八百九十二 志七郎、鬼扱いされ認識のズレを自覚する事
「「「「初陣で人喰い鬼と一対一とかお前等の方が鬼じゃねぇ?」」」」
至学館での授業の合間、一寸した雑談の積りで志摩が初陣に向かった事を級友に話したのだが、その場に居た全員が声を揃えてそんな言葉を口にした。
「ゑ? 人喰い鬼を倒せれば一人前の証だって言う話だし、同行してくれる義兄も十分倒せる相手だって言うから其処に行かせる事にしたんだが……初陣で相手にするには不味い奴なのか?」
彼等の反応に少し不安に成った俺は即座にそう問い返す。
「そりゃぁ……人喰い鬼は元服した侍が一人で倒せて一人前と呼ばれる相手、其れを初陣で斬って来いと言うのは、普通の家ならば『死んで来い』と言っているのに等しい行いで御座るぞ?」
すると級友の中でも比較的仲が良いと言えるだろう森本家の獅子丸殿が『何を言ってるんだ此奴』と言わんばかりの目で此方を見ながら答えてくれた。
「まぁ……鬼切童子殿自身、年末生まれにも関わらず数え五つで初陣を飾るとか、他家から見れば邪魔な子供を始末しようとしたと思われても仕様の無い事をして居ますしのぅ」
続け様に飯伏家の影千代殿が追い打ちの様にそんな言葉を口にするが、世間一般で初陣に出るのは数えで十歳位が一般的だ。
町人の子供も十歳にも成れば体格が小鬼と同等程度に成り、槍なんかの長物を持てば一対一でも十分有利な勝負と成ると言う事からそうした慣習になった物らしい。
武家の子ならばもう少し早く初陣に出る者も少なく無いが、練武志学両館に通う様に成り家族以外の者と切磋琢磨する中で、氣に目覚め其の運用を学ぶ事で、小鬼よりも上の獲物で初陣を飾るのが通例と成っている。
そう言う背景を考えて言えば、数えで五つの満年齢で三歳と言う幼さで初陣に出た俺や、其れを許した猪山藩猪河家が『異常』扱いされるのも無理は無いだろう。
「武勇に優れし猪山の……とは色々な所で聞いた事の有る謳い文句ですが、鬼二郎……いや今はもう豹堂様と呼ぶべきか……兎角あの方や悪五郎にあの一朗と、二つ名持ちが例外で他の者は普通だと思っていたが決してそうでは無さそうだ」
そんな言葉から始まった獅志丸殿の言葉を纏めると、猪山藩の『武勇に優れし云々』と言う言葉は、義二郎兄上や御祖父様に一朗翁の様な卓越した個人が為した功績を藩の物と喧伝した結果だと一般的には思われていると言う事だった。
けれども今回七子四男に付けた小姓の初陣相手に人喰い鬼を選んで、其れを付添人も良しとした事で、猪山藩自体の武勇に対する基準が一般武家の其れとは違う『狂った物』なのだと理解してしまったのだと言う。
「まぁ去年来てたあの半妖の方々も武士じゃぁ無く只の領民だってんだから、猪山藩の戦闘能力が並じゃぁ無いのは今更の話ですかのぅ?」
続けて口を開いた影千代殿の言葉は、昨年義二郎兄上の帰還に合わせて行った百鬼昼行を言及していた。
あの時江戸へと上がって来た一目で半妖と分かる見目をした者達は、江戸や他藩の物達から見世物の様な物言いで嘲笑われる様な事も有ったらしく、少なくない諍いが有ったらしい。
けれども其の大半は刃傷沙汰に成る様な事は無く、相手が得物を抜いたとしても此方は拳で穏便に事を済ませたのだそうだ。
流石に武士階級に有る者相手に喧嘩騒ぎを起こす様な事は無かったが、其れは飽く迄も家の領民が自重した結果で、落とし前自体は父上がきっちり付けさせたのだと言う。
……何故、我が藩に関わる話が伝聞形な上に彼等から聞いて初めて知るのかと言えば、此の手の騒動は領民に半妖が多い猪山藩や仁鳥山藩の様な領地にとっては日常茶飯事で、家中で殊更話題にするべき事では無いからだ。
他藩や江戸にも半妖の者や人に交わり生活する妖怪が居ない訳では無いが、そうした者の多くは人の姿に化けて生活して居る事が多く、自ら『混ざり者』と言う蔑称で呼ばれる事を許容しようと言う者は殆ど居ない。
そうした半妖への蔑視は京の都より向こう側の所謂『西国』に比べれば、江戸の其れは比較に成らない程の軽い物だと言う話だが、其れでも好奇の目で見られる事は免れないのは仕方の無い事なのだろうか?
