七十七 志七郎、見世物を聞き、買い食いをする事
「じゃがな志七郎、見世物と言うのは何処も似たような物じゃ」
ひとしきり笑ったあと、上様は表情を引き締めそう言った。
彼がまだ将軍位に付く以前、比較的自由に出歩く事が許されていた頃、社会勉強と称して様々な見世を巡り歩いたそうだ。
芸や技を見せる様な見世も有れば、物珍しい生き物を捕らえ見せる者も居るらしい。
そんな中でも上様の記憶に強く残っている出し物があったと言う。
「身の丈六尺にも及ぶおおいたち、頭だけでも一尺を超えるおおかみ女。これらがどんな物だったか解るか?」
普通に言葉通りに捉えるならば、180cm程もある巨大なイタチに、30cmを超える大きな頭の獣人? の女性といった所だろう、だがわざわざこの様に問いかけるのだ、言葉通りの物では無かったに違いない。
イタチによく似た妖怪だろうか?
もしかしたら、数体の生き物のを繋ぎ合わせて作った作り物の剥製と言う線も考えられる。
その線で行くならば狼女は着包みではなかろうか。
「六尺ほどの大きな板に血をぶっ掛けて大板血、大きく大きく髪を結った大髪女。なかなか頓智が聞いとるじゃろ」
そんな事を考え俺が答えを出せずに居ると、上様は再び腹を揺らし笑いながらその答えを口にした。
……それは頓智と言うよりは、ただの駄洒落では無いだろうか?
「……そんな駄洒落で、お金を払って見に行ったお客さんは文句を言ったりしないのですか?」
巫山戯るな! 金返せ! 位は言われそうな物だと思うのだが、そういうトラブルは殆ど無いらしい。
「取る見物料自体が少額じゃからな、三十文や五十文程度の捨て銭で文句を言う者などまず居らぬ。この天守とて、ここから見える市中一望の景色だけでも百文の価値は充分あるじゃろ」
街を歩き見た限りでは、四文が大体前世の100円位の価値が有るように思える、そこから計算すれば三十文は750円、五十文は1250円、決して少なくない金額の様に思えるのだが、前世に比べて娯楽が少ないこの世界では、妥当な値段なのかもしれない。
入城料も大人の百文は2500円で、観光地の展望台と考えれば、確かに納得出来ない値段では無いだろう。
「それにの、此処に有るのは写しや贋作とは言ったが、どれも同じか同等の職人が同等の材料を用いて作った物、本物と見劣りする物はこの天井画位な物じゃ」
上様の話に拠れば、例えば太祖家安公の鎧として飾られている物は、彼本人が戦場で着た物の予備であり、材料も職人も全く同じ物なのだと言う。
それでもあえて贋作と言い切ったのは、その鎧は本人が一度も袖を通して居らず『太祖様の使った鎧』と明言する事の出来ない品だからだそうだ。
だが天井画だけは描いた絵師が余りにも突出しすぎた腕前の持ち主であり、その弟子筋でも数段劣る作品しか用意する事が出来なかったと言う話である。
「流石にここ迄差が有る物では物を見る目の有る者で無くても一目瞭然じゃ、本物を見たいと言う者はそれなりに居るのじゃがな」
先々代である五代将軍の頃に、宝物庫へと移築してからは一度も一般に公開された事は無く、それを見る事が出来るのは将軍本人と宝物を管理する一部の家臣だけなのだそうだ。
他の宝物は大名なり重臣なりが望み、上様が認めるならば然るべき手続きの下に宝物庫から出して来る事も出来るのだが、その絵は現在宝物庫の天井となっているので、それを見る為には宝物庫へと立ち入らねば成らないのだと言う。
現状、宝物庫の建て替え予定は無いので、彼の絵を見る事はまず出来ないらしい。
「そうですか、それは……とても残念ですね……」
「其方はそれほどまでに、八郎兵衛の絵が見たいのか?」
俺の落胆ぶりが余りにも酷かったららしく、上様は一寸焦った様な表情を見せそう言った。
端から見れば、わがままを言う孫と、どう手を付けて良いか解らぬ祖父、そんな構図に見えると思う。
だが、上様はどうやら小さな子供を自分が苛めている、意地悪をしている、そんな風に感じているようだ。
「見たいは見たいですが、筋目を外した特例を作ってまでというほどでは有りません」
本心を言ったつもりでは有る、確かに見たいのだが別に無理を通してまでとは全く考えては居ない。
「年に二度、春と秋の節分には宝物庫の大掃除を行うのじゃ。無論これは宝物庫を管理しておる者達が行うのだが、時にはこの役目自体を褒美とする事も有る。過日の件でも猪山へは表立って褒美を出せなかったからの、ちょうど良いかも知れぬ」
良い事を思い付いたと言わんばかりに、笑いながら去る上様の背中に俺は何も言う事は出来なかった。
……えーと、これは余計な仕事を背負い込んで家に迷惑を掛ける事に成るのだろうか?
