八十五 志七郎、狩猟に精を出す事
あれから一月程が経った頃、俺は信三郎兄上、智香子姉上達と3人で連日鬼斬りへと出る様になっていた。
正直未だに生き物を殺すと言う事に抵抗は有るのだが、どうしても狩りをしなければ成らない理由が出来てしまった。
あの子犬達、滅茶苦茶食うのだ。
普通の子犬は一日にその頭の大きさを基準にその半分から2倍程度の範囲で与えるらしいのだが、あいつらはどういう身体構造をしているのか、3つの頭それぞれが一食に付きそれくらいを食べる、それを一日3食だ。
単純に考えても普通の子犬の9倍の食料が必要で、しかも未だ身体の出来ていない成長期の子犬に必要な栄養をしっかりと摂らせる為、与えているのはほぼ肉のみである。
義二郎兄上が鬼斬へと出られない現在、我が家の食卓に置いて肉は貴重品、子犬が満足出来る量の肉を与えるとなれば買い足さなければ到底不可能な量なのだ。
当初は神から授かった霊獣と言う事で、藩の財政から食費を出すことも検討されたのだが、仁一郎兄上の所に居る無数の生き物達の食い扶持は仁一郎兄上の稼ぎから出ている事もあり、兄弟の間で扱いに差を付けるのは良くない、と俺はそれを辞退した。
で、俺の小遣いから餌代を捻出していたのだが、あっという間に減っていく銭を見て、自前で餌を用意する事を思い立ったのだ。
生きたまま買い入れた鶏を絞めて解体する練習等も積み、殺すと言う事についても多少は慣れた……と思う。
そして家族に相談した結果、二人と共に出かける事になったのだ。
そんな俺達が来ている戦場は『化石の森』と呼ばれる地域で、遠駆要石を利用しなければ片道2日は掛かる遠方である。
「二人共そろそろお薬が切れる頃なの、一旦下がるのー」
姉上のそんな言葉に俺と信三郎兄上は周囲を警戒しながら姉上がキープしている場所へと足を向ける。
この化石の森と言う場所は『石喰い』と言う総称で呼ばれる石化能力を持つ妖怪達が生息する場所である。
その妖怪毎に、視線が合った場合や棘に刺された時、などその能力が発現するキーは違うものの、一度石化してしまえば解除は簡単ではなく、また石食いの名の通り石化した対象を食う者も居るので、石化=死と考えてほぼ間違い無い。
並の鬼切り者では浅い場所へ足を踏み入れただけでもあっさりと命を落とす、そんな危険な場所で義二郎兄上でも単独で来る事は殆ど無い、中級から上級者向けの戦場である。
そんな場所へと何故初心者と言って間違いない俺達が来ているのか、それは智香子姉上の力が大きい。
姉上が用意した石化予防薬を常飲する事で、俺達は石化の恐れなく戦えるのだ。
と言うか、石化さえ無ければこの戦場に居る妖怪は小鬼達よりも弱いかも知れない。
嘴に触れたものを石化させる『石喰い鳥』は石化を予防してしまえばただの鶏と変わらないし、視線を合わせた者を石化する『石食い牛』は目が一つしか無い上に牛と言うにはかなり細身で打たれ弱い。
書庫の本に拠ればこれらは『石喰い』と言う名前を持つが、石化した対象を捕食する事は無く石化に耐性を持つある種の薬草を食べる草食妖怪である。
石化した者を食べるのは『石喰い百足』と言う妖怪で、前者2種の被害者も大概はこいつの餌に成るのだそうだ。
だが、こいつも石化能力があるからこそ危険な妖怪で、それを封じてしまえば一寸大きな百足に過ぎない。
以上3種がこの森に住む石化能力を持つ主な妖怪であるが、もう一種類よく戦う事に成るのが『石蜥蜴』だ、こいつは石化能力は無いが、既に石化しているという事なのか石のように硬いウロコを持ち石化に耐性がある。
どの獲物から取れる素材も、常に需要が有るのだが、入手できる鬼切りは限られている為、中々いい値段に成るらしい。
