八百九十 志七郎、盗人と顔を合わせ志摩、決意する事
「遅ればせの仁義、失礼さんで御座んす。私生まれも育ちも青梅は御岳山に御座んす。
渡世上故あって親や一家持ちやせん。駆け出しの身もちまして姓名の儀、一々高声に発します仁義失礼さんです。
御嶽の社で産湯を使い名をば七兵衛、人呼んで早駆けの七と発します。
西に行きましても東に行きましても、とかく土地土地のおあ兄さん、おあ姐さんに御厄介かけがちなる老骨でござんす。
以後見苦しき面体お見知りおかれまして、恐惶万端引き立って宜しくお頼み申します」
母上に突然言い渡された海外渡航に備えた準備を続ける日々の中で、俺個人の下男と言う扱いに成っていた志摩が、昔馴染みが江戸に戻ったので仕え人に成った事を伝えに行くと言うので普通に休みを与えたのだが……。
何故か彼が腐れ街で世話に成ったと言う盗賊団の頭が、俺の部屋へと来る也仁義を切って来た。
いや……確かに猪河家は下屋敷で賭場を開陳して居ると言う意味では、渡世人に近い立ち位置と言えるのかも知れないが、其れでも法の側に位置する武家で有る事に違いは無い。
「此れは一応はあっしが拾って育てた悪垂れに御座んして、其れを再び拾って御天道様の下で生きれる様にして下さったと知って、鹿十決め込む様じゃぁ義賊の名が廃るってなもんでしてね。義理は通して置かねぇと筋が通らねぇってな物でさぁ」
『盗人にも三分の理』では無いが盗人達にも格と言う物が有り、七兵衛と名乗った彼等の盗賊団は飽く迄も『不誠実な商いで暴利を得ている見世』に対して天罰を下す義賊だと言う矜持が有るのだと言う。
「その上に世話に成るのが、あの猪山の御隠居様の御孫様だって言うじゃぁありあせんか! あっしも御方の側に控える嵐丸の旦那とは知らねぇ仲じゃぁ無ぇんでね、直接御挨拶の一つもせにゃアカンと思った次第に御座んす」
聞けばそうした『悪徳商人』情報の出処は割りと御祖父様なのだそうで、他藩の武士で有る御祖父様が直接どうこうするのは憚り有るが、捨て置けば民草が苦しむ事に成る……そんな話を見聞きした場合に彼等にネタを丸投げするのだと言う。
彼等も元からそうした御祖父様の下請けとでも言うべき立ち位置の盗人だった訳では無いが、義理人情を重んじ『盗みの三カ条』をきっちり守る義賊として活動していた其の働きぶりを見て、嵐丸の大叔父貴が上手く使う様に成ったらしい。
勿論、彼等としても紐付きの狗に成り下がった訳では無く、飽く迄も互いに利用し合う関係で、悪徳商人の見世で盗みを働いた際に当地の武士が不正を働いている証拠の様な物を手に入れれば情報料として大叔父貴に渡すのだと言う。
「御挨拶の手土産と言っちゃぁなんですが……どうぞ此奴をお納め下だせぇ」
そう言って差し出されたのは『丸に猪の紋』が入った鎧櫃だった。
猪山藩猪河家が用いる『組み合い角に猪の紋』、他所から移ってきた者では無い生え抜きの家臣が用いる『井桁に猪の紋』とも違う此の紋所は、猪山藩の領民が対外的に使う物で有る。
家紋は基本的に其の者が何処の藩に所属している者なのかを示す物で有り、其の紋所を背負って罪を犯す者が出たならば、其の紋の元締めで有る藩主家の者が責任を持って処罰するのが通例なのだ。
勿論、各地の奉行所の役目には犯罪者を捕らえて処罰する事も含まれているが、藩の紋所を背負った者が奉行所に捕まったと成ると、其れは割りと大きな恥と言う事にも成る。
とは言え、藩を出てから何代も江戸や河中嶋藩の様な都会で暮らしている者に対してまで、そうした監督責任を負うと言う訳では無く、恥として扱われるのは精々初代までだそうだ。
「此奴は今回の仕事で手に入れた品ですが、紋入りの物を故買屋経由で他所に流す訳にも行かず、嵐丸の旦那に相談した結果志摩の奴が鬼切童子様の配下に成ったなら其の侭使って貰うのが良いと言う判断でしてね」
言われて開けた鎧櫃の中には、猪山の者が仕立てさせたとは到底思えない様な御粗末な子供用の胴丸鎧が入って居た。
此の世界では其処等の農民だって田畑を守る為に鬼や妖怪と戦う事は有るし、男ならば一度は戦場へと出て鬼切りを経験しなければどんな職場でも舐められる……と言う位には戦いが日常の中に有る。
其の中でも猪山藩は四方を高難易度の戦場に囲まれた立地で、尚且田畑から取れる食品だけでは満たされぬ食欲旺盛な者達が生きて居る為に、鬼や妖怪を食う為に狩るのが日常茶飯事な戦闘民族なのだ。
そんな猪山藩では一般的に初陣を経験する十歳位に成れば、他所では割りと強敵に区分される豚鬼が狩りの対象と成る。
