六 志七郎、家族について語る事
あの日以来俺は、両親や兄姉家臣達、家族――というには少々範囲が広い気がするが――と積極的に交流を図ることにした。
けれど、そんな俺の決意を余所に、父上と家臣の半数は参勤交代により国元へと戻り、兄姉も家臣達も日々それぞれ御役目や仕事が有るらしく、深い交流を得るのは難しい状態だった。
特に兄達は「男女七歳にして席同じうせず」と言う事なのか奥向きに住んでおらず、他の家臣同様、屋敷の敷地内に建てられた長屋の一室を与えられており、軽い交流すら意図的に会いに行かねば難しい。
それでも、朝夕の食事や休憩を取っている時など短い時間でも可能な限り会話を試み、少しずつ本当に少しずつではあるが家族に関する理解を深めていった。
無論、自分の事――前世での生活や仕事についての話が多かったが――を聞かれれば答え、相互理解の努力も怠りなく続けていた……と思いたい。
例えば、母上は庭の一角に花畑を設けそこで色とりどりの菊を育てていたり、琴三味線を姉達に指導する事が出来るほどだったりと中々の風流人であり、また武家の嫁らしく薙刀の腕前も比較的武勇に優れていない家臣達よりはよほど強かった。
他にも長姉の礼子姉様は、前世で街を歩けば間違いなくスカウトが殺到するであろう美少女だが、着飾る事を好まず外出の際や何か祝い事などで必要な時でもない限り大概野良着姿で庭いじりに勤しんでいる。
次姉の智香子姉様は寝床こそ奥向きに有るものの、何をしているのか殆どを庭の池を挟んだ向こう側の離れで過ごしている。食事時にも出てこない事もあるが、母上達もそれを問題にしている様子は無い。本当に何をしているのか……。
一番下の姉、睦姉様はどうも料理に興味があるらしく、食事の支度をネコミミ女中さん達や当番の家臣達がしていると、いつの間にやら台所に紛れ込んでいるらしい。
それ以外にも女性陣についてはいろいろと解ってきたこともあるが、まぁまた語る機会も有るだろう。
兄達とは、早朝に行われる武芸の稽古――と言っても俺はまだ木刀で素振りをする程度だが――ではほぼ毎日顔を合わせるものの、流石は雄藩と言われるだけあって、中々の猛稽古故に終了後は皆疲れきっており交流を深める余裕はまず無い。
長子長兄の仁一郎兄様は、家臣達に比べても小柄で身長は150cm有るか無いかと言った所だがその体格に反して槍捌きは堂々たる物である。
寡黙な性分らしく、稽古の時に上げる気合の声以外で殆ど声を聞いた記憶は無い。
次兄、義二郎兄様は長兄と比べるまでもなく、大男という言葉がよく似合う、堂々たる体躯の持ち主で、刀槍無手とその日によって様々な稽古をしているのを見かける。
兄弟の中では唯一家に居ることが多く、彼については色々と知ることが出来たが、豪放磊落を絵に描いたようなその人格に裏表はなく、多くの家臣達に慕われているようだ。
一番下の兄、信三郎兄様は幼くして本の虫で、家に居る時の大半を本を読んで過ごしている。殆ど毎日出かけているようだが、学校にでも通っているのだろうか。
なんとかかんとか、兄達について知ることが出来たのはこの程度で姉達に比べれば大分少ない気がする。
そうして一年が経ち、再び父上が江戸へと戻った頃には、多少なりとも家族を知ることが出来たと思えるくらいにはなっていた。
父上が江戸へと戻ってきて数日経ったある日。
夕食を終え皆が思いおもいに余暇を過ごす時分に俺は父上に呼び出された。
「我が藩は雄藩とは言われているが、それは代々武勇に長けた者を多く輩出してきた故の事。その実、家禄は一万石少々と大名家というには最低限の小大名にすぎない」
親ばかの顔ではなく、引き締まった藩主としての顔でそう切り出した。
一石というのは成人男性一人が一年に食べる米と同程度だったはずだ、ということは一万石であれば領民は多くとも一万人以下という事になる。
前世の世界とはいろいろな部分で差異があるので、比べるのは難しいが父上の口ぶりから察するに決して多いとは言えないのだろう。
「しかも我が藩は藩祖様が定めた通り、税率は四公四民二義を守り続け、尚且つ武士の借財を禁じている。それ故我が家は現金収入についてかなり乏しいと言える。故にたとえ嫡子であろうとも己の小遣い銭は己で稼ぎ出すのが我が家の習わしなのだ」
歴史で習った江戸時代の税収は四公六民が基本だったと思うので、決して多くを取っているとは言いがたい、二義というのは飢饉などに備えるため義倉に蓄える分らしい。
清貧そのものと言えそうな習わしだが、その割には祝い事なんかは盛大にやっていたようだし、毎日の食事も貧相とは程遠いのだがそのへんはどうなのだろう。
「お主の言わんとしている事は解るぞ。そんなに厳しいのであれば食費を削ればと言いたいのじゃろう。だが我が家は既に最大限に食費は削っておるのだ。それに宴席についても実は殆ど費用を掛けておらん」
野菜はこの屋敷の庭に作られた畑だけでなく、江戸郊外に与えられている下屋敷でも作っており、殆どを自給自足しており、肉や魚についても家臣達が自力で狩り釣り上げて居るのだという。
「志七郎、少し早いと思うがお主も欲しい物があれば自力で稼ぎ手に入れてもらう」
