八十二 志七郎、名を名乗り封印を開く事
「し、死神さんはそんな恨み辛みで物事を成す様な方には見えませんでした。しかし、だからと言って我欲の為に俺を送ったと言う事も無いと思います」
正直な所、俺をこの世界に送りその後も手助けしてくれたあの死神さんと、彼女の言う追放された偉大なる彼の方、その双方が俺の中では結びついては居なかった。
俺に加護を与えてくれているのは死神さんで有る以上、昔の死神さんは彼女の言う通りの存在だったのかも知れない。
しかし俺が知っているのは、そんな偉大な存在で有った昔の死神さんでは無く、あの世と俺の夢の中で会った死神さんだけだ。
決して長い付き合いが有ったわけでは無いが、それでも死神さんが私利私欲で動くタイプの存在とは思えなかったのだ。
「そうかも知れません。ですがそうでないかも知れません。彼の方の真意は彼の方ご自身にしか解らないでしょう。ですが貴方と彼の方の間にある加護と言う繋がりが有ります、なればこそ貴方には彼の方の真意を知る方法が有るのです」
その話に依ると加護というのは、神様から人間に対して一方的にメリットを与える物では無く、加護を与えた人間が様々な功績を詰む事で神としての階位を、魂の強さを上げる事が出来るのだと言う。
そしてその繋がりが強くなれば互いの意思や思いを通じ合ったり、その繋がりを利用して神の召喚すら行える様になるらしい。
通常ならば様々な功績を成し、神に祈りを捧げる事で、そう言った繋がりを強めていくのだが、その方法では俺の一生を費やしてもそれを成せるかどうかは微妙な所なのだそうだ。
「現在のこの世界を取り巻く状況は十年二十年でどうにか成るほど切迫してはいませんが、それでも五十年六十年となればその限りでは有りません。故にもっと確実で早急な方法で彼の方をこの世界へと誘って欲しいのです」
「……その方法とは?」
「彼の方の真名を探しなさい、この世界に残る彼の方の足跡、伝承それらを辿る事できっとそれを知る事が出来るでしょう。そしてそれを然るべき場所で口にした時、世界の壁を越えて彼の方と貴方は真の繋がりを得ることが出来ます」
神々は真名を知る者に対して嘘偽りを口にする事は出来ず、その者の望みに対して最大限の便宜を図らねば成らないのだそうだ。
さすがに神に何かを命じたり出来るような、力関係を逆転させるほどの拘束力が有るわけではないが、それでも神の真名を知ると言うのは重い事らしい。
それほど重要な物ならばそれを知る事などできはしないようにも思えるが、完全に秘匿する事も禁止事項なのだそうだ。
多くの場合、自分を祀る神社や神殿と言った場所に安置されている御神体等に刻まれ、ごくごく限られた者だけがそれを目にする事が出来る様にされているのだと言う。
だが死神さんの場合既に祀る場所は無く、その頃有ったであろう物も離散しているらしい。
「それでも、決して全てが失われた訳ではない、それは間違い有りません。真名に関する世界樹の記録を開示する事は禁止事項ですから、貴方にそれらの在り処を伝える事は出来ません。無論仙人がそれに触れる事も禁止です」
ちらりと未だ目を覚まさない難喪仙の切れ端に視線をやり、再度俺を見下ろす。
「少なくとも火竜列島内、火元国の中にあるのでがんばって下さいねー」
そう言う彼女の笑顔は当に女神の笑顔だった。
「貴方様が私を待ち構えて居た理由は解りました、ご命じの内容も私に不利益有る事では無く、遂行する事も吝かでは有りません」
彼女の物言いは柔らかで丁寧な物では有るが、絶対的な力の差を考えればこれは依頼では無く命令である。
その命令を受け入れる事、それ自体はしょうがないだろう。
だが、だからと言って『はい解りました』と帰る訳には行かない、此処に来た目的である『俺に与えられた加護の内容、特に術の才能』についてまだ何も確認していないのだ。
