八十一 志七郎、相対する事
「あらあらまぁまぁ、随分と混乱なさっているみたいですねぇ。此方としてもこんなに早く御本人がいらっしゃるとは、思ってなかったんですけどねぇ? ええ、それこそ神様でも思わなかったんですよ」
そんな台詞と共に眩い光が降り注ぐ。
あまりにも唐突過ぎるそれに俺は混乱していた事も忘れて、光が降り注ぐ天井を仰ぎ見た。
普通ならば目を刺す様な強い光に目を背けたり、覆ったりするのが普通の反応だろう。
だがその光は見通すことも出来ない程に強い、白い闇とでも言うべき物であるにも関わらず、暖かなそれは優しさすら感じるものだった。
光の中に薄っすらと人影が浮かび上がり、それは徐々にはっきりとした輪郭を示す、そしてその光が収まった時、そこには一柱の女神が降り立った。
そう女神である。
この世界樹に立ち入る事が出来るのは神仙そのいずれかであり、彼女もまた神ではなく仙人かも知れない。
だがその姿を見た瞬間、俺は直感的に彼女が神であると理解した、理解できてしまった。
存在力とでも言うべきだろうか? 目に見える物ではないのだが圧倒的な何かを感じた。
それは畏怖せざるを得ない力強さと、同時に全てを自ら委ね包み込まれたく成るような優しさ、大社様や死神さんと会った時には無かったその感覚は、生き物としての階位が違う事をまざまざと感じさせる。
その容貌は整った美人、恐らく前世のテレビでも早々見かけることのない、街中ですれ違えば十人が十人振り返るであろう美貌である。
だが決して男好きするコケティッシュな女性という訳ではなく、優しげな微笑みを湛えたその表情は慈母と言う言葉の方が似合うそんな感じである。
それなのにその表情や容貌に反して、身に纏っているのは肌の色すら透けて見える様な薄衣一枚で、その腰のくびれや膨よかな胸元までがはっきりと見て取れる。
もしも俺がこの幼い身体に生まれ変わっていなければ、恐らくは色々とヤバイ事に成っているだろう、そんな姿であった。
「お、恐れ多くも御方は如何なる神様で御座いましょうか」
考える事すらなく平伏し震える声でそう問いかけたのは、生まれ変わって以来受けてきた武士としての教育の賜物だろう。
「わたくしは極東地域、火竜列島の神々を統括する浅間という者です。貴方がたはこの部屋に保管された記録の主、猪河志七郎とそれを導いた仙に相違無いですね?」
そう言われて初めて難喪仙が一緒に居る事を思い出し振り返る、白目を剥き泡を吹いて仰向けに宙を漂いながら、ピクピクと痙攣していた。
怠惰な引篭り生活を三百年も続けていたとはいえ、大妖と呼んで差し支えない程の長く生きた、それも仙人に至った天狗である、たとえ相手がなんであれ普通はこんな醜態を晒すことは無いだろう。
だが残念ながら今この場にいるのは彼のごく一部だ、魂が持つ圧倒的なオーラの様な物を感じ取りそれに中てられたとしても全くおかしな話ではない。
現に魂全てがこの場に居りそれなりに強靭な精神を持っている自信が有った俺だが、圧倒的な力の差に脂汗が止まらない、それどころか気を抜けば文字通り魂消る様な気がする。
浅間と名乗ったその女神は俺達のその様子に気がついた様で、一寸だけ眉間に皺を寄せ力を込める様な表情を見せた。
するとそれまで感じていた凄まじいまでの存在感が緩み薄れそして消えていく。
「ごめんなさいね、気が付かなくて。まだまだ幼い魂にそれを補助する程度の分霊ですものね。私の神威はきつかったわね」
どうやら此方に気を使いその力を抑えてくれたらしい。
「いえ、格別の心遣い恐悦至極に御座います。仰る通り私は猪河志七郎、此方は御助力頂いた難喪仙に御座います」
締め付けられる様な息苦しさが消え、そういつも通りの声で答えを返すことが出来た。
