九百一 志七郎、朝食を頂き幕臣驚き呆れる事
朱色が見事な鶏が描かれた白磁の皿に、其の模様が透けて見える程に透明感の有る烏賊の刺し身がたんまりと盛られ、其の脇を彩る様に何匹もの海老が未だ生きている状態で乗せられて居る。
烏賊や海老だけでは無い、やはり皿の図案が透ける様に薄く薄く切り揃えられた白身の魚の刺し身達。
猪山人は常人の三倍食うのが当たり前、と言う事は当然此処江戸城でも知られて居る常識の内の様で、俺の前に置かれた朝食の膳に盛られた料理は刺し身だけでも最早『大食い挑戦献立』と言う感じで有る。
当然用意されて居るのは刺し身だけでは無く、大根おろしと新鮮な白魚を和えた物や、菠薐草のお浸しに豆腐の入った御御御付け、そして銀舎利の飯が大盛りと言うか『昔話盛り』でドスン! と言う感じだ。
向こうの世界なら此れは全部食えたら賞金が出る奴だと思うのだが……此れが食えちゃうのが猪山人の身体なんだよなぁ。
ちなみに同じ場所で一緒に食事を取る幕臣の方も何人か居り、彼等の献立も同じ物の様だが俺だけが特別盛りで有る。
「いただきます」
両手を合わせてそう言ってから先ずは烏賊の刺し身に箸を付ける、口の中に広がるのは嫌な生臭さでは無く爽やかな磯の香り、そしてコリコリとした丸で鳥の軟骨を齧ったかの様な強い歯ごたえ。
烏賊に限らず刺し身と言うのは多くの場合、新鮮であれば有るほど良い……と言う訳では無く鮮度が良ければ強い歯ごたえと食感が楽しめ、ある程度熟成させた物で有れば旨味や甘みが楽しめる物で有る。
今俺が口にして居る烏賊は恐らくは、今朝未だ日が登るよりも前に江戸前で水揚げされた物を、早舟で生きたまま城まで運び其れを手早く絞めて刺し身にした物なのだろう。
俺が前世に住んでいた町は内陸地だった為に、何方かと言えば熟成させたねっとりとした食感の甘みの有る烏賊が一般的だったが、此れは出張で北海道は函館に行った時に食べたイカソーメンとかそっち系の美味さなのだ。
そして其れを華やかに彩るのは恐らくは火元国でも一、二を争うだろう極上の醤油と最高の山葵で、其れ等と共に烏賊を口に入れ飯を掻っ込めば其れこそ幾らでも食えそうな気がしてくる。
しかも、しかもで有る飯が美味い! 火元国では麦の割合の方が多い麦飯が一般的で、比較的裕福と言える我が家でも米だけの飯なんてのは其れこそハレの日の祝い膳の時位しか食えない物だ。
其れだって前世の世界で流通して居る名の有る米なんかと比べたら、食神の加護を持つ睦姉上が炊いてすら同等以下がやっとの事なのだ。
しかし今、口にして居る此れは最高級有名米と遜色無い見事な歯応えと甘み、にも拘らず刺し身や醤油の味を一切邪魔をせず素晴らしい調和を生み出している。
多分此の米で作った塩結びとか其れだけで四十文とかしても不思議は無いんじゃないか?
うん……心して食べよう、此れは先ず間違い無く銭を出して食おうと思ったら、とんでもない額面を請求される奴だ。
米だけじゃぁ無い、刺し身だって其の他の小鉢だって上様が召し上がるのと同じ厨房で作られている物なのだから、市井の見世で此れと並ぶ物が出てくる可能性が有るのは、其れこそ江戸でも上から数えた方が早い様な高級料亭位だろう。
手が込んでいないからこそ、料理人の腕前よりも食材の良さがはっきりと出て居て、材料を用意して貰ってならば兎も角、自力で集めて作れと言われたら睦姉上でも難しいのでは無かろうか?
