八十三 志七郎、主と成る心を决める事
目を開くとそこには先程世界樹で見たのと同じバスケットが鎮座していた。
魂だけで出張っていたはずなのに、こうして現実に戻った場所に既に届いていると言うのは、流石は神様のやる事と思っておこう。
しかし問題は、それと並んでダウンしている駄目な大人の方である。
結局帰る段階になっても目を覚ます事は無く、彼の魂の切れ端ごと浅間様に送り帰されたのだ。
一応、俺から難喪仙が神志望の仙人で有る事は伝えたのだが、彼女はほんの一瞬だけ思案するような表情を見せた後、
「結果は追ってご連絡差し上げます、と伝えてくださいな」
と非常に良い笑顔で言われたのだが、恐らくは『祈りの手紙』を受け取る事に成るのではないかと思う。
前世の俺は在学中に警察官採用試験に合格し、卒業後そのまま警察学校入りしたので所謂『就活地獄』を経験して居ないが、学生時代はちょうど就職氷河期とか失われた世代とか言われた頃である、周りの悲喜交交は色々と見たものだ。
俺自身は受け取った事は無いのだが、アレは呪いか何かが篭っているかのように魂を削る力が有るらしい。
幾ら魂の一部だけで対面したからとはいえ、あっさりと気を失い未だに目を覚まさないのだ、そんな物を食らって彼が再起不能に成らずにいられるのか少々不安な所である。
まぁ三百年も引篭りをしてたのだから、幾ら伝説級の武人で大妖怪とは言え鈍りきっているのは当然の事だ、そしてそんな彼が神に成れなかったとしてもそれはそれで納得できる話である。
さて、難喪仙の事は置いておいて、今俺が考えるべき事は死神さんから貰ったこの子犬と術の事、そして浅間様から与えられた命令についてだ。
浅間様の話に拠るとこの子犬は精霊の力を宿した霊獣であり、それを贈られた俺には精霊魔法を使える様に加護を受けていると考えるべきなのだと言う。
精霊魔法に付いては書庫に教本が保管されていたので、読んだり色々と試したりもしたのだが、事前に精霊や霊獣との契約をしているが前提なので、それをしていない俺では何も起きないのが当然だったのだそうだ。
だが精霊魔法を学べば良いと解ったからには、師を探したりより詳しい教本を探したり、色々とやれる事も増えるだろう。
そして死神さんの真名探しについても、十年二十年の問題ではなく早急に終わらせなければ成らない事という訳でも無く、魔法の習得やら身体の成長やらを待ってから始めてもよさそうだ。
「となれば当面の問題は、この子犬か……」
死神さんの手紙では既に乳離れは済んでおり、後は基本的に普通の子犬を育てるのと変わらないらしいが、俺は犬など飼ったことは無い。
ペットショップなり動物病院なりが大概の街に有った前世ならば、困った事が有ればそれらに相談すれば済んだ事でも、此方では色々と勝手が違うだろう。
餌一つ取ってもドックフードを買ってくれば良かった事を考えると、ほぼ全てを手作りしなければ成らないこの世界では中々手間が掛かりそうだ。
「取り敢えずは、仁一郎兄上に相談してみるか……」
動物の事なら仁一郎兄上である、兄上の部屋には足の踏み場もないほど多くの動物が居たし、確か前に聞いた話では育児放棄された仔猫を育てたりもしていたと思う。
丸投げはしないが、相談するくらいは良いだろう。
「さてそうと決めれば、後は駄目仙人をどうするか……」
何時の間にやら失神状態から熟睡状態へと移行したらしく、よだれを垂らし鼻提灯を出しながらいびきを掻く姿に、俺は深い深い溜息を付いた。
「俺を連れて世界樹の通信をするのは思ったより負担がキツかったみたいです」
取り敢えず彼の名誉の為に、と言うか本当の事を言えば色々と面倒な事になりそうな気がしたので、部屋の前に待機していた義二郎兄上にはそう言った。
色々と感の鋭い兄上の事、俺が言っている事に思う所も有ったようだが、肩を軽く竦めただけで黙認してくれたらしい。
