八百九十三 志七郎、待ち合わせに行き血塗れに吠える事
志学館での通常授業が終わり義二郎兄上御用達の拉麺屋で『ニンニクスクナメヤサイアブラマシマシカラメマシ』を昼食に挟んで、午後からは留学の為に来期の試験を前倒しで突破する為の特別授業を受けた。
其れ等が終わってから錬武館で軽く汗を流すと、そろそろ日が傾いて来る時間に成る。
前世の世界とは違い電灯が無く、火で灯りを得るのに掛かる銭も決して馬鹿に成らない此方の世界では、日の出よりも前に起きて日が落ちたらさっさと寝ると言うのが割りと当たり前の生活なので、此の時間まで城に居るのは城内で暮らす幕臣達位の物だ。
故に志学館での授業は基本的に午前中で終わるし、錬武館での稽古も大名家の子は元服迄の間は此の時間まで居残る事は推奨されて居ない、にも拘らず俺が此の時間まで城に留まったのは、初陣を終えた志摩と断狼の義兄貴を鬼切り奉行所で出迎える為だ。
鬼切奉行所に有る遠駆要石は、江戸州内各地の戦場との間を転移出来る非常に便利な術具では有るが、基本的に一度行った事の有る場所へしか移動する事は出来ない。
とは言え同行者の誰か一人が行った事が有れば使えるので、断狼義兄貴が一緒ならば人喰い鬼が出る『古き血の合戦場』と言う戦場へ志摩を連れて転移する事も出来る。
けれども奉行所としては『戦場へ辿り着くのも本人の技量の内』として居る為、初回は自力で戦場へと歩いて行く事が推奨されて居るので、実は俺が初陣の時に『小鬼の森』まで此処から飛んだのは、割りと規範違反だったりするのだ。
何故其れが許されたかと言えば、俺の初陣が一般の子供達よりも遥かに早かった事と、義二郎兄上がゴリ押ししたのと、桂殿の職権乱用の結果だったりするので、実は余り褒められた事では無いので有る。
幸い志摩は火盗改との取引の時点で鬼切手形を作り、其の犯罪歴に『処罰済』と書き込んで貰って居たので、奉行所での手続きをする事無く屋敷から直接戦場へと向かったが、帰りは此処へと転移して来る手筈で俺と合流してから帰ると言う話になって居るのだ。
江戸州内の戦場は基本的に市街地から離れれば離れる程に危険度を増すが、地下迷宮の様に市街地の中に有る戦場も有り、そうした所もやはり市街地から遠い……つまりは深い場所程難易度が上がる事に成る。
今日、志摩が向かった古き血の合戦場は江戸州内で言えば大体真ん中程度の難易度と言える場所だが、其処に辿り付くのは徒歩だと早くて昼過ぎ位で、恐らくは現場に着いて要石を使い一度此処へと戻り、昼食を済ませてから再び戦場へ……と言う流れの筈だ。
そして人喰い鬼は同族ですら敵と見做す程に好戦的な鬼の為、どうしても数が少なく成りがちな上に古き血の合戦場と銘打たれた戦場は割と広いので、遭遇するまでにも余程索敵能力が高く無ければ時間が掛かるだろう。
四煌戌と言う優れた猟犬を連れている俺はサクッと見つける事が出来るが、単独行動を得意とする断狼義兄貴が初陣の志摩を上手く支援してくれて居ると良いが……。
「な!? 志摩! 大丈夫か!? 義兄貴! なんでこんなに成るまで放って置いたんだ!?」
そんなこんなを考えながら鬼切奉行所へと足を踏み入れた俺は、真っ赤な血に染まった志摩の姿を見て、慌ててそんな叫び声を上げながら彼の下へと駆け寄った。
「おいおい、幾らなんでも慌てすぎだぜ鬼切童子様。よく見ろ、此奴は傷一つ無ぇよ。ただ派手に返り血を引っ被ったけどな」
苦笑いを浮かべながらそう言う断狼義兄貴と、恥ずかしそうに身を竦ませる志摩。
「聞けば返り血が来る角度や場所を考えて斬った後にきっちり躱すってのは、鈴木様が国許に帰る前に教わってねぇってんじゃぁ無ぇか。此りゃ多分此奴が初陣に出るのは来年以降の積りだったんだろよ」
軽く肩を竦めながらそう言う断狼義兄貴に拠れば、身の丈八尺を少々超える程度の人喰い鬼としては比較的小型の個体と遭遇した志摩は、危なげ無く先手を取ると素早く敵の裏を取り、膝裏の腱を切り崩れ落ちた所を首を刎ねて仕留めたのだそうだ。
