七百四 志七郎、姉を頼り過程と道程を読み解く事
倒幕派の浪人達を麻薬中毒者にする為に呑まされていたと言う『特別な酒』、そして其れに含まれる麻薬の材料となる二つの霊薬、其れ等を持って俺は智香子姉上の離れを訪れていた。
「むむむ……此れ作った奴は多分あっしより腕の立つ錬玉術師だと思うの。構成要素は何とか読み切れたし必須素材も解ったの。んでも……どう言う工程で作ってるのかまでは解らない。其処まで読み解くのは師匠クラスの術者じゃないと無理ぽなの」
錬玉術を齧った程度の俺には未だ使えないが、上位の技法の中には素材や霊薬、術具に含まれる『概念』や其れを強化したり変化させたりする『要素』を読み解く術が存在する。
普通の霊薬の調合でも其の術を用いる事で、同じ回復薬でもより強い効能を生み出したり、副作用とでも言うべき物を軽減したりする事が出来ると言う。
今の俺には未だ認識出来ない技術の話に成るが、素材には精霊魔法と同じく四つの『属性』と其の組み合わせで発生する複合属性と、『果実』や『薬草』と言った大まかな『概念』、そして同じ概念の物でも素材の種類に依って違う『要素』と言う物が含まれている。
概念を組み合わせる調合は錬玉術の基本の基の字で、俺や桂太郎が行えるのは今の所この段階だ。
霊薬の調合から更に踏み込んで、術具と呼ばれる様々な『魔法の様な効果を発揮する道具』を作るには素材に含まれた属性を理解し、其々を必要に応じて混ざり合う様に組み立てたり、逆に干渉しない様に作る必要が出てくる。
そして要素が絡む調合とも成ると其の法則性は更に複雑さを増し、特定の要素を持つ素材同士を合わせる事で要素を強めたり、逆に打ち消し合う様に組み合わせる事をしたり……と言う工程が必要に成ってくると言う。
智香子姉上の師匠である虎殿が、態々海を渡り錬玉術先進の地である北方大陸から、東の果ての地と言って間違いないこの火元国まで来たのも、此処でしか手に入らない要素を持った素材を手に入れる為だ。
北方大陸でも上から数えた方が早い腕前を持つと言う虎殿を以てしても、要素の組み合わせは未だ手探りな部分も多いそうで、火元国に来て見つけた新要素が既存の要素と干渉する物だったりした例も決して少なくは無いらしい。
と為れば当然、世界を見渡せば未だ未発見の要素を秘めた素材も数多く有るのだろう、虎殿を含めた数多の『放浪の錬玉術師』達はそうした新たな要素や、其の土地に根付いた霊薬の製法を求めて旅をしているのだ。
で、なぜそんな話が長々と出てくるのかと言えば、今回の件で使われている『麻薬』は其れその物が危険な麻薬と言う訳では無く、二つの霊薬に『酒精と結び付き強力な多幸感を与える』『酒精と結び付き強力な習慣性を生む』と言う要素が含まれているからである。
「此れあっしも見た事が無い要素なの。少なくとも火元国で一般的に流通する素材にゃぁ含まれて無い筈なの……。でも、お師匠から貰った素材帳に『酒精と結び付き習慣性を生む』って素材は有った筈なのよ」
離れの一角を占める大きな本棚に並ぶ大量の書物、智香子姉上は其の中から一冊を取り出して中をパラパラと見ては、目的の記述が見つから無かったのか、次の一冊に手を伸ばす……と言う事を暫く続けた。
「有ったの! えーっと……東方大陸は北部、鳳凰武侠連合王国に有る萬寿山で取れる『人参果』って素材に、其の要素が有るって書いてるの。多分その人参果が素材の一つに含まれてると思うの」
そう言いながら智香子姉上が見せてくれた頁には、可也写実的な絵柄で人参果だと言う物が描かれているのだが、其れは何処からどう見ても果実では無く、人の赤子にしか見えない物だった。
「人参果。概念『果実』属性『土五』『水五』『風三』含有要素『治癒力強化三』『生命力強化二』『狂気付与三』『酒精強化二』『酒精と結び付き習慣性を生む』注意事項、この果実で酒を醸しては成らない、酒に漬け込むのも危険……」
北方大陸語と思しき言葉で書かれた説明文は俺には読み解く事は出来ないが、智香子姉上が指でなぞりながらその内容を教えてくれる。
其々の要素がどう言う物でどれ程の効果を生む物なのかは解らないが、態々注意事項として酒と絡めるのは危険だと書かれていると言う事は、其れだけ危ない物だと言う事なのだろう。
実際、現地では人参果で作った酒や漬け込んだ酒は、酒の区分では無く麻薬の区分として扱われるご禁制の品らしい。
だが傷薬の類や増強剤の類を作る際に用いれば大きく効果を増す為、そうした霊薬の材料としては重宝される品だと言う。
更にはそのまま食べても大変美味で、滋養強壮や精力強化等の効能が有るとされているらしい。
けれども問題はその見た目で、皮を剥き切った物を出されたならば兎も角、人の赤子にしか見えない果実を目にすれば、其れを切ったり齧ったりするのