七十三 志七郎、仙人と問答し女の秘密を思う事
「でも、何故神々は仙人の存在を容認しているのでしょう? 不正で危険な存在で有るならば、片っ端から取り締まるべきだと思うのですが?」
彼の話を聞いていて気になる事が有った。
先程までの話で世界樹には全ての事象が記録されていると言っていた、ならば仙人達による不正アクセスは全て神々には知れていると言う事ではなかろうか。
それに世界樹の記録を改ざんする事で簡単に命を奪えるならば、どんなに隠れようとも無意味なはずだ。
「そりゃ簡単な事じゃ。世界樹は常に神手不足じゃからな、多少の危険が有っても仙人を育て、昇神させたいのじゃ」
基本的に神々は仙人を容認するどころか、その存在を奨励すらしていると言う。
日本では無かった事だが、欧米ではネット犯罪を犯した者と司法取引をする様な形で公的な仕事をやらせる、と言うような事を聞いた事がある、それと似たような物だろうか。
故にやり過ぎない限り神々は仙人に干渉する事はない。
だがそのやり過ぎと言うのが明確なライン等が有るわけでないそうで、大昔にはその力を使い病や怪我で苦しむ者達を救い続けた者が神になり、神に成りたいと願いそれと同じ事をした者は処罰された、と言う事もあったそうだ。
その他にも死者の蘇生という解りやすい奇跡を成した者も、ある者は神となり、ある者は蘇らせた者諸共命を奪われた。
何が許され何が許されないのか、それが明確にされる事は無く、仙人となった者は皆その力の使い方、存在のあり方を常に試行錯誤しているらしい。
そして仙人が自らの存在を隠し隠遁するのは、神から隠れる為ではなくその万能性を頼る者から身を隠す為なのだと言う。
手に届く場所にそんな能力を持つ者が居れば、それに頼ろうとする者は少なくない。
その全てに応える事は出来ずかと言ってその一部だけに助力すれば断られた者は不平を言う。
それが続けば、今度は助けられた者までもが敵に回り、結果仙人は身の置き場を失う、そんなことが大昔から何度と無く繰り返されているのだそうだ。
「生きている個人に関する事を多少書き換える程度ならば、連中は何も言って来ぬ事が多い。じゃがボウズの様に特に神が秘した情報を開くとなれば、それをした神に喧嘩を売る様な事に成るやも知れぬ」
世界樹の維持と正常な世界の運行と言う至上命題は有るものの、神々は必ずしも一枚板では無いらしく、俺に加護を与えた『死神さん』と敵対する神によって封じられている可能性もある。
その他にも昇神させる者を探す為に無作為に封印を掛け、それを破った者を神にする……と言う様な事も考えられるそうだ。
「ワシが昇神を望んでいるならば、一か八か封破りを試みても良いのじゃが。あんな規律やら義務やらで雁字搦めの生活なんぞ御免被りたいからのぅ」
昇仙したのだって自ら望んでという訳ではなく、妻のおミヤが当時仕えていた主、すなわち家のご先祖様を助ける為にしょうが無く、と言うのだから本当に彼には上昇志向は無いのだろう。
だがそれならば神に成ることを望んでいる仙人であれば、俺の封じられた情報とやらを読み解く事を厭わないのではないだろうか。
「ですがおミヤがその事を知らずに貴方を紹介したのでしょうか? 彼女は貴方を昇神させたいと思っていると言う事では無いですか?」
俺がそう言うと、彼はキョトンっと鳩が豆鉄砲を食ったような顔を見せ、少しして大きく笑い声を上げた。
「な、何を馬鹿な事を……。猫がまともにお硬い宮仕えなんぞ出来る訳が無かろう。すまじきものは宮仕えなんて言葉は猫の為に有るようなもんじゃろうが」
笑いながら、そういう彼の目には涙すら浮かんでいる。
「ですが、おミヤは七百年もの長きに渡りその宮仕えを続けているのではないですか」
だが俺の放った次の言葉で笑い声は止まり、しばし痛いほどの沈黙が二人の間に横たわる。