上様も居なくなったし見るものも見たしサクッと帰ろう、そう判断した俺は城門前広場へと一気に駆け下りた。
南門ではなく北や西の門から出た方が家には近いのだが、南門以外は例の道場を経由しなければ通れないので、さっきの様な面倒が有りそうな気がして回避したのである。
武士が走っては行けないのは市中だけの事であり、城門の中は一般公開された公園の様な場所とは言え、飽く迄も城であり走ったとしても咎め立てされる事は無い。
だが門をくぐった以上、此処から先はゆっくりゆったり歩いて行くか、その辺で乗り物を捕まえるかするしか無い。
とは言え、ここから家の方向へ向かう船は登りなのでそこそこ良い値がするし、駕籠屋だって安くは無い。
となればやっぱり歩いて帰るしかない訳だ。
江戸の中心に有る江戸城から、北西のほぼ端っこに有る我が家へは結構な距離がある、義二郎兄上の様な長いコンパスがあればさほどの時間も掛からず行き来も出来るだろうが、子供の短い足では中々大変だ。
先の長い道のりを思い一寸だけため息をついた後、気を取り直して前を見た。
以前来た時にも多くの見世が有ると思ったのだが、こうして改めて見てみると此処に見世を開いているのは、どうやら大店が有る訳ではなく殆どが出見世や屋台の様な形式に見える。
焼き鳥、お好み焼き、たこ焼き、黄金色の菓子、風鈴、風車、金魚、亀……。
パッと見る限りでもそのラインナップは、前世の縁日のそれと殆ど変わらない様だ。
日が暮れるまではまだ大分時間が有るし、一寸位買い食いをしても良いだろう、
「おじさん、ネギまにハツ、砂肝と皮、それぞれタレと塩で一本ずつ頂戴」
「あいよ! 一本四文で八本だから三十二文の御代だよ」
腰に下げた巾着から四文銭を八枚出して差し出す、すると焼き鳥屋のオヤジはそれを受け取ると見世の前に吊り下げた天秤にそれを乗せわざわざ重さを測りだした。
智香子姉上のお供として色んなお見世に行って知ったことなのだが、これは偽金を疑っているのだ。
基本的にこの火元国で使われる貨幣は京の都にほど近い場所にある『銭所』と言う場所で作られているのだが、そこ以外で作られた偽金が少なからず流通しているらしい。
銭の価値は使われている金属の価値なのだそうで、偽金と言うのは見た目だけは同じに作られているが使われている金属が違うので、こうして重さを測る事で大体判別がつくらしい。
まぁ偽札やなんかは前世でもちょくちょく取り沙汰された問題だし貨幣経済が有れば必ず付きまとう物なのだろう。
なので、何処の見世でも大体はこうして天秤秤を使い銭の鑑定をするのが一般的なのだそうだ。
忙しなく焼き鳥を回しながら銭の鑑定を済ませたオヤジは、焼き上がった串を次々と紙皿に盛り付けた。
そう、紙の皿である。
前世の様に丸くて白いそれではないが、タレが染みて垂れ落ちたりしない様に蝋引きされた紙をまな板皿の様な形に切った物で供されるのだ。
これは決してこの見世独特の物という訳ではなく、どうやら紙は大量に生産されているらしく使い捨てにするのに惜しく無い金額で流通しているらしい。
「へい、お待ち!」
差し出された紙皿を受け取り俺は思った。
しまった、ちょっと買いすぎた。




