七十四 志七郎、城へと出かけ少年達に出会う事
根子ヶ岳から帰り神仙そのどちらからも何の連絡も無ないまま暫くの時が経った。
俺はそれ以前と同様に朝の稽古以外は書庫に篭もる生活を送るつもりだったのだが、どうやら根子ヶ岳を一人で登り切った事で、一人で出かけても大丈夫と思われたらしく、一寸したお使い等を頼まれる様になっていた。
「では御父上に宜しくお伝えください」
今日も父上からの書状を他所の屋敷へと届けた所である。
しかし幾ら中身は相応の大人とは言え、端から見れば俺はまだ五つの子供である、身内であれば兎も角、他藩や他の直臣に俺が手紙を届けるのは無礼に当たるのでは無いか。
と最初は心配したのだが、どうも此処でも鬼斬童子の武名が生きる事に成った。
そもそも普通の子供ならば自宅の近所ならば兎も角、一人で出歩く事すら難かしい年頃である。
この江戸よりもずっと治安が良いと言えるであろう前世の日本であっても、三歳児が一人で歩いて居るような事があれば、警察なり何なりが保護するだろう。
当然ながら俺も一人でお使いに出た時には、巡回中の御用聞きに呼び止められ迷子と勘違いされたりもした。
だがその時にも腰に下げた鬼切り手形を見せると直ぐに開放され、それどころか丁寧な詫びを入れられる始末である。
手形を見せたのはただの身分証明のつもりだったのだが、中にはわざわざ色紙を買い求め俺の手形を取らせて欲しいと言って来る者も居た。
江戸から遥か遠い龍尾島の小さな茶店にまで知れ渡っているその名である、江戸市中では知らぬ者は殆ど居ないらしい。
『人の噂も七十五日』と言う言葉がある通り、二ヶ月半も立てば普通は他の噂に上書きされ、俺のこと等忘れ去られているだろう、と高を括っていたのだが、どうもそういう訳でも無いらしい。
そして今日手紙を届けに行った家でも、俺の話は当然ながら聞いており、随分と歓迎をされた。
その家は大名家ではなく御家人で、その住まいは江戸城北側の城壁内部に有る。
書状の内容がどんな物なのかは知らないが、大名家から直臣への書状とだけ聞けば、その中身には色々と後ろ暗い物を感じなくも無い。
流石にそんな物を子供に持たせる事は無いだろうとは思うが……。
さておき今日の家もそうなのだが、俺が使いに出される家にはどうやら一つの共通点が有るようだった。
その家々には未だ嫡男が居らず俺と同年代の、つまりは幼い娘が居る家ばかりでなのである。
これはもしかしなくとも俺の婿養子先候補への顔見せと言う事では無いだろうか。
だがその割にはそれぞれの家で娘さんと会う様な事も無く、手紙を渡し茶と菓子を振る舞われて帰る、と言う事の繰り返しである。
俺の深読みが過ぎるだろうかとも思うのだが微妙な所だ。
さて今日のお使いも済んだ事だし、折角曲輪内まで来たのだから、もう一度あの絵をちゃんと見て行こうと思う。
天守へは此方側にも出入り口は有るが、此方側に有るのは関係者用の出入り口であり、天守の大半を占める物置へと入る場所だ。
そちら側を通っても例の天井画の有った場所へは上がれる事は、この間上様のお屋敷に招かれた際に通っているので知っているが、あれは飽く迄も上様と同行していたから通れた例外である。
直臣の子供であっても、御役目が無ければ此方側からは入る事は許されないのだ。
なので、前回と同じ様に南側にある入口から入城料を払って入るのだが、曲輪内でも直臣達の住む場所と、誰にでも開かれた場所である南側は防衛や防犯と言った理由もあり城壁でもって隔てられている。
一度城門を潜り、お堀の周りをぐるっと回って行く事も出来るが俺の短いコンパスでは、それこそどれだけ時間が掛かるか解ったものではない。
お堀を行き交う船に乗って南側へと行くと言う方法も有るが、今回は他の方法が有るのでパスである。
ちなみに氣を使って駆け抜けると言うのは法度に触れる行為で有るため、選択肢の内には入っていない。
