九百 志七郎、重臣に詰問され捜査情報を提供する事
「猪山藩主猪河 四十郎が四男猪河 志七郎、上様のお召に依り罷り越して御座います」
謁見の間で上様の前に額付き礼節に則った口上を述べる。
基本的に此の部屋に入る際には歩く事は許されず、上様の許しが有るまで頭を下げたまま膝歩きで定められた場所まで躙り寄る様に移動する事しか出来ない為、周りを取り囲む幕府の御歴々や上様がどんな表情をして居るのか見る事は出来て居ない。
けれども其の場の雰囲気を察する程度に空気が読める物ならば、愉快な表情を浮かべている者が一人も居ない事位は想像が出来るだろう。
何せ朝も早い時間……其れこそ未だ日が登るよりも前の此の時間にこうして幕府の重鎮達が勢揃いした上で、俺を態々呼び出したと言う事は、恐らく昨夜遅くには『妖刀使い対策会議』とでも言うべき物が開かれ、その侭仕事をして居るだろう事は容易に想像が付く。
前世の職場でも深夜に起きた事件に絡んで、寝入り端に電話で叩き起こされ緊急出動なんて事はザラにあったし、その侭昼間の勤務に雪崩れ込むのも普通だったが、其れに慣れても愉快だと思った事は一度たりとも無いのだ。
ましてや上様を始めとして幕府の重鎮の多くは、良い歳をした御老人と呼んで差し支えの無い方々だ、前世の俺でも三十路を過ぎた辺りからは徹夜が辛かった事を考えると、彼等の負担と精神的苦痛は可也の物と言って間違いないだろう。
「直答を許す面を上げよ」
案の定、何度か顔を合わせた際に聞いた好々爺とした物とは違う、不機嫌なのが在り在りと分かる声色で上様がそう俺に顔を上げる様に命じる。
……多分、俺が過去世持ちで其れ也の修羅場を潜って来たおっさんでは無く、年齢通りの子供だったならば怯えて震え上がり顔を上げる事なんか出来ないだろう、其れ位上様の言葉に込められた苛立ちは強い物に思えた。
けれども俺は暴力団の組長は勿論、海外から遠征して来た黑手党の類とでも渡り合って来た捜査四課の長だったのだ、此の程度の事で怯える様な事は無く、言われた通りきっちり顔を上げて上様を見上げる。
「鬼切童子よ、其方が昨夜遭遇した妖刀持ちの辻斬りに付いて、見聞きした事を詳らかに話せ、何一つ隠し立てする様な事無く其方の主観が入っても良い、感じた事も全てだ」
そう言って俺に口を開く様に促したのは確か北町奉行の誓山 門左衛門様だったと思う。
猪山屋敷が有る辺りは北町奉行所の管轄区域なので、此の案件で下手を打てば責任を取って腹を斬らねば成らない立場だと考えれば、彼が主導するのは当然の話で有る。
「はい、私は昨日の日暮れ頃、北町淀堀東四丁目の船着き場から陸地に上がり、その側に有る茶店で提灯を借り我が家に向かって歩いて居りました、すると前方から提灯も持たずに歩く御忍び頭巾の者が来たので、誰何しました所斬りかかられました」
と、そんな言葉から昨夜有った事を隠す事無く一つ一つ話して行く。
時系列を揃え先ずは事実だけを淡々と、自分の主観や推測を交えるのはその後で良い。
この辺は向こうの世界で散々調書を作った経験が生きて居る様に思える。
「成程な……猪山藩の御隠居殿に含みの有る老齢の侍が下手人か、その辺りは野火殿からの報告通りだな。しかし氣を吸う妖刀で其の名が倭寿繰とは割と厄介な話ですな。確か其の名は六道天魔の配下の一人が持っていた物の筈」
俺の話を聞いてそんな事を言いだしたのは老中筆頭の増平 宗篤様だ。
彼は猪河家の御祖父様と並んで上様の知恵袋的な立場の方で、知恵が回り策謀に優れるのが『悪五郎』だとすれば、古今東西様々な知識を記した書を読み漁り其の多くを記憶し必要に応じて引き出しとする事が出来るのが増平様なので有る。
「されど当時の倭寿繰は戦場で数多の武士を屠り磯八百姫為る妖へと孵化し、数えるのも馬鹿らしく成る程の侍が命を賭して戦った末に討ち取られたと書に記されて居りました」
其の知識は火元国の故事は勿論の事、世界樹の神々に関する事柄や外つ国で起こった戦役に関する物等様々な分野に精通して居ると言うのだから、御祖父様とは別の方向で賢者と呼ぶに相応しい人物だろう。
そんな彼が妖刀の名を聞き即座に戦国と呼ばれた時代に使われて居た物だと言い出したのだから、恐らくは間違い無い話だと思われる。
と成ると、同名の妖刀が再び此の世界に現れたと言う事だが、多分其れは妖刀を送り込んできた者が同一人物……神物? 妖物? 兎角、そんな感じなのでは無いだろうか?
