七十八 志七郎 家計を思い、怪しきを見る事
美味そうだったので、ついつい前世と同じノリで買ってしまったが、今の身体では8本は多すぎた。
別に食べきれない量と言う訳ではないが、コレを全部食べきってしまえば、夕飯に影響が出るかもしれない。
まぁ間食が理由で食べれないとしても、両親から咎められる事は無いだろう。
むしろ自費で食事を済ませる事は推奨すらされているのが現状だ。
我が猪山藩、猪河家の食事は基本的に家族や家臣が狩ったり釣ったりした獲物が食卓へと上がる、無論それらの物は無償で取り上げられる訳ではなく、問屋の買い上げる値段と等価で藩の財政から代価が支払われている。
複数の中間業者が入るので、小売価格は問屋の買い上げ価格のおよそ2倍に膨れ上がる為、全ての食材を買い求めるのに比べて我が藩は半額で食事を拵えているのだ。
だが我が藩の中でも野菜以外の食材入手の双璧を担っていたのが義二郎兄上であり、信三郎兄上だったのだが、知っての通り義二郎兄上は父上の護衛役を努めており鬼斬りを行って居らず、信三郎兄上は得意の釣りでは無く鬼斬りへと出かけているが芳しくない。
その為食卓には以前のように肉や魚が余るほど並ぶ事は無く、ご飯も以前は100%白米だったのが、微妙に麦やらその他雑穀らしき物が混ざる様になっている。
年貢として収められた米を今まではほぼ全て白米にして食べていたのに対して、足りない分の食材を買い入れる為に売りに出しているのが原因らしい。
とは言え兄上達の獲物がある意味異常だっただけで、今の状態こそが一万石少々の小藩本来の、礼子姉上の畑から取れる野菜がある分まだ余裕が有ると言える状況だそうだ。
まぁ、菓子すなわち炭水化物の摂り過ぎで食事を疎かにしたのであれば、成長にも影響があるかも知れないが、今食べようとしているのは、最近不足がちだと思えた動物性蛋白質である、偶には外で食事を済ませるのも悪くは無いだろう。
そんな自己弁護をしながら、俺はネギまを一つ皿から掴みあげ頬張った。
程よい弾力の有る歯ざわりの肉をゆっくりと噛みしめる、溢れ出る肉汁と一寸焦げた表面の香ばしさが、程よく振られた塩の味と合わさり、舌を楽しませる。
うん、美味い。あの見世は大当たりかな。
続けて同じくネギま今度はタレを口にするが……。
「うぁ……甘ぁ……」
焼き鳥のタレは前世でも甘めの味付けだったとは思うが、この見世のタレは流石に甘すぎる。
甘い物は決して嫌いではないのだが、甘じょっぱい味を想像していた所にガツンと来るこの甘さは、残念ながらハズレを引いたとしか思えない。
塩とタレのクオリティの違いに困惑しながらも、食べ終えた串は皿に戻さずその辺に捨てる。
道端に物を捨てると言う行為は、俺からすれば行儀が悪く、また元警察官としての遵法精神からも良いとは思えないのだが、これがこの江戸っ子スタイルである。
皆が皆適当に物を捨てているのに、道にそれらが長く残る事無く常に掃き清められている様に見えるのは、それら道に捨てられたゴミを拾いそれをリサイクルする商売で生計を立てている者が居るからだ。
焼き鳥の串や割り箸、鼻をかんだ懐紙に牛馬の糞まで、何一つ余すところ無く拾われ何らかの形でリサイクルされるというのだから、ある意味凄い話だと思う。
ならば捨てたりせずに、自分でそう言ったリサイクルを行っている業者へと持っていけば良いとも思うのだが、そう言うのは下々のやるべき事であり、上層階級である武士がやるのは体面に関わるのだそうだ。
そうして歩きながら塩4本とタレ1本を口にしたが、大甘なタレ串をそれ以上食べる気にはなれず皿に乗せたまま、通り掛かった路地口にそれを置く。
表通りには流石に居ないが、一寸路地に入れば腐れ街でなくとも物乞いの類はそれなりに居るのだ、綺麗な状態でああして置いておけば、彼らが回収するので無駄には成らない。