「姉上、必要な素材は溜まりましたか?」
良薬口に苦しと言う訳ではないだろうが、出来立ての石化予防薬はかなり青臭くそして苦い、この薬は日持ちがしないため現場で作りたてを飲まされている。
姉上はここでしか取れない採取物を狙って来ている為、戦闘には殆ど参加せず採取を優先している。
「んー、あっしの方はそろそろ今日集める分は終わりそうなの―。それよりも信三郎君の体力切れが心配なの―」
「ぜひぃ……、ぜひぃ……、ま、麻呂は、まだまだ大丈夫でおじゃる。未だ走れるでおじゃる」
この森での狩りは兎に角走る、獲物が基本的に好戦的な相手ではなく、此方が石化対策をしている事に気がつけば、どいつもこいつも一心不乱に逃げ出すのだ。
逃げないのは石蜥蜴だけだが、コイツは丸まって防御されると刃物が通らず兄上の術頼みになるが、走り回った後の呪文詠唱は中々にキツいらしく、口で言うほどの余裕は無さそうだ。
「俺が術を使える様になっていれば、兄上にばかり負担を掛けなくて済んだんですがね」
「まー、しょ~が無いの。志七郎君の先生は江戸に居ないんだから、待つしかねーの」
あれから一月が経つと言うのに、俺に精霊魔法を教えてくれる師匠はまだ来ていない。
幕府の方針で鉄砲と術者が江戸に入る事が規制されており、幕府の許可が下りなければ江戸へと入る事が出来ないのだ。
武士の子に術を教える為と言うのは正当な理由となるので、さほど時間を置かず許可は下りる筈なのだが、今回は何故か中々許可が下りないらしく、俺の師匠に成る人は関所近くの宿場に留め置かれているのである。
無論その滞在費は我が藩持ちなので、少しでも稼いで補填しておきたい。
流石に人の金で乱痴気騒ぎをして、浪費をする様な人ではないとは思いたいが、普通に泊まるにせよ宿住まいは金が掛かりそうだ。
「はふぅ、はふぅ……、よし! もう行けるでおじゃる」
深呼吸をして、息を整えた兄上がそう言って立ち上がったので、狩猟再開である。
ちなみに兄上は屍繰りとの戦いの時と同じ狩衣姿だが、今日はあの分厚い本の変わりに弓矢を手にこの戦場へとやって来ている。
武芸の腕には不安があると言っていた割には中々の命中率を誇り、此方を警戒していない状態の獲物を見つけた時にはその一射で仕留める事もある。
だが身のこなしや体力は、まだまだ足りない様で間合いを詰められると、対処に困っている様子も見受けられた、一応腰には脇差しを挿しているのだが、それを抜く様子も危なっかしく、父上達が彼の初陣を先送りにしていたのも頷ける。
俺が前衛に入り、兄上が後衛という布陣が鉄板だと思うのだが、兄としての矜持が有るらしくその布陣を中々受け入れられないらしい。
それ故に余計に走って、接近戦を仕掛けようとして体力を使い果たしているのだから世話ない話である。
「兄上、右前に鳥が居ます、まだ此方には気付いてません」
そんな状態なので、俺は眼と耳に氣を集めて索敵に力を注いでいる。
「よし、任せるでおじゃる……」
気付かれぬ小さく呟く様に答えを返し弓を引く。
ボヒュッと風を切る音を立てて飛んだ矢は、鳥の首を貫いた。
兄上の弓はかなりの強弓で到底子供の扱える物ではない、だがそれを可能にするのはやはり氣の力である。
兄上は常時氣を纏う事はまだ出来ていないが、あの釣りの時と言い今の射撃と言い、落ち着いた状況の集中を必要とする場面で、爆発的な氣を扱うのは得意の様だ。
「あと2匹位狩れば、今日の予定は達成でしょうかね」
「うむ、やはり蟲や蜥蜴より鳥が美味いの、素材も良い感じの値が付くし、肉は人が食うても、わんこの餌にしても良いおじゃるからな」
仕留めた鳥を回収し、俺達は次の獲物を探し始めた。




