れば『麻痺』の様なより効率的な状態異常を与える魔法が有るが、家安公が其れを使わなかった以上恐らく半減程度の耐性は有るのだろう。
残念な事に直接状態異常を付与する類の魔法は、相手の魔法に対する抵抗力を抜けなければ一切効果が無く、半減の耐性が有るならば効果を及ぼすのに通常よりも更に倍は強い魔力が無ければ無効化されてしまうのだ。
けれども『矢』の様な攻撃魔法で有れば、被害が半減するにしても完全に無効化される様な事は無い。
ただまぁ……あの分厚く硬そうな鱗を打ち抜く様な威力は『矢』程度の魔法では無理だろうし、口を開いた所に『酒の投槍』辺りの魔法を連射すると言うのが現実的な所だろう。
「古の契約に基づきて、我、猪河 志七郎が命ずる! 清浄なる蒼、頑厳なる黄、混ざり混ざりて彼を蝕む毒と成れ! 生まれ出る紫の力よ! 酩酊誘う酒精の槍と成りて彼の者の口を撃ち穿け! 酒の投槍!」
この位置からでは射程が割とギリギリで被害を与えるのは難しいだろうが、必要なのは傷を与える事では無く酒を呑ませる事だ。
そう判断した俺は桂様の横から動く事無く其の場で呪を編み、竜が再び吐息を放つ為か口を開き息を吸い込んだ拍子を見計らい撃ち放った。
「あおーん!」
御鏡の咆哮と共に放たれた紫掛かった透明な手槍は、狙い誤る事無く竜の口へと吸い込まれ、奴は其れを呑み込んでしまったが故に吐息を放つ行動が中断される。
「しめた! よくやったぞ鬼切童子! あの吐息が一番厄介だからな! 其の侭吐息を潰しつつ彼奴が弱るまで今の魔法を叩き込め!」
桂様の言葉に俺は口を開く事無く無言で首肯する事で応え直ぐ様
「以下同文! 以下同文! 以下同文!」
と、魂枯を起こさない程度の速度で続けざまに同じ魔法を繰り返し放ち続けた。
「グルァァアア嗚呼!!」
残念ながら口の中に直接当たらない分は、奴の表皮に弾かれ全く被害を与えて居ない様では有るが、流石に顔に何度も其れ也の威力が有る魔法を叩き込まれるのはうざったいのか、苛立たし気に咆哮を上げる。
しかし其れは奴に取って悪手で有る、口を開けば酒精をたっぷり含んだ投槍が飛んできては呑み込まざるを得ないのだから。
火元国に竜と呼ばれる種族が存在しないのは、火竜列島と呼ばれるこの土地が、北の竜頭島に住む嶄龍帝 焔烙と言う世界に四体しか存在しない古龍の縄張り故……と言う訳では無い。
火元国に棲息して居た竜種は皆、戦国と呼ばれる時代以前に討ち取られ絶滅して居るのだ。
此の火元国に由来する武神や軍神戦神等の戦いに関わる神の多くは、竜を討ち取った功績で昇神して居り、太古と呼べる時代には其れこそ多くの強者が竜殺しの英雄と成る為に命を賭したと言う。
その中でよく使われた手段の一つが、向こうの世界の日本神話でも語られている『八岐大蛇討伐』同様の『酒を呑ませて酔わせて弱体化』なのだそうだ。
外つ国でも竜種は酒を好むと言う性質は良く知られている事らしく、今俺が打ち込んでいる酒の投槍の魔法は竜退治の定石とも言える魔法なのだとお花さんには習って居た。
そうして打ち込み続け一体どれ程の時間が経ち、何人の武士や鬼切り者が命を落としただろう?
そんな疑問が脳裏を過った頃、とうとう酒が回ってきたのか竜の巨体が今までに無い程にふらふらと揺れ始めたのだった。
私事により週末にかけて出掛ける為、次回更新は月曜深夜以降と成ります
予めご理解とご容赦の程宜しくお願い致します