しかし首を刎ねれば当然噴水の様に血が吹き出す訳で、其の仕留め方をしたならば素早く相手の身体を蹴倒すなりして、返り血が自分に掛からない様にするのが定石なのだが、志摩は其れをせず頭から諸に引っ被ってしまったのだと言う。
「幸い人喰い鬼の血は毒の類じゃぁ無いし、乾いても直ぐに固まる様な物でも無いんで、失敗を反省させるつもりでこの儘で精算を受けさせたんだわ、まぁ放って置くと着物が染みに成って落ちなく成るし、銭湯にでも依ってサクッと洗濯しちまった方が良いわな」
こうした返り血をガッツリ浴びると言う失敗は、町人階級の子供が初陣でやらかす事は割と多い事だそうで、鬼切奉行所としても血塗れの子供が精算に来ても驚く事は無いと言う。
んで断狼兄貴の言う通り銭湯に依る成らば、城門を出て直ぐの所に営業して居る江戸でも一、二を争う大きな湯屋が有るらしい。
火の利用に制限が有る江戸の街では、家に風呂を持っているのは其れこそ市街地の端に大きな敷地が与えられている大名家や一部の豪商の屋敷位の物で、城内に住む幕臣で自宅に其れが有る者は誰一人として居ないと言う。
その代わり城内には幕臣だけが無料で使える大浴場が二十四時間何時でも入れる様に、掛け流しの湯が維持されて居ると言う話だった筈だ。
なお例外的に個人な風呂が有るのは、上様の妻や側室達が暮らす大奥だけで、老齢故に其処を閉めてしまっている今は、上様すらもが大浴場で入浴して居るらしい。
そんな上司が何時入ってくるかも解らない様な風呂場は、利用し辛いと言うか気が休まらない様な気もするのだが……『地位や権威なんざぁ着物と一緒に脱ぐ物だ』と言う言葉を家安公が残している為、風呂場では平伏だの何だのしなくて良い取り決めだと言う。
まぁ其れでも御目見得未満の小普請組の小倅が上様と一緒の湯に浸かる……なんて事の無い様に、余程の事情が無ければ大体家格毎に入浴時間は決められているらしいので、然う然う問題には成らないのだろう。
対して城門外の銭湯は鬼切奉行所で精算を終えた町人階級の鬼切り者が、長屋へ帰る前に一風呂浴びてさっぱりする為の場所として、連日大繁盛して居るのだと言う。
ちなみに向こうの世界で銭湯で洗濯はマナー違反だとされて居たが、此方の世界では銭湯で洗濯出来るらしい……とは言っても風呂場でじゃぶじゃぶ洗うと言う訳では無く『洗濯女』と呼ばれる者が働いて居て、彼女達に銭を渡して洗って貰うのだそうだ。
「……ついでに銭湯にゃぁ鎧も綺麗にしてくれる職人も居るし、併設の損料屋で替わりの着物を借りる事も出来るぜ。つーか一般町人の鬼切り者は自分の着物なんて持って無くて、其処の損料屋で借りた着物を着るのが普通なんだけどな」
つまり普通は『借りた着物を着る→戦場で汗や血で汚れる→洗濯女に預け洗って返す』と言うのが一連の流れだと言う事なのだろう。
自分の着物を持つと言うのは此の江戸では割と贅沢の部類で、其れこそ自宅に風呂を持つ様な豪商か、武家の者で無ければ無理な話なのだと言う。
しかも同じ武家でもある程度家格の高い家じゃぁ無ければ、新品の着物なんてのは家長と嫡男だけで、後はお下がりをずっと着回すのが普通で有る。
若い娘が居る家ならばもう少し被服に掛ける銭が増える物では有るが、其れでも然う然う簡単に買い替える事の出来る様な物では無いと言う。
なお和服は洋服とは違い個人個人に合わせて裁断する様な事はせず、反物を体格に合わせて織り込んだりして縫うので、汚れが酷い場合には洗濯の際に一度解いて反物の状態に戻してから洗うのだそうだ。
俺も何着か着物を持っては居るが、実は洗濯の度に解かれ縫い直されている為、身体が成長したからと言って一々着物を買い替えたりして来た訳では無い。
「此の着物はあーしが志七郎様から賜った物だから、損料屋に下取りして貰う様な事はしたく無い。人喰い鬼の討伐報酬と素材を売れば銭湯代と洗濯代に替わりの着物を借りる銭位は有るし、綺麗にして帰るけど洗った着物は持って帰りたい」
……志摩の着てる着物って俺の着物の中でも一番古い奴をお下がりにした物なんだが、そんな物ですらも恩義に感じる程、着物の買い替えと言うのは此の江戸では贅沢の部類に成る様だった。




