七十六 志七郎、伝説を読み、美術に憤る事
時は戦国、乱世の時代。
文面はそんな言葉から始まっていた。
物言いたげな表情で俺を見送る雑賀少年達を尻目に道場を抜けた俺は、前回同様天守の受付で入城料を払い中へと入ろうとした。
だが受付でよくよく見れば『五歳以下無料』と書かれて居り、五つである俺は無料で入る事が出来た。
城内には高価な品が飾られて居たりする事もあり、本来ならば保護者同伴である事が前提なのだが、やはり此処でも武名が生きて鬼斬り手形を見せると入城を許された。
そして例の天井画を見上げているのである。
以前見た時には将軍様が指差した先、禿河家安公だけに気を取られ、その全景を見る事は無かったが、よくよく見てみるとどうやらただの絵ではなく天井全て四方四面全てを使い物語仕立てになっている様だ。
戦火に焼かれた街や人々と、それを他所事の様に対峙する武士達が描かれ、その絵に添えられたのが冒頭の一文である。
戦乱が始まった当初は各地の大名――武士達が覇権を掛けて数多くの合戦を繰り返したらしい。
この当時は未だ鬼も妖怪もさほど多かった訳では無いようで、良くも悪くも人間同士での殺し合いが主だった様だ。
だが2枚目、東側に描かれた絵では、無数の鬼や妖怪が数多の武将達と相対する姿が描かれている。
添えられた文章では、合戦を繰り返し多くの命が黄泉路を辿り、地獄の釜が一杯になっても尚死者が絶える事が無かった為に『主転討伐以来封じられていた地獄の釜の蓋が飛んでしまったのだろう』と推測していた。
そして同族でも殺し合いいがみ合う人間達に対して、鬼や妖怪達は『六道天魔』と言う名の首魁を立て、殆ど一方的な虐殺を行ったらしい。
六道天魔率いる地獄の軍勢によって、火元国の全土が地獄その物に成るのは時間の問題だ、と誰もが思った。
その時である、武士の台頭により有名無実と化していた帝が神々に救済を願ったのだ。
此処で場面は3枚目へと映る、神々と思しき顔の描かれていない無い者達と、雷を纏う黒衣の青年がそこには描かれている。
どうやら物語も此処が山場の様だ。
鬼や妖怪はその大半が地獄に属する存在であり、神仙の力を以てしても打ち払い消し去る事は出来ず、世界樹の神々は火元国を斬り捨てる判断をしていた。
それ故に帝の願いは叶わないかと思われた、だがそんな中で火元国の民を憐れに思った一柱の女神が、その身と引き換えに奇跡を起こしたのだ。
世界の理を超え、六道天魔を討ち果たせる英雄を召喚したのである。
天地を貫く雷鳴と共に、黒く輝く衣を纏った禿河家安公が帝の前へと降臨したのだった。
そして最後4枚目には、無数の武士達を率い敵大将、六道天魔の首に刀を突きつける青年の姿が描かれていた。
召喚された家安公は圧倒的な武勇を見せ、大鬼や大妖達を打倒して行く。
武勇だけでは無く智謀政略にも優れた手腕を見せた彼に対し、一人また一人と心服していった。
そして、とうとう数多の武将達と共に家安公は六道天魔を討伐するに至ったのである。
その後帝の娘を娶り、江戸の地に城を立て幕府を開いた、と言う所で天井画に描かれた物語は締められていた。
4枚の絵とそれに添えられた文章だけでは、これ以上の詳細は解らない。
それに、こういう物は描かせた者の都合が良いように改変されているのが常だ、家の創家について書かれた書でも、かなりの改変がされていたのを俺は知っている。
しかしこうして改めて見ても、猫王の巣穴であの襖絵を見た時に感じた様な、また上様の屋敷で感じた様な、琴線に触れる物を感じる事は出来なかった。
確かにこの絵は上手なのだろうが、なんというか、何かが足りない。
猫の巣穴で見た襖絵はその目の輝く感じから生きている様な気配すら感じられたのだが、この絵はただ小手先の技で描かれた様に思えるのだ。