「こうして貴方と話せる状況を用意したのは他でも有りません……」
そんな言葉から彼女の話は始まった。
この世界を運営する世界樹という存在は、近隣他の世界にも類を見ない存在であり、外部の存在から狙われ続けているのだそうだ。
世界樹の管理外である、鬼や一部の例外を除く妖怪、それらは火元国以外では怪物と呼ばれるが、その大半は外部からの尖兵なのだと言う。
世界の至る所で日々外部との戦いは続いているのだが、その中でも火元国は二度外部勢力によって完全に占拠されかけた事が有るのだそうだ。
『主転童子』との戦いでは神も人も協力し討ち倒したが火元国は大きく疲弊した、だがその後『六道天魔』との戦いの折には人間達は同士討ちに終止していた。
結果、世界樹に住む『中央の神々』は火元国、火竜列島を世界から切り離し消滅させるという決定を下した。
この辺の話は江戸城の天井画で読んだ通りの話である。
「ですが神様がその身を捧げ禿河家安公を喚び、火元国は救われたのでしょう?」
それは三百年も前に既に救われて終わった話のはずである、それがどう俺に関係するのだろうか?
「その身を捧げた、と言うのが違うのです」
彼女に拠ると禿河家安公を召喚したのは火元国に居を持つ神々の総意だったのだそうだ。
そして当時その神々を統括していた神は戦後中央の神々によって責任を追求される、上の決定を現場責任者が独断で覆したのだから、解らない話ではない。
だが下位の神と言うのは土地や概念と言った物に縛られる存在で、特に土地に縛られる者にとってはその上の決定というのは死その物であり、到底受け入れる事のできるものでは無かったらしい。
中央と火元国の神々は大きく溝を作る結果に成り兼ねないそんな状況で、その統括をしていた神は、
『人々の争いでも外敵に利したのです、神々が争えば世界樹を護るのもままならない』
と言い、自らがその生命を断つことで責任を取った形にしたのだそうだ。
神や仙人にとって肉体の死とは絶対的な物ではない、世界樹の記録を書き換える事で幾らでも無かった事に出来る事象である。
当然ただの自害で責任を取ったとは看做されないのだがその時は違った。
通常、人も神も仙も、死したる者の魂は世界樹の根に囚われ長い時間を掛けて吸収され、そして新たな生命となるのだが、その神の魂はそこに無く世界の壁を隔てた場所へと流出した、そんな記録だけが残っていたのだ。
これは復活することなき真の死とされ、その神一柱の犠牲を以て責任を取ったと、追認された。
だがそれから三百年、外へと流れた神の加護を持って生まれた子供が誕生した、それが俺なのだそうだ。
外の世界から流れ付き生まれ変わる魂と言うのは決して珍しい物ではないが、それが外の世界の神の加護を受けているとなれば話は違う、その神が世界樹を狙っている存在ではないとは決して言い切れない。
それ故、外部の神の加護を受けた者と言うのは普通自動的に世界樹によって『生まれなかった』事にされるのだが、俺の場合は元々この世界に属していた神の加護で有ったが故に『生まれてしまった』。
だから、気がついた時点で『廃棄』するという事も出来たのだが、加護を与えた死神さんがどういう意図で俺をこの世界に送ったのかが知りたかったらしい。
「彼の御方がこの世界を恨み、復讐のために貴方をこの世界に送ったのであれば、話は簡単なのですが……彼の御方がこの世界へ戻る為の足がかりとして貴方を送ったのであれば、私はそれを歓迎する立場に有ります」
そこまで話して、一度言葉を区切った彼女は悲しそうに目を伏せ、
「彼の御方程に優れた力を持つ神がこの世界へと戻られるのは、この世界を護る為に大きな力と成るでしょうから……」
と苦しそうにそう言った。




