八十六 志七郎、子犬に餌を与える事
「石喰い鳥が四十羽、石喰い牛が十六頭、石喰い百足が四匹、石蜥蜴が十匹……ちょうど四両ぴったりだ。相変わらず君たちは凄いねぇ」
戦場から遠駆要石を使い、鬼切り奉行所へと帰ってきた俺達は、それぞれの持つ鬼切り手形を役人へと提出する。
すると役人は手形を通して俺たちの魂に刻まれた討伐数を確認し、それに見合った報酬を出してくれるのだ。
鬼切りの収入はこの討伐報奨金と、仕留めた獲物から剥ぎ取れる様々な素材の売却益から成る。
討伐報奨金はその鬼、妖怪の危険度や討伐難度が高い程値が上がる、石化能力は比較的危険度の高い能力なので、その討伐報奨金は実際の強さに対して比較的高めである。
だがそれは素材の売却益に比べれば微々たる物と言える金額ではある、例えば石喰い鳥の羽は一羽分で五百文、八羽で一両という高額素材だ。
それ以外にも鶏冠や嘴、砂肝や心臓と言った内臓も様々な霊薬の材料にもなれば、食材としても人気がある。
その他の素材も全て売り払えば軽く百両には成るだろう、腕の良い鬼切り者はこうして大金を一日で手にする事も出来るのである。
うちの場合、素材はそれぞれが欲しい物を先ず取り分け、その後に誰も要らない分だけを売ると言うスタイルだ。
もっとも素材を必要とするのは智香子姉上で、信三郎兄上は特に素材を欲して居るわけではない、俺も必要なのは子犬の餌に成る分の肉だけだ、それ以外の素材は御用商人を務める悟能屋に売り払う事になる。
なので、ここ鬼切り奉行所にある買い取り窓口には用は無い、ここは特定の商家と付き合いのない町民系の鬼切り者が得た素材を安すぎない程度に買い支える場所なのだ。
商家の中には学の無い鬼切り者を騙し、安く買い叩く様な輩も居るらしく、そういう者から若い鬼切り者を守る為のセーフティネットと言った所だろうか。
「さー、今日も一仕事終わったの―、後は帰って飯食って寝るの―」
そこを通り過ぎ、奉行所を出た途端、姉上はそう声を上げて大きく伸びをした。
「姉上、そう大声を出すのは端ないでおじゃる。もっと猪河家の娘として慎みを持って欲しいでおじゃる」
それを見咎めるように兄上が溜息を付く。
ここ数日、ほぼ毎日繰り返されるそのやり取りを、俺は静かに笑みを浮かべて見つめていた。
「「「あん! あん! あん!」」」
屋敷へと帰ると、子犬が嬉しそうに飛びかかってきた。
うちに来た当初は誰にも彼にも怯え、決して手を触れさせる事すら無かったのだが、毎日根気強く世話をした結果、こうして俺に懐く様子を見せている。
「ただいま、お腹空いてるのか? 俺達の食事が終わったら、お前にも餌やるからなー」
子犬の食事は人間の食事の後、これは仁一郎兄上に言われた躾の一環である、犬と言うのは本能的に群れの順位付けを行う生き物で、上位の者から順に食事を取る習性がある為、その順番を守らないと自身の順位を間違えて覚えてしまう事が有るのだそうだ。
犬や馬、鷹の様な使役される動物は、人間の武士と同様に藩に属する家臣として公的に扱われる。
その為躾を誤り何かトラブルを起こせば、その処分は下手をすれば藩全体に及ぶ事になる、なので子犬の躾は厳しく行わなければならないのだ。
「早く名前付けてやらないとなぁ……、いつまでも子犬じゃぁ可哀想だしなぁ」
ペロペロと競う様に俺の手を舐める子犬の頭を順番に撫でながらそう呟く。
この一月この子犬の名前に付いては色々と悩んで来た、胴体が一つなのだから一匹分の名前で良いのか、頭ひとつひとつそれぞれに名前を付けるべきなのか?
精霊魔法を使う為の霊獣として、また武家の家臣として恥ずかしくない名前を付けなければ成らない、しかも一度付けた名前は世界樹へと登録され、それを変更する事はそう簡単に出来ることではないのだから、中々に悩み所である。
ちなみに仁一郎兄上の所に居る犬は大半が他所から躾の為に預かった犬だそうで『鷹誉号』や『紅桜号』といった武家の犬らしい子から、『ポチ』や『ジロー』等町民階級の犬まで様々な名前の子犬が居る。
霊獣の名前は精霊魔法を使う上でも重要な位置を占める事柄だと、書庫の教本に書かれていた事もあり、子犬の名前は師匠がやって来てから相談しようと思っていたのだが、まさか一月経ってもまだ許可が下りないとは思わなかった。
「「「きゅ~ん。きゅーん!」」」
そんな事を考えている間にも時間は経っており、子犬が空腹である事をアピールする声を上げ始めた、と言う事はそろそろ人間の食事の準備が出来た頃合いだろう。
「よし、じゃぁ先に中庭に行くんだよ」
子犬をこの場に結びつけた縄を解きそう言うと、此方の言うことが解ったのだろう、一直線に中庭へと走って行く。
その走り方も一月前の様なふらふらとした足取りでは無く、それぞれの首が邪魔をせずに協力して走っているのが解る力強い足取りに成っていた。
たった一月だというのに目に見えて成長が解る、それはこの世界に生まれ変わってから感じたどんなことよりも楽しい物に思える。
早く食べさせてやらないとな……。
そう思った俺は鎧を外し手早く濡らした手ぬぐいで全身を拭き早速広間へと向かう事にした。
夕食を皆が食べ終わるのを待って、台所で用意された餌を三皿持って中庭へと出る。
中庭は大広間に面しており、俺達が食事を取っている間中、子犬はずっと声を上げ続けていた。
まだ、躾をし始めたばかりの頃は庭から広間へと飛び込み、人の膳から食べ物を奪おうとした事も有った。
だが、当然ながらそんな事は許される訳も無く、殺気混じりの氣を放ったり、目の前で手を叩く所謂猫騙しを放ったり、と誰ひとりとして食事を奪われる者は居なかった、そしてその度につまみ上げられて庭へと放り出された。
そんな事を繰り返して居るうちに、建物の中は人間の縄張りで、自分が立ち入っては成らない場所であると学んだ様である。
仁一郎兄上からはこういう躾についても、俺自身がしっかりとやらなければ成らない事だと、軽い叱責を受けたりもしたが、今ではちゃんと俺が餌を出すのを待つように成ったのだから、まぁ良しと言う事にしておこう。
「ほら、ちゃんと噛んで食べろよ―」
石喰い鳥の胸肉、軟骨、石喰い牛の赤身肉、スジ肉、それらから多少の野菜、これらを生のまま混ぜあわせた物が今日の夕飯だ。
同じ身体を共有している三匹? なのにそれぞれ微妙に性格が違うらしく、食事の仕方にも好みにも多少の差が有る。
やんちゃで強引な真ん中の首は何でもよく食べる、いつも最初に全部食べきるのもコイツが最初だ。
おっとりのんびりした左の首は野菜よりも肉が大好きで、特に鳥のササミを好んでいる、いつも野菜だけを避けて食べるのだが、肉だけではやはり足りないらしく、嫌そうに眉を潜めて最後に食べている。
右の首はちょっと臆病な子らしく、俺が居ない時には何時も不安そうにきゅんきゅん鳴いているらしい、この子は肉より野菜が好みの様で野菜を先に素早く食べ、それからゆっくりと肉を食べ始める。
三者三様の性格、食事風景を見るとやはり一匹の名前で纏めて呼ぶのは違う気がしてくる。
食事をする子犬の背中を優しく撫でる、こうして食事中に触れる事が出来るのは犬との信頼関係が出来始めた証拠らしい、それが出来ていなければ餌を狙う外敵とみなされ威嚇、下手をすれば噛まれる事も有るという。
順次食べ終わる子犬に、食後のおやつ兼おもちゃには石喰い牛の骨を此方も生でそれぞれに与えた。
ガリガリと音を立てて齧るその牙は、既に乳歯では無く大人のそれに見える、噛まれたらもう傷じゃ済まないな……。
あ……、あっさりへし折った。