「爺、その妖刀を用いて妖怪に堕ちた者の名は記されて居らなんだか? その者と今回の者に関係が有るかどうかは解らぬが、何かの指標には成るやもしれぬ」
増平様の言を聞き、気怠そうな様子で上様がそう問う。
「は、確か当時の使い手は木林 長可為る侍で、尾田と言う家に仕え六道天魔の側に着いた者……と記録されて居た筈ですな。ですが当時の木林家と血を同じくする者は幕臣や陪臣には居らぬ筈です」
木林と言う苗字自体は決して珍しい物では無いらしく、武家としても幾つか同名の家は有ると言う。
けれども件の木林家は『六道天魔の乱』の中で一族郎党全てを根切り――つまりは皆殺しにされて居り、今ある木林家とは血の一滴も繋がっては居ないのだそうだ。
勿論、過去を遡って行けば何処かで祖先を同じくする者が居ないとは断言出来ないが、少なくとも直系の子孫と言える者が居ない事だけは確からしい。
「……主家の尾田家の方はどうなのだ? 聞き覚えが無い故に大身の幕臣や大名には居らぬとは思うが、小普請組辺りにその血を引く者が居る可能性は無いのか?」
戦国と呼ばれる時代には血で血を洗う様な戦は火元国中で起こって居たが、だからと言って負けた家が常に根切りにされて来たと言う訳では無く、即座に戦力に成らない女子供なんかは助命するのが普通だったらしい。
子供を残せば成長してから復讐を企てる……と言う事も有るのだろうが、何方かと言えば『命を繋いで家を残す事にこそ意味が有る』そんな価値観が強い火元国では助命し手元で家臣として育てる事を恩義と思う方が一般的なのだそうだ。
「残念ながら尾田家に関して多くを記した書は何故か一切御座いませぬ。ただ……六道天魔の乱に関して記した幾つかの軍記や戦記等の中で、彼奴に組みした半妖武士達の頭目として其の名が出てくるだけなのです」
……多分、其れは六道天魔と成った尾田 信永と、何らかの関係が有っただろう家安公が幕府を開いた時に箝口令を敷くなり何なりして、情報封鎖を行ったのでは無かろうか?
尾田 信永も家安公も同時期に異世界から飛ばされてきた者だと言う話だったし、元の世界に居た当時から何らかの関係が有ったと考えても不思議は無い。
そもそも尾田 信永が六道天魔と成ったのは妖刀の能力に呑まれたからだ……と天目山に住む鍛冶神 天目院 一目様が言っていたし、親しい関係に有ったならば悪し様に言われるよりはと、全てを隠蔽した可能性は有るだろう。
「……妖刀使いが隠居した侍では無いかと言う鬼切童子の感想を元に捜査するならば、先ずは上屋敷に住むそうした者達の手形を検めるのが宜しいかと。ただし今の段階で誰一人手に掛けていないと言うのであれば、其れで下手人を挙げる事は出来ないでしょうが」
『上屋敷』と言うのは江戸の中心部に有る城に比較的近い場所に建てられた各藩の屋敷の事で、江戸市街地の内外を隔てる壁として機能して居る大名屋敷街が『中屋敷』、更に外の田園地帯に建てられた中間者達が暮らすのが『下屋敷』と区分されて居る。
ちなみに向こうの世界の江戸時代の上屋敷と中屋敷は此方の世界とは住む者が逆で、上屋敷に大名と其の家族、中屋敷に隠居が暮らすと言うのが普通だった。
この辺は交通の便の違いや、氣や術と言った超常の能力で郊外から城まで然程時間を掛けずに移動出来ると言う様な事情の差故だろう。
「……為れば先ずは上屋敷に居るであろう各藩の隠居達の手形を検めよ。無論、妖刀持ちの辻斬りが居る事は武士には言うても構わぬが町民達には知らせぬ様にな。要らぬ騒ぎで市井の者達を混乱させては其れこそ幕府の威信に関わるからの」
此処までの話を纏める様に上様がそう言うと、
「「「「はっ! 畏まりて御座います!」」」」
其の場に居る重臣達が声を揃えてそう返したのだった。