次に手を付けるのは何と言う種類かは解らないが、綺麗な色をした小ぶりの海老だ。
殻のまま出されているから手で剥いてから身を口にするが……甘い! 砂糖や果実の其れとは違う、ねっとりとした甘みが口の中に広がった。
見れば席を同じく食事をして居る幕臣達の中には、海老の頭を咥えて中身を啜っている者も居る。
見た目的に行儀の悪い行為として咎められるかも……と思って居たのだが、既にやっている者が居るならば俺がやっても眉を顰められる様な事は無いだろう。
そう思い、海老のミソを啜れば……濃厚な潮の香りが鼻に抜け旨味が口の中一杯に広がる。
此処に飯を食らい一旦口の中を初期化してから、御御御付けを一口啜った。
……此れも尋常では無いぞ、味噌も良い物を使っているのだろうが、其れ以上に出汁が凄い。
本気で此の一食に一体幾ら使っているのだろうか? そんな不安が首を擡げてくる、其れ位に出汁だけでも贅沢な使い方をして居るのがよく分かる。
白魚と大根おろしの小鉢に手を伸ばせば、此れも新鮮な魚の甘みと荒くおろされた大根の辛さが更に飯を進ませた。
烏賊と一緒に盛られた白身の魚は……多分鮃だろう、此れも新鮮でコリコリとした歯応えが楽しい。
と……そんな感じで食べ進めて行くと、気が付いたらおかずは未だ半分近く残っているのに飯がもう無く成ってしまった。
「あの、飯のお代わりってお願いしても良いですか? さっき程大盛りじゃぁ無くて半分位で良いので」
既に食べ終わって居る者に食後の茶を運んできたりして居た女中さん――と言っても恐らくは武家の子女なのだろうが――に、そう問いかける、すると周りが一瞬ざわついた。
「ゑ!? お代わりですか? いえ、ええ、大丈夫ですよ。……本当によくお食べになるのですね、流石は猪山の鬼切童子様。貴方にあんな山盛りを配膳する様に御指示を出されたのは誰かの意地悪だとばかり思っていたのに」
どうやら茶碗を受け取った女中さんも其の場に居た他の幕臣達も、俺が配膳された御膳の料理を食い切れる訳が無いと思っていたらしく、お代わりを所望した事で驚愕が広がって居たらしい。
「猪山の者は皆、俺以上に食いますよ? 其れにこんな贅沢な飯を残すとか絶対有り得ません。普段から良い物を食ってるとは思ってましたが、此処の飯は其れ以上なんですから、今食い溜めしておかないと次は何時食えるか解りませんからね」
出来るだけ真面目な顔を作ってそう返事をしてみると、彼女はぽかんと口を開けて絶句する。
「いやいや、彼の言う通り今は猪河家から出てしまったが、某も子供の頃に鬼二郎と一緒に飯を食った事が有るが、鬼切童子殿に輪を掛けて食って居たぞ。うん、あの時は見てるだけで腹が一杯に成った物だ」
すると横からそんな言葉で口を挟んでくれたのは、恐らくは義二郎兄上と同年代位に見える比較的若い幕臣だ。
義二郎兄上は猪山藩の基準で見ても大食らいの部類だが、其処は敢えて指摘しないで置く。
ちなみに家の血を引いて居る訳では無い筈の武光や熊爪の従叔父上の弟子の九郎に、町人階級で氣も禄に纏えない桂太郎なんかも他所の三倍とは言わない迄も十分大食らいに育ちつつ有るので、食の太さは血筋も有るが其れと同じ位環境が大事と言う事なのだと思う。
まぁ俺も詳しい訳では無いが前世の世界でも、相撲取りや職業摔角者なんかの格闘技では『食えて太れるのも才能』と言い切って居たと言うし、強く成るには食えると言うのも大事な素養なのだろう。
俺が前世でやっていた剣道では、一撃の威力を云々せず打突の正確さと気組みで決着が付く為に体重別と言った制限は行われていなかったが、打撃の威力が勝負の決めてに成る拳闘なんかでは体重制限が当たり前だった。
組技でも当然重い者の方が投げられ辛いと言う事も有り、柔道も国際的に普及する中で体重別の試合と言うのが行われる様に成って行ったと何かの本で読んだ覚えが有るが『柔よく剛を制す』が真髄の柔道では無差別級こそが本道と言う話も聞いた事は有る。
「強く成りたければよく食ってよく稽古をしよく学ぶ、其れは拙者も若い頃によく父上に言われたが流石に猪山の者程は食えなんだわ。と言うか、鬼切童子殿と同じ調子で息子が飯を食ったなら我が家の家禄では破産するしかないわ」
他にも三十路絡みの幕臣が苦笑いをしながらそんな事を言うと、周りの者も同意するかの様に笑い声を上げた。
そんな笑い声の中、俺は女中さんが盛ってくれたお代わりの飯を受け取ると、残ったおかずと共に一気に平らげたのだった。