「ですから、此処にある私の情報、それを確認させて下さい」
「それは構いませんが、今の段階でアレを開いても貴方の望む事は記されてませんよ?」
「……えっと、それはどういうことでしょう?」
「外からの干渉を最小限にする為、貴方の存在に気がついた時点で貴方に与えられた加護の大半は切り離して別に保存してあります。それにどういう意図でかは解りませんが、貴方に与えられるべき物は最初から封印されていました」
そしてコレがそうです、と彼女は何処からともなく白い箱に赤いリボンが掛かった、プレゼント箱を取り出した。
ただしその大きさは俺の身長程も有る、彼女の嫋やかな細腕でどうこう出来る大きさには見えないのだが、そこはそれ流石は神様と言う事なのだろう。
「さぁ、開けてみてくださいな。多分貴方にしか開けられない様に成っているんだと思うんですよ」
そう言うその表情は、先程までの神様らしい物とは打って変わって、明らかに『わくわく』と顔に書いてある。
その様子からは、彼女自身は死神さんがこの世界に仇成す為に俺を送り込んだ、とは全く思っていない事が見て取れた。
この世界全体で見れば、彼女もまた中間管理職程度の存在と言う事なのだろう、そしてそれはより上位の神々が死神さんを疑っていると言う事だ。
「それにこの中に有る物が危険な物でなければ、彼の方がこの世界に対して悪意が無いと言う左証にも成るでしょう」
促され俺は箱に手を伸ばし、リボンに手を掛けた。
『汝が名を答えよ』
グッと強く引くとそんな言葉が聞こえてきた、いや聞こえたと言うよりは頭の中に直接響いた様に思える。
これが彼女の言う封印とやらだろうか?
「猪山藩主猪河四十郎が七子、猪河志七郎」
そう素直に口にするがリボンは堅く結ばれたままでピクリとも動くことは無い。
『ぶぶー、それでは開けません』
俺の名前では開けないと言うのだろうか? だが死神さんが俺にくれた物というのであれば俺に開けぬ通理は無いはずだ。
俺の名前……俺は猪河志七郎だ、だがその名前で開かないと言うならばもう一つの名前、前世の名前ならばどうだろうか。
「……隠神剣十郎」
もう二度と名乗る事など無いはずのその名を口にした時、あれほど堅く結ばれたリボンがスルリっと解かれ、ボワンっと音を立てて箱が中から弾ける様に開いた。
中には赤子を入れるのに調度良いサイズの籠、と言うかバスケットが入っていた。
「あらあら、可愛い贈り物ね。これは悪意とは到底思えないわ」
浅間様がそう言う通りバスケットの中には、可愛らしい本当に小さな子犬が静かに眠っていた。
真っ白い毛皮のその犬は、柴犬や秋田犬の様な日本犬様にも見えるが、それがただの子犬では無い事はひと目で解った、一つの身体に三つ頭が有るのだ。
その三つ首の犬はどういう構造なのか、それぞれがそれぞれのタイミングで寝息を立てている。
「あら? 手紙が付いてますね。検閲ではないですが貴方が読んだ後見せて下さいな」
はい、っと手渡されたのは前世の世界ならば何処にでも有るような茶封筒だ。
特に封がされているわけでも無い封筒を開け、中に入った便箋を取り出しそれを読む。
『ご近所さんの所で生まれた子犬を貰ってきたッス。育てれば良い番犬に成るッス。母ちゃんは力のある霊獣ッスから、この子も強い子に育てて欲しいッス」
コレが術の才能? 霊獣と言うからには何かしらの力は有るんだろうが……?
いや待て、召喚魔法なんてのはファンタジーの定番じゃないか!?
「この子凄いわ。四精霊全てを内包してる……、育て方次第ではこの子だけで、全ての精霊魔法を行使出来るわ」
……どうやら俺に与えられたのは、精霊魔法と言う物らしい。