自力で稼ぐのは良いが、数えで五歳になったばかりのこの身体で、何が出来るだろう。
そもそも、屋敷からすら殆ど出たことがない現状では、生前よく読んだネット小説よろしく内政チートをすることすらままならない。
あの手の稼ぎ方は、現代日本にあってその世界には無い物を利用する事で成り立つ、その世界についてある程度知っていて初めて上手くいくのだ。
つまりは情報が足りない、ここが普通の江戸時代ならば色々と考えつくものもあるが、自給自足生活の中でも現代日本と遜色ない食生活を送れている、かなりファンタジーな江戸時代だ、内政チート(ドヤァ)、とかやってもおそらくは上手くいかないだろう。
「無論、すぐに稼いで家に入れろなどとは言わんよ。というより幾ら過去世で生業を持った大人で有った記憶を持つとはいえ、お前はまだ五つになったばかりの童子だ。元手もなくそう簡単に稼がれては大人達の立つ瀬がなかろう」
考えが顔に出ていただろうか、父上は微苦笑を浮かべながら更に言葉を重ねる。
「それにな、たとえ嫡男でなかろうと、お前は大名家である猪河家の子だ。棒振りのような小商いや、無いとは思うが巾着切りのような悪事で稼がれては家の体面、ひいては藩の威信に関わることになる」
「巾着切りって……、一応俺は取り締まる方の人間だったんですがね」
「それは解っておる。だが、国や文化が違えば何が悪事とされるかはまた変わる。西洋には巾着切りも盗人も取られぬ様自衛せぬのが悪い、とされる国も有るというしの」
どんな世紀末な国だろう、と一瞬思ったが考えてみれば前世の日本が異常に治安良いだけで、世界を見渡せば合法とは言わないまでも取り締まる事のない国や地域など幾らでもあった。
日本では重犯罪とされる婦女暴行ですら、文化圏によっては、いや日本でも法律とは別に被害者の方が悪いと言われる場合もある。
「まずは俺がこの世界で何が出来るのか。何を知っていて何を知らないのか。まだ色々とわからない事が多すぎます」
「さもありなん。では、まずは兄姉がどのように稼いでいるかその目で見てくると良い。それから街を見てくるのだ。その上で、将来の生業と出来るものを考えるのだ。その為の軍資金として金一両与える。そして手空きの者を供とすることで屋敷から出る許可も与えよう」
そう言って、脇においた文箱をそっと俺の方へと滑らせた。
ずしりと重いその箱を開けると、中には真新しい冊子が1冊、おそらくは携帯用の筆記具――矢立と言うものらしい――が一組、そして時代劇などで見たことの有る、紐で繋がれた銅銭? が1本と、小さな四角い金銀が数枚入っていた。
この金を合計すると1両になるのだろう。前世で見た資料の通りなら金一両はおよそ10万円。子供の小遣いというには少々大きすぎる金額だ。
「コレほどの大金、本当によろしいんですか?」
先程、現金収入に乏しい貧乏藩であると言われたばかりなのに提示された、その金額についつい声が上ずる。
「それは、藩の財政から出したものではなく、お清の内職で作った金だ。それにお前だけでなく兄姉もそれぞれに、1両ずつ渡しておる。そして我が家で暮らす上で掛かる衣食住以外で出す最後の金でもある」
そう言われると、たった10万円とも言える。コレを元手に上手く増やしていかねば。
「ああ、道場なり学問所に通うというのであればその費用は出すぞ。あくまでもお前の自由になる金としてという意味だ。読書算術の技能があるのだ、使った金はちゃんと帳面を付けて管理するんじゃぞ」
……俺が顔色を変える度に言葉を継ぎ足すのは確信犯なのだろうか。
「まぁ、道場も学問所も通うのは7つの春からと定められおるからな。まずは先程言った通り兄姉を見習うと良い。話は以上じゃもう行って良いぞ」
「はい、分かりました」
はっきりとしっかり返事をし、文箱を持って立ち上がろうとしたが重くて持ち上がらなかった……、父上めわかっていたな……。
「クククッ、文箱はここに置いておき必要なときに銭を持っていけ」
そう笑いながら促され、俺は顔が朱に染まるのを感じながら部屋を出た。
「仁一郎兄様、いらっしゃいますか?」
父の部屋を出た俺は、長屋の一室を訪ねその戸を叩いた。
戸を完全に締め切らず、拳一つ分隙間が空いているので中に人のが居るのは解っているのだが、一応礼儀としてそう声をかける。
「……志七郎か」
ぼそりっと、そう呟くような声と共にガラリと戸が開く。
「……まぁ、入れ」
困ったような、困惑しているような、なんとも言いがたい表情ながら、入室を促され部屋に踏み込むと、そこには無数の猫達が……猫だけではない犬やらオウムやらの動物がところ狭しと寛いでいた。
「……どうした?」
なんとか、動物たちの隙間に座るスペースを探し、腰を落ち着けると単刀直入に兄上がそう切り出す。
「父上から、兄上達がどのように稼いでいるかを見聞きし、自分の生業を考えろ。そう言われました、兄上はどうやって稼いでいるのですか?」
「……語るのは面倒だ、明後日母上と共に来るといい」
そう言って、兄上は何かのチケットの様なものを2枚差し出した。
『大江戸馬比べ場 前売り入場券』
……色々と突っ込みたい。