故に猪山藩では初陣に出る子供に与える鎧は、豚鬼の一撃に耐えられるのが最低限度と言えるのだが……眼の前に有る此の胴丸は小鬼の一撃程度ならば兎も角、奴等の攻撃を受け切れる程の物には見えなかった。
多分他藩や此の江戸で初陣に出る子供に与える物としては、決して粗末な物とは言い難いし兜や大袖まできっちり揃った胴丸一式と言う時点で、一般的な町人階級の子供に与えるには決して安いとは言い難い品では有る様に見える。
飽く迄も猪山縁の家紋が入った品としては貧相過ぎる……と言うだけだ。
可能性として考えられるのは、此れを着た者に何かの『ヤラカシ』をさせ猪山藩の者の仕業と難癖を付ける道具とすると言う事だろう。
勿論、普通に考えれば何代か前に猪山藩から出た者が、子供の初陣の為に仕立てさせたと言う可能性も無くは無いが、御祖父様から情報の横流しを受ける様な義賊団が押し入る様な悪徳商人の所に有ったという時点で色々とお察しだと言える。
「中身は使い物に成らないが、鎧櫃自体の作りはきっちりして居るな。此れなら志摩が自分で仕立てた鎧を入れるのに使えるだろう」
実際、鎧も決してゴミとまで言える程酷い品では無く、普通に小鬼の森辺りに初陣に行く子供が着るので有れば十分以上の品と言える。
一応志摩は初陣前では有るので、此れを多少手直しして着て小鬼の森に行くと言う選択肢が無い訳では無いが、俺の配下として猪山藩縁の者と言う紋所を背負って着るには少々格落ちが過ぎる品なのは間違いない。
志摩も鬼切り手形を作り詳細を表示する水晶が有る役場で調べて貰えば、両親の情報を辿る事は不可能では無いし、そっちの家紋を使える様に交渉する事も出来ない話では無いが、子供を孤児院の前に捨てる様な親では態々其処までする価値は無いだろう。
「この鎧自体は紋所を消して晴天自由市場で流せば良いとして……志摩の鎧は何を使って仕立てるのが良いかね? まぁ今仕立てても外つ国行きには間に合わない可能性が高いし、向こうの国で作る方が良いかも知れないがね」
如月の末には伯母上とその息子の吉人は江戸へと戻り、其れに合わせて第二次留学団も出立する事になって居るのだが、流石に武具を一から仕立てて初陣を済ませて……と言う所までやってからでは出航に間に合わない可能性が有る。
下手に発注だけして間に合わなかった場合、此方に戻ってくるのは早くても一年以上先に成る訳だから、どう考えても帰って来た頃には身体に合わなく成って居るだろうし、そうなれば単純に素材の無駄でしか無い。
「いえ、志七郎様……此の鎧あーしに下さい。小鬼を相手にするにゃぁ十分だってぇなら、此れ着て明日にでも初陣を済ませて来ます。売っぱらうんだってその後にすりゃ無駄にゃぁならねぇでしょう」
「否々! んな貧相な鎧を猪山縁の紋所入れた状態で家臣に着せるなんざぁ猪河家の恥でしか無いから! 此れ着せる位なら俺が前に着てた奴をお下がりにした方がなんぼかマシだってぇの!」
と、唐突にんな事を言い出す志摩に、俺は即座に否定の言葉を口にする。
主家の恥は家臣の恥、家臣の恥は主家の恥なのだ、町人階級基準で言えば比較的マシな鎧でも、武士階級の者が着るには貧相と言える鎧を家臣に着せて初陣に行かせれば、俺だけで無く猪山藩猪河家自体の恥に成る訳だ。
……待てよ、勢いで言った言葉では有るが、今の鎧の前に着ていた鬼亀の甲羅を使った鎧なら、未だか細い志摩の体格ならば十分着れるんじゃぁ無いか?
問題が有るとすれば、腹に思いっ切り組み合い角に猪の紋がモザイク画で入っている事だが、其処は絵の具か何かで組み合い角の部分の上から塗りつぶす様に丸印を書けば誤魔化せるんじゃぁ無いか?
「火元国に居る内に初陣を済ませて置きたいって言うなら、俺が前に着てた鎧を貸してやる。んでもお前の身体に合わせた鎧を仕立てるのは西方大陸に行ってからってのは動かせないぞ」
鬼切り者の装備は自分で手に入れた素材で仕立てるのが習わしだが、初陣前の子供の装備は身内が用意してやるのが常識だし、物に依っては先祖代々引き継いで使う様な『名刀』や『逸品』と言う物も有ったりするので絶対と言う訳では無い。
「有難う御座います、外つ国へ行く前にあーしは初陣を済ませたいと思って居ました。小鬼の森じゃぁ大手柄とは行かないでしょうが……伏虎師範の教え通り鬼の首級を上げてきやす!」
少女と見紛う様な顔立ちの志摩だが、心は間違いなく男児の様で、初陣を前にして猛る気持ちが抑えきれない様に、腹の底からそんな叫びを上げるのだった。