前世の日本では法で禁止されていたので中々理解し難い事では有るが、人の命が軽く人権なんて言葉すら理解されていないこの世界では、そんな形でしか生きられない人間も居るのだろう。
なおこういった行為は江戸市中でならば当然の事と皆に受け止められるが、地方に行けばまたその街その街で事情が違うらしいが、まぁ郷に入っては郷に従えと言う事だ。
道中特に何事も無くそろそろ我が家の近くまで帰ってきた。
まだまだ夏の日は長く夕暮れと言うほど日は傾いていないが、そろそろ子供が出歩く時間では無くなって来ている。
大名屋敷の並ぶこの界隈も、この時分には夕食の食材を売る棒手振り達の姿も消え、人影もほとんど無くなっていた。
日暮れまでは今暫く時間が有るとはいえ、人通りの無い道は絶対に安全とは言い切れないのだ。
俺が出歩く様になってからは未だ聞いた事は無いが、時には辻斬りが出る事も有るという。
流石にまだ日の出ている内から襲われる事も無いとは思うが、子供を狙った拐かし、すなわち誘拐事件も全く無い訳では無いらしいので遅く成る事は避けるべきだろう。
だが考えてみれば日が落ちてしまえば街灯など無いこの江戸の街は闇に閉ざされる。
それに江戸市中でも区画を隔てる門があり、それらも夕暮れを目処に閉じられ、そこを潜る事は基本的に武士でも認められておらず、夜に仕事が有る者等、特に用事がある物は事前に申請し、手形を発行してもらわなければ成らないのだ。
夜間移動の照明となる提灯に使う蝋燭だって決して安い物ではないし、余程の事が無ければ夜出歩く者は居ない。
となると、拐かしなんかが有るとすればもしかしたら、これくらいの時間が一番危険なのかもしれない。
無論そう簡単にどうこうできるほど、日々ぬるい鍛錬しかしていない訳でも無い、余程の手練で無ければ不覚を取ること等まず無いとは思う。
それでも多勢に無勢で不意を打たれれば、絶対に安全であると言い切れるほど自惚れている訳でも無い。
武士が大勢住むこの辺りで騒ぎを起こす馬鹿も居ないとは思うが、藩と藩の揉め事等有れば決して安全と言い切れる場所でも無い。
流石に考えすぎだとは思うのだが、用心するに越したことは無いだろう。
怪しい者の姿が無いか、と物陰や交差点に気を配り家路を急ぐ。
幸いこの辺りは大きな屋敷が多く長い塀ばかりで、そうして気を払うべき場所も少ないが。
そんな風に警戒しながら最後の曲がり角を曲がった時だった。
真っ直ぐ行った先に見える我が家の門前に、この辺には似つかわしくない大男が辺りをうかがう様な素振りを見せながら立っていた。
門扉はしっかりと閉じられて居り、普段から歩哨等は立てていないから、もしかしたら中に居る者達はあの男に気がついていないかもしれない。
体格は義二郎兄上と引けを取らず、軸の立った立ち姿からは武勇も恐らくそう劣るものでは無いように見える。
それだけならば何処かの家臣なり、仕官しに来た浪人なりにも見えただろう。
だが、その男の何処がこの場に似つかわしくないと断言できるのか、それはその身に纏った衣装である。
小汚いと言う言葉でもまだお世辞、と言える程に汚れボロボロに成った山伏の様な装束、恐らくはもともと白かったと思われる部分はいつから洗っていないのか黄ばみを通り越して最早茶色に近く、黒かったと思われる部分も色々な色の染みだらけある。
此方に背を向けているので顔は解らないが、頭は髷を結わずこれまた汚れて固まった髪の毛は伸び放題だ。
足元は一本歯の高下駄を素足で履いており、その部分だけが妙に綺麗なのが印象的に見える。
正直近づきたくは無い、言うまでも無く怪しいし、それ以上に臭そうだ。
だが家の前にいる以上、回避するのもなにか違う、放っておいては我が藩の体面に関わるかも知れない。
最悪、大声を出せば中から誰か出て来るだろう。
そう腹を括り、俺は木刀に手を掛けたまま、家の前へを歩を進めるのだった。




