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七 志七郎、長兄仁一郎の生業を知る事

 兄上に入場券チケットを貰った2日後、俺は言われた通り母上と供に(・・)朝から出かけることになった。


 だが家を出る段になっても、出かける用意をしているのは俺達だけだ。


「母上、大名家の妻子が供も護衛も付けずに出かけても良いんですか」


 現代日本ならば気にするまでもない事だが、向こうの江戸時代でも辻斬やらかどわかしやらが横行し、治安は比べ物に成らない程悪かったと聞いたことがある。


「余所の家にお邪魔するならともかく、今日行く場所はどちらも必要ないわ。江戸市中なら町奉行の捕り方も巡回してるしね。さ、行くわよ。しーちゃんの足だと急がないと間に合わないわ」


 そう促され、俺達は屋敷を出た。




 屋敷を出るのは初祝しょしゅくの時以来だが、未だ武家町を抜けていないながらも、時代劇などでよく見る棒を担いだ物売り(棒振り)の男や、どこかの店の配達なのだろう大きな風呂敷包みを背負った商人らしき男、刺だらけの刺股を担いだ武士らしい男は巡回中の捕り方だろうか? とにかく多くの男たちが往来している。


 見る限り、通りを歩いているのはほとんど成人男性で、女子供姿は見かけない。


「は、母上。見かけるのは男ばかりで、女子供を見かけないのですが……」


 確かに言われた通り、不審な行動を取る者も居なければ、巡回する者の姿もちょくちょく見かけるが、あまりに偏った人員構成に不安を覚えそう問いかける。


「この辺りは大名屋敷だからよ。うちの藩もそうだけれど、屋敷に居るのは各大名の妻子と江戸家老の妻子、あとは女中位で家臣達の妻子は皆国元ですからね。もう少し行って大通りまで出れば、どちらも見かけるわ」


