七十二 志七郎、猫の巣窟の奥にて仙人と会う事
「おや。猪河様、おはようございます、随分とお早いですね。まぁ武家のご子息ならばこれ位からお稽古も有るでしょうかね」
昨夜の宴席は幼い俺に配慮されたのか、酒が出るでも無く早い時間で解散と成った。
猫又の宴は大皿の料理を皆で分け合うスタイルだったので、俺も彼らも同じ物を食べたのだが、出された料理はどれも俺には少々薄味では有ったが、その素材の質の高さが感じ取れる調理が成されており、物足りないとは思わなかった。
聞いた話では唯猫ならば食べれば身体を壊すであろうネギや味の濃い物でも、猫又に成った後ならば問題無いらしく、にんにく入りの餃子を肴に麦酒を飲むなんてことも出来るそうだ。
ともあれ宴も終わり、俺は人間が泊まる時用の客間へと通され、そこで眠りそして朝を迎えた。
洞窟の奥深く、日の光を感じる事のない場所で眠りに付いたため、時間間隔が狂うかとも思ったのだが、どうやらいつもと同じくらいの時間に起きる事が出来たらしい。
身支度を整え貸し与えられた部屋を出ると、一匹? 一人? の猫又が声を掛けて来た。
「貴方様がご起床なさいましたら、猫仙人様の元へご案内する様申し付けられて居ります。朝食までいま暫く時間がございますので、早速向かわれますか?」
「私は構わないですが、先方の都合は大丈夫なのですか?」
「猫仙人様のご指示らしいですから」
「では、お願いします」
そう返答を返すと、彼はひとつ頷くとゆったりとした足取りで俺を先導して歩き出した。
この『猫王の巣穴』は流石に猫又の総本山だけ有り物凄い数の猫又が暮らしている、のかと思えば実際に此処で暮らしているのはせいぜい50程度で、修行を終えた猫又は元の場所(多くは飼い主の元)へと戻って行くのだそうだ。
修行中の猫又未満の者は、山中至る所にある修行場と休憩所に居り、この巣穴には特別な用事が無い限り立ち入る事は無いらしい。
そんな少数の猫又が住んでいるだけの場所にしてはかなり深く、また多くの分かれ道が有るため、正直俺は自分がどの辺に居り何処をどう戻れば良いのかすら把握する事が出来ていない。
特に目印に成るような物等は見受けられないが、案内を務る猫又は迷うこと無く進んで居る。
長く住んで居るが故に道を覚えているのかと思えば、そういう訳でも無く彼はつい先日修行を終え猫王に仕える立場になったばかりだと言う。
では、どうやって道を判断しているのだろう?
「道の奥に居る他の者の匂いを感じているのです。我々猫は元来目がそれほどよろしく有りません。猫又とも成れば人と変わらぬ程度には見えるようになりますが、人間の様に目に頼るようにはなりませぬ」
それを尋ねると特に機密という訳では無いらしく、そう答えてくれた。
彼の話によると、猫というのはほぼ全てがかなりの近眼で、猫又に成っても視覚をそれほど重要な物と捉えていないらしい。
流石に人間と共に暮らす者であれば相手に合わせた会話や生活を送る為に、目で見たものを優先する生活を送る事も有るそうだが、此処の様に猫達だけで暮らす場所では猫の感覚のままで居るのだと言う。
猫の巣穴、と言っても中は非常に文化的な生活をしているようで、匂いらしい匂いは殆ど感じないのだが、それでも人間の俺には感じられないと言うだけで、猫の嗅覚では誰が何時そこを通ったかという事を言い当てられる位の匂いは残っているのだそうだ。
流石に鼻では犬には負けますがね、と笑いながら言うその口調は、それを誇るべき事では無いと言外に言っている様にも聞こえた。
巣穴の奥も奥、外の空気も届かぬのでは無いかと言うほど深い場所に、猫仙人の部屋は有った。
ここ迄来る道にも火が灯っていた事を考えると、もしかしなくとも酸欠が怖いのだが、不思議な事に息苦しさ等は感じられない、恐らくは通らなかった道の先が外へ通じていたりして、空気が抜ける工夫が有るのだろう。
「猫仙人様がお会いになるそうです、どうぞ中へ」
俺がそんなことを考えながら待っていると、先に部屋へと入った案内役の猫又が戻ってくるなりそう言った。