「……猫は法度に縛られぬ者、自由気ままに好きに生きるのが猫のあり方。それは猫又になろうと仙人になろうと変わりゃせんわ」
ゆっくりと十数える程の沈黙の後、彼は不貞腐れた様に顔を背けそう言い放つ。
「ならばせめて、他の昇神を望む仙人をご紹介頂けませんか?」
上を目指す者であれば、危険が有る事を覚悟した上で俺の依頼を聞き届けてくれるかも知れない。
「それは構わぬ。仙人は仙人同士、付き合いも有れば伝手も有る。流石に今日の明日でホイよっとは行かぬがの」
だからもう帰れと彼は言った、猫の表情は今ひとつよく解らないが、それでも何か疲れた様な、思い詰めた様な不思議な雰囲気が感じられた。
猫仙人の前を辞してから直ぐ朝食を頂き、俺は多くの猫又達に見送られて巣穴を出た。
昨日同様案内役を付けられたが、その彼に言わせると四足の猫と違い二本足の人間にとっては下りの道こそが、より厳しい物に成るのだと言う。
言われた通り、登って来る時にはさほど苦労しなかった場所でも、氣を使わなければ大きな怪我を負っていたかもしれない。
だが登りは猫仙人の出した条件の為、手助け禁止だったのが今度はそんな事も無く、その案内役も十分に歳経た猫又だったらしく、危険な所では丁寧に力を貸してくれる。
その御蔭も有ってか、昼を少し回った位の頃には麓まで降りる事ができた。
「あら、志七郎様。随分とお早いお戻りですニャ」
おタマと待ち合わせをした、白石さんの茶店までやってくると、俺が彼女を見つけるよりも早くそう声を掛けられた。
彼女は彼女で雌山で旧知の者達に会ってくると言っていたので、予定より大分早く着いたので待つ事に成るだろうと思っていたのだが、どうやら彼女も早く戻って居たらしい。
聞けば、奉公に出ている者達が休みを貰って里帰りをする『藪の入』と言う時期では無い為、山には殆ど猫又は居らず身の置き場が無かったのだそうだ。
雄山には相応に人手(猫の手?)が有ったので、雌山も似たような物かと思えば、そう言う訳でも無いらしい。
聞けば雄山と雌山のちょうど中間辺りの、山の中腹に『猫の大奥』とでも呼ぶべき場所が有り、雌の猫又の大半はそこに居るのだそうだ。
「なら、おタマもそこへ行けば良かったんじゃないか?」
おタマの話を聞きそう問い返すと、彼女は少し頬を染めて口を開いた。
「奥屋敷は子を持ちたい雌のいる場所ですニャ。いつ雄がお渡りにニャるか解らニャいですから。ニャーは未だ母親にニャる気はねーですニャ」
どうやら猫又には人間の様な婚姻制度は無く、子を持ちたい雌が奥屋敷に居り、やってきた雄と交わり子を成す、と言う『夜這』や『通婚』の様な形態が普通らしい。
中には想い合って番の契りを交わす者も居ないでは無いが、どちらかと言えばそれは少数派なのだと言う。
猫仙人とおミヤはその少数派なのだろう、そしてその薫陶厚いおタマもどちらかと言えば、特定の雄と番に成りたいと望んでいるそうだ。
見た目は十六そこそこの、この世界的には結婚適齢期に見えるおタマも、実年齢は還暦を回っている、そのことを考えれば晩婚も良いところだと思うのだが、彼女のメンタリティは見た目同様まだまだ乙女の様だ。
普通の人間ならばある程度の年齢を過ぎれば子供を産むのも難しく成って来ると思うのだが、やはり猫又は妖怪だけ有ってその辺の自由は効くのだろうか?
だが流石にそんな事をおタマに聞く程デリカシーが無い訳ではでも無く、俺は軽く頭を振るってそんな疑問を頭から追い出した。
……どうやら、今回は彼女に悟られる程顔には出ていなかったらしい。
思わず安堵のため息を漏らしたその時だ。
「志七郎様の魂が相応の大人で有る事は聞いてますが、女の身体に着いて疑問を持つのは一寸早過ぎると思うのニャー」
……全然隠せて無いじゃねーか。