「とりあえず、これを持って行くだけで良いのでござるか?」
声を潜めてそう言って兄上はバスケットを持ち上げた。
「はい、お願いします」
俺もそう小声で返したが当然難喪仙を気遣っての事では無い、未だ静かに眠る子犬を起こさない為である。
兄上には神様からの授かり物とだけ説明をし、離れを出ることにしたのだ。
中の子犬だけならば、俺でも氣を使わずともギリギリ抱き上げる事は出来そうだが、バスケットの中には他にも色々と入っているらしく、一寸無理をしなければ運べそうに無かったのである。
兄上に拠ると俺達が世界樹に行っていたのは殆ど一瞬の事だったらしく、中に入って直ぐに俺が出てきたと言う認識らしい。
兄上と一緒に広間へと戻ると、まだ夕食後の茶を楽しんでいる者達も多く、父上や他の家族もまだそこに居た。
「おお、志七郎どうした!? もう終わったのか?」
俺達が姿を見せると、相当気を揉んでいたらしく父上はそう叫ぶや手にした湯飲みを取り落とし、音を立てて立ち上がった。
「はい、神様からの授かり物も受け取りました。どうやら俺は精霊魔法を学ぶべき様です」
「そうか、精霊魔法か! それは良い、下手に稀有な物よりはずっと学びやすいじゃろう。で、授かり物とはなんじゃ? その大きな籠か?」
父上のその言葉にその場に居た家臣達から大きな感嘆の声が上がったのだが、それは余りにも大きすぎたのかも知れない。
「「「きゃん! きゃん! きゃぃん!」」」
「とっ! おおっと!」
バスケットの中からそんな甲高い鳴き声が聞こえたきたのだ。
しかもただ鳴くだけは無く、バスケットの中で相当大暴れしているらしく、それを取り落とさない様慌ててそれを置いた。
ゴロンっとバスケットの縁を飛び出し鉄砲玉の様に子犬は駆け出すが、余程混乱しているのか3つの首それぞれがそれぞれ別の方向へと進もうとしてる様に、バタバタと迷走している。
「「「くぅん、くぅ~ん……」」」
火の着いたねずみ花火の様に、ひとしきりランダムに暴れまわった後、唐突に蹲りそんな切ない声を上げ始めた。
母親から引き離され目覚めたらいきなり知らない場所に居たのだ、混乱するのも無理は無いだろう、きっとこの鳴き声も母親を呼ぶものに違いない。
「触るな!」
そう思い少しでも慰めになれば、と子犬を抱き締めようと一歩前へと踏み出した時だった。
普段とは違う鋭い声を仁一郎兄上が上げたのだ。
「……睦、鶏胸が有っただろう。 それとすりこぎ棒を持ってきてくれ」
「はいニャ!!」
そう言う兄上に拠るとこれは空腹で鳴いている時の声で、この状態で下手に触ると噛みつかれる恐れが有るのだそうだ。
乳歯であれば多少噛みつかれた所で大きな怪我をする事は無いだろうが、万が一既に生え変わって居ることを考えれば自重するべき状態なのだという。
聞いているだけでも切なくなるような鳴き声を聞きながら待つ事しばし。
胸肉を叩いて柔らかくした物を作り俺に向かって差し出した。
「……お前がこの子の主ならば、お前が与えなければ成らない。犬は主従を重んじる獣、お互い幼くとも主従関係ははっきりとしなければ成らんのだ、それは霊獣とて同じ筈だ」
まっすぐと俺の目を見つめそう言う兄上に、俺は一瞬だけほんの一瞬だけ躊躇したが一度目を閉じ心を決め、頷いてそれを受け取った。
「「「ハグハグハグハグ……」」」
受け取った肉を子犬の目の前にそっと置く、すると子犬は余程腹が減っていたらしく飛びかかる様に、餌に顔を突っ込もうとする。
だがやはり3つの首それぞれが食べたいらしく、身体を振り一口食べては直ぐに違う首が食い付き又身体を揺する。
そのじれったく成るような不器用な食事姿に俺は一つため息を付いて、それぞれが同時に食べやすいように分けてやるのだった。