 その言葉通りそれから20分ほど歩き、商家が軒を連ねる大きな通りに出ると、着飾った女性や楽しげに走り回る子供の姿をちらほらと見かけるようになった。


 中にはぞろぞろとお供や護衛と思われる取り巻きを連れた者も見かけるが、そのほとんどが単独もしくは数人程度の塊で行動しているように見える。


 ただ、それでもやはり男性の比率が多いように思えるのは、封建社会故に女性が外出するのが好ましくないと思われているのか、それとも単純に女性が少ないのか。


 田畑を継げずに地方から来た男が常に流入してくるのに対して、女性は地元を動かないことが多い、というのは前世の江戸の話だがこの世界でも果たして同じなのかどうか……。


 こうして街を歩いていると、それだけでも俺の知る江戸時代との差異はアチラコチラに見受けられる。


 あそこの食堂と思しき店にかかっている暖簾には『らぁめん』と書かれているし、あっちの屋台ではフィッシュアンドチップスと思しき物が売られている。


 かと思えば寿司や蕎麦など定番と思える店もあり、どちらもさほど違和感無く両立している。


 少なくとも食文化に関しては、間違いなく江戸時代のそれではない。


 食以外に目につく物としては、やはり道行く人たちに完全武装の者が混ざっていることだろう。


 捕り方のそれと違い鎧兜を身に纏い、槍や弓を背負ったその姿は明らかに戦支度なのだが、それを気に留める者がいる様子も無いので、アレも日常の一部なのだろう。


 だが、あんなのが天下の往来を平気で歩いているというのに、治安が悪く無いというのも少々不思議な気もする。


「ああ、あれは鬼斬役の武士ね。どこかの御家中か、御家人かは解らないけれど、何かやらかせば一族郎党、主家の存亡にすら関わるもの。そうそう恐れる必要はないわ」


 きょろきょろと物珍しそうに周りを見回す俺の視線の先を確認し、母上は安心しなさいとそう言った。


 ああ、そうか罪に対する処罰は現代日本とは比べ物にならない程重いんだ。連座制も当たり前、そういう意味での抑止力は有るのか。


 そうして、見物気分で街を歩くことおおよそ1時間。


 前の身体ならばともかく、今の幼い足ではそろそろ辛いかという頃、街のまっただ中にそびえ立つ朱塗りの城壁と大きな門が見えてきた。


 それが目的の建物だとは、ひと目でわかったのである。


 城門の両脇にナポレオンの絵の様な、馬に跨る武士の銅像が建っているのだ。


 ある意味わかりやすいその門の前に立つ門番に、母上がチケットを渡すと門扉の一部を開き中へと入れてくれた。




 城門の中は木造ではあるものの、そこは間違いなく競馬場だった。


 トラックにスタンド席、あちらに見えるのは勝馬投票券の購入窓口だろうか、パドックらしき物も見える。


 ちょうど今はレース中らしく、窓口にはほとんど人が居ないが、スタンドからは熱気の篭った声援が響いてくる。


 俺がその風景に圧倒されていると、母上がすっと一つの屋台へ寄っていく。


「ちょいと瓦版屋さん、今は何競争目だい?」


「へぇ、ちょうど今走ってるのが、第二競争でさ。どうです奥方さん、馬柱一部?」


 頂くわ、そう言って袂から銅銭を一枚出し、それと引き換えに瓦版というには大きすぎる、新聞大の一枚紙を手渡される。


「んー第三競争は……知ってる騎手も馬も居ないわねぇ。まぁ、しばらく来てないし未勝利戦で知った馬が居ないのは当然として……あらこの馬、リクオウ号の産駒なのね……」


 それを母上は見たこともない真剣な、それこそ鬼気迫ると言う形相で読みふける。そこには俺の知っている母上の姿はなくその背後には焔さえ見えた気がした。


 結局母上は、馬券を買いスタンドの一角に腰をおろしてもなお落ち着くことはなく馬柱を読んでいる。たぶん第4レース以降の馬券を検討しているのだろう。


 ……母上は競馬女子だったのか、いやもう女子という年では無いだろうが、それでも普段の楚々とした上品な奥方の姿は何処にもない。


 レースが始まれば更にヒートアップし、完全に馬券親父と化した。


 まぁ、興奮する母上は取り敢えず置いておくとして、兄上は何処に居るのだろう? まさか、兄上も馬券で稼いでるとかいわないよな?


 流石に母上を放っておいて探しに行くわけにはいかないので、おとなしくレースを見ていることにする。


『各馬一斉に発走しました、綺麗な発走です。おおっと一頭大きく出遅れた馬がいる! マツノスエマツ、マツノスエマツ! 一番人気マツノスエマツまさかの出遅れです!』


 と、そんなアナウンスが、会場に響いているのが聞こえてくる。


 マイクもスピーカーもそんなもん無いよな? いやあっても可笑しくないのだろうか? だが、妖怪を食用とし鬼斬役などという役目があるような和風ファンタジーな世界だ、何らかのファンタジー技術があっても不思議はない、ファンタジー技術という時点で不思議技術なのだから……。


 母上の熱狂が収まったのは第6レースが終わり、昼の休憩時間となってからだった。


「さぁ、しーちゃん好きなもの食べていいわよ。私はうな丼にでもしようかしら……」


 全レース的中させたらしく結構な金額を稼いだ母上は上機嫌で屋台が並ぶ一角へと俺を連れて来た。


 それぞれの屋台には、大江戸馬比べ場名物とか上方伝来などの売り文句と供に様々な食物が売られている。


 三斗一致……飯場賀……風嵐駒布留都……酷い当て字も色々と目につく、素直にカナで書けよ! と叫びたいのをこらえながら、照焼場賀テリヤキバーガーと揚げ芋、高良コーラを注文した。


 前世の競馬とは違い他の競馬場の中継などが無いので、進行が早いらしく昼食を終えるとすぐに第7レース、今日のメインレースが始まるようだった。


『さぁ、春の晴天の下今年もやってまりました大江戸優駿、この競争にて二五〇余藩の頂点、最強四歳馬が決定いたします。それでは一枠から馬と騎手を紹介していきましょう』


 そんなアナウンスが流れ、馬と騎手が一頭、また一頭とターフを走りぬけて行く。


 そして、七頭目の馬が出てきた。


『続いては、シシノシチトク、騎手は猪河仁一郎ししかわじんいちろう猪山いのやま藩所属です。猪河仁一郎騎手は次期藩主という事で、父子二代で嫡男による優駿制覇を目指します』


 その馬の背に乗るのは、小柄で寡黙なあの兄上だった。

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