武士、鬼切り者は余程の緊急事態を除き市中を走っては成らないと定められているのである。
それらの者が走っていれば、それが民の心を乱すと言うのが理由であるが、前世の事を考えても警察官が全力疾走していれば『何か事件が起きたのか』と誰もが思うだろう、それを考えればさほど不思議な法では無い。
と、やってきたのは武家子弟の社交場とも言える場所『練武場』と看板を掲げた、ようは道場である。
この道場は幕臣の子弟であれば、旗本だろうが御家人だろうが大名だろうが無料で稽古を受ける事が出来る場所である。
南側へと行きたい俺が何故此処へ来たのかといえば、この道場は南側との堺に立っておりどちらからも出入りが出来る様になっているからである。
この道場は有事の際には防衛拠点として使われる場所で有り、今は門戸が開かれているが黒鉄で補強されたそれが閉じられたならば、此処を抜けるのはかなり骨が折れるだろう事が見て取れた。
俺はその道場の庭を周り、反対側の門へと抜けようと考えたのである。
中からは気合の入った稽古の声が聞こえ、今日も多くの者が稽古をしているのが解る。
稽古場は建物の中だけでなく、庭先の広場でも多くの子供たちが木刀で打ち合っているのが見えた。
義二郎兄上に拠れば、俺だけでなくこうして子供が道場の庭を抜けて南側へと遊びに行くのは日常茶飯事であり、それを一々止め立てする事は無いと言う話なので、俺は目端で打ち合う子供たちを眺めながら、特に急ぐでも無く庭の端を歩いて行った。
ところがである、俺の行く道をわざわざ遮る様に立ち塞がる者が居た。
見た所7~8歳の、小学生に成ったか成らないかと言った年頃の子供である。
「お前、怪しい奴だな。何処の家の子だ?」
怪しいと言われたが俺は普段通りの服装で有り、特に言い咎められる様な怪しい格好をしてる様には思えない。
目の前に居る子供にしても、羽織袴に腰には木刀と俺と何ら変わらぬ格好である。
「人に名を尋ねるならば、先ずは自ら名乗るのが礼儀ではありませんか?」
子供相手に大人気ないとは思いつつも、誰何をするにしたって礼儀と口上が有る、それを無視した態そう注意した。
「俺は雑貨藩藩主、雑賀米一が一子、雑賀源蔵だ! 俺が名乗ったんだから、お前も名乗れ!」
するとその少年は、一瞬面を食らった様な顔を見せるが、直ぐに何を言われたのか理解したようで、顔を真っ赤に染めて怒鳴りつけるようにそう名乗りを上げた。
「猪山藩藩主、猪河四十郎が七子、猪河志七郎にござる」
静かにそう言い返すと、
「ええ! このちまいのが、あの鬼切童子か!?」
「嘘だろう? 話が違う?」
「鬼二郎の様な大男じゃないのか?」
「こんなガキが大鬼斬り? 話盛りすぎだろう」
どうやら雑賀少年が上げた名乗りの大声で、稽古をしていた皆が此方に注意を向けていたらしく、至る所から驚きの声が上がり始めた。
彼らの言う通りこの身は未だ幼く小さな子供で有る、物を見る事の出来ぬ子供であれば、その見目に惑わされるのも仕様が無い事だろう。
だが、そんな思いも次の言葉でかき消された。
「こんなガキに討たれるなんざ、大鬼ったって大した事ねぇなぁ。俺なら一山拵えてやらぁ」
「あはは、言えてる言えてる」
見た所それを言ったのは雑賀少年よりも少し上位の10歳位の少年である。
恐らくは初陣すら未だ済ませていないその少年の物言いは、俺のそして俺に斬られた小鬼達全てを嘲る物である、断じて許す訳には行かなかった。
「そこの御仁、そこまで言うからには拙者よりも武に秀でている……というご主張で間違いございませんね」
正直、子供に子供と侮られる事が、これほど悔しいとは思っていなかった。
「然らば、一手お相手願いましょう!」
腰に刺した木刀を抜き、その切っ先を暴言を吐いた者に向け俺はそう怒声を上げた。