言われるままに中へと入ると、そこには一匹の巨大な……それこそトラやライオン程の大きさの一匹の猫が静かに横たわっていた。
「貴様がおミヤの文に有った鬼斬童子か……。この山をよう自力で登り切ったのぅ」
濃い灰色の殆ど黒に近い毛皮の、よく見れば更に濃い黒の毛が虎縞を描いており、恐らくは猫王も同様の毛色で有るが故に『黒虎』と言う名なのだろう。
昨夜猫王を見た時には、黒一色にしか見えなかったのは、きっと灯火の下では暗くハッキリとは見えなかったからだ。
では何故、今はこうもハッキリとその毛色が解るのか? それはこの部屋が明るいからだ。
地下深くのこの部屋が何故もこんなに明るいのか、疑問では有るが猫仙人を放っておいてその光源を探すのは流石に無礼だろう。
「猪山藩主猪河四十郎が七子、猪河志七郎にございます」
地に座り両の拳も地に付けた座礼、猫王と相対した時と同様の儀礼を持って、そう名乗りを上げた。
「ふむ、ワシが猫仙人、根子ヶ岳の真墨じゃ。しかし、まさか本当に登ってくるとはのぅ……」
名乗りを返すと共に、困った風なそんな言葉が彼の口から出た。
「のうボウズ、神と仙、何故この二つが並び称されると思う?」
「どちらも人間を超越した力を持っているから……でしょうか」
その問に俺は少しだけ考えてからそう答えた、だが彼の求めている物には程遠い答だったらしく猫仙人は小さく首を横に振った。
「神の御業と仙人の術、それは本質に置いてどちらも同じ物なのじゃ。同じ事をしているに過ぎぬ」
彼の話に拠ると、この世界のありとあらゆる事の――それこそ時間が流れるのも、物が下に落ちるのも――全ては世界の中心に生えた一本の大樹、世界樹が有るから起こる事なのだと言う。
世界樹の中には無限とも言える情報が詰まって居り、この世界で起こる事柄はほぼ全てが記録されているのだそうだ。
そしてそれは同時に、世界樹の中にある情報を書き換える事で、それがそのまま現実に成ると言う事らしい。
神と言うのはその世界樹に対してアクセスする権限を持つ者であり、その者が持つ権限の範囲でほぼ自由に世界を改変する事が出来る存在なのだと言う。
それこそ死んだと言う情報を消せば死者すら蘇り、生まれたと言う情報を消せばその存在その物が無かった事に成る、そんな事が簡単に起こせてしまうのだそうだ。
無論、皆が皆好き勝手に書き換えを行えばこの世界の維持すらままならない、もしも万が一、世界樹の存在その物の情報を削除したりすれば、世界自体が消滅するかもしれない。
そんな危険もあり得る事なので、神はその権限で出来る事と言うのが明確に定められており、決してそれを逸脱することは無いらしい。
では仙人と言うのはどういう者なのだろうか?
答えは簡単、世界樹にアクセスする権限など持たず、不正な方法でそれを成すのが仙人なのだ。
前世の感覚で言うならば、世界樹という巨大なサーバーの管理者達が神であり、それのセキュリティの隙間を突いて不正アクセスを繰り返すハッカー(もしくはクラッカー)が仙人と言った所だろうか。
そう説明を受けると、大社様のあの時の様子もなんとなく何をしていたのかが理解できる気がする。
だが、何故今こんな事をわざわざ説明するのだろう。
「名の知れた仙人は長生きしない、とは聞いておらぬか? それは仙術を振るい世界樹を好き勝手に弄れば、その管理者たる神々を敵に回すからじゃ」
仙術=不正アクセスだとするならば、確かにそれを声高に喧伝するものが居れば前世だって逮捕されるのは目に見えている。
そしてわざわざこんな持って回った事を言っているのは
「つまり、上位の神によって封印されていると言う私の情報を読み取るのは、貴方を危険に晒す行為で有る、と言うのが貴方の言いたい事で合ってるでしょうか?」
「うむ、聡いボウズじゃ。その通り、ワシャまだ死にたくは無いからな」
さて、不正で危険な行為で有ると解ればそれを強要する事はしたくないが……どうしようか。