ちなみに猪山藩と並ぶ程に半妖が多いと言われている仁鳥山藩は、江戸から可也北に位置して居り、区分としては『東国』よりも更に京の都から遠い『奥羽』と呼ばれる地方に存在して居る。
京の都から然程離れていない猪山藩が、鬼や妖怪の血を引き一目でそうと分かる者が差別も受けずに生活出来たのは、山奥の盆地で陸の孤島と呼ぶに相応しい土地だったからこそだ。
対して仁鳥山藩はと言えば、厳しい土地だったからこそ猪山と同じく鬼や妖怪の血を積極的に入れ力を得て、そして京の都から遥か彼方の地だったが故に家安公が火元国を一つにするまで其の存在を知られる事無く生きて来たので有る。
とは言え武家の男児に取って女鬼を嫁や妾にするのが誉れ高い事とされて居る様に、そうして受け入れた血が次代や次々代辺りで顕在化した場合に、其れを差別する様な事は決して褒められた行為では無い。
では何故西国では半妖に対する蔑視が強いかと言えば、女鬼の出現する場所が大川より西では極端に少なく、逆に東国は京の都から遠くに離れれば離れる程に多く出現する事にも影響が有るのだろう。
逆に知恵や理性を持った男の鬼や妖怪が人間の女性と恋に落ち心を通わせ愛を育み、結果として人間寄りの子供を産むと言う案件も無くは無いが、此方は女鬼を打倒し娶るのに比べると極めて稀だと言える。
其れでもまぁ……永い年月の間には火元国だけで無く世界中で何方の形式もそれ相応に『有る』事例だからこそ、猪山藩や仁鳥山藩の様に『半妖の楽園』等と呼ばれる様な土地が出来たりもするのだ。
「ああ、あの半妖騒動で武家に取り立てられる予定だった鬼切り者の何人かが、見送りに成ったなんて話も有ったなぁ。少なくとも猪山の領民は武士に取り立てられる程の鬼切り者を子供扱い出来るって事なんだよねぇ……多分俺も未だ勝てないんだろうなー」
そんな事を言ったのは顔と名前は一致しないが同級生の一人で、錬武館では何度か稽古を付けた事も有る者だった。
彼は級友の中では割と出来る方では有るが飽く迄も年相応と言った感じで、確かに猪山藩の若い衆とでも手合わせすれば十本やって一本取れるかどうか……と言った所だろう。
しかし其れは飽く迄も猪山藩の武士を相手にすればと言う話で、同年代の一般領民を相手にするならば先ず間違い無く彼の方が優る筈だ。
「国許だと領民が初陣で相手にするのは目々多蝦蟇って妖怪らしいけど、俺達の歳なら其れに勝てるなら十分なんじゃぁ無いか?」
安心させるつもりで領地最弱と言われる妖怪の名を挙げたのだが……
「……目々多蝦蟇って俺達位の子供なら平気で丸呑みして来るヤバい妖怪じゃねぇか!?」
「確かアレ物理耐性持ちで半端な攻撃は殆ど弾くとか書物で読んだ覚えが有るぞ?」
其の存在を知って居るらしい者が、驚きと恐れの混ざった様な声を上げた。
「いや、奴が持ってるのは物理耐性じゃなくて打撃耐性で斬撃や刺突は普通に通るから、刀を使えば十分勝てる筈だぞ?」
俺は慌てて後者の言葉を否定するが、
「違う。目々多蝦蟇は打撃無効の斬撃半減で、刺突は八つの目玉を正確に突いた時だけ痛打を与えられる……って思いっ切り此の教科書に書いてるぞ!」
手にした『火元国津々浦々鬼切手引』と言う、志学館で使われている教科書に書かれた目々多蝦蟇の頁を開いて即座に反論された。
……そか、斬撃半減でもお連の図抜けた腕力と糞重たい戉なら十分な被害を与えられたと言う事か。
領民の初陣相手すらも、江戸の基準で言えば十分『殺す気』級なのだと知って、俺自身を含めその場に居る者全員がドン引きするのだった。