「コレが本当に同じ絵描きが描いたものなのだろうか」
思わずそんな言葉がため息混じりに口を突いた。
「なんじゃ、志七郎。今日はこの絵を見に来ていたのか?」
不意にそんな言葉を掛けられ、驚きそちらを向く。
そこには過日同様に共の一人も付けず、好々爺とした笑みを浮かべる上様が居た。
「よい、余がここに居るのはお忍びでの事じゃ、仰々しい礼も不要じゃ」
俺が慌てて平伏しようと膝を居るよりも早く、上様はそう言って押し止める。
「で、この絵がどうかしたかの?」
そう改めて問われ、俺は答えに窮することになった。
猫仙人に会うために根子ヶ岳へと行った事は、口外するべきではない我が家の秘密である。
例え相手が我が家と友好の深い上様でも、言うべきでは無い事だろう。
さて、どう切り抜けるか……。
「この天井画が天才と名高い吉野八郎兵衛の作と聞き及びまして、今一度よく見ておこうと思った次第です」
取り敢えず、問われた方向に対してずらした答えを返してみるが、上様は一寸片眉を上げ。
「聞いただけでは有るまい。何処ぞで八郎兵衛の絵を見てそれと見比べに来たのじゃろ? そしてこの絵が思った程では無いと落胆しておるのじゃろ」
と、俺の行動や思いをあっさりと言い当ててみせた。
「何故それが解ったのですか?」
何時もの様に顔に出ていたのかとも思ったが、それにしてはその場で考えている訳でも無い事まで、言及しすぎている。
「なに、よく有る事じゃからな。この絵は八郎兵衛の真作では無い、弟子が描いた写しじゃ。真作は宝物庫の天井に移されておる」
上様に拠ると天守は今までで何度か建て替えられて居るのだと言う。
様々な技術や素材が発明発見されたり、異国から流入して来る度にそれらを活かして普請するのだそうだ。
無論天守だけでなく、城郭の全てを徐々に刷新していくのだから、城内の何処かかしらで常に工事が行われているらしい。
「家安公がこの地に城を築いて以来、工事の手が入って居らぬのはワシの住むあの邸宅だけなのじゃ」
聞けば天守閣だけでもここ百年で二回、ほぼ全て建て替えられて居るのだそうだ。
随分と金も手間も掛かっているだろう、と感心しきりである。
「そもそも、この天守で公開しておる物はほぼ全てが写しや贋作で、本物なんぞ一つも置いとらんぞ」
「え……? あの通路にあった鎧や絵も全て贋作ですか?」
「誰でも入れる様な場所に早々価値のある物は置けぬわ。盗まれるのもそうじゃが、傷付けたり汚したりされる恐れもあるからの」
防犯という観点から見れば言っている事は解らなくも無いが、それで良いのだろうか? 入城料を取って公開している以上、そこは美術館や博物館の様な物なのではないのだろうか?
「価値の有る物が見られるからこそ、人々は入城料を払って入るのではないでしょうか? そこに有るのが偽物ならば、それは詐欺やそれに類する行為になるのではないでしょうか?」
俺が大人ならば上様に対して無礼この上ない発言だろう、だが前回会った時にも散々『子供に礼儀を求めるのは、八百屋に魚を求めるような物』と言われている、思ったことを素直に口にするのは、決して悪手には成らないはずだ。
それに俺自身は未だ幼いが故に入城料は取られなかったが、この絵を見る為に身銭を切る覚悟で来ていたのだ、そう思っても何ら問題は無いと思う。
「ふぉっふぉっふぉっ。お主の言う通りかもしれんのぅ。贋作を並べてそれを見るのに銭を取る、では確かに詐欺紛いじゃな」
一瞬、何を言われたのか解らない、と言った表情を見せた後、上様はその大きな腹を抱えて声を上げて笑いながらそう言った。
どうやら、この事に対してこんな事を言う者は俺の他には居なかったらしい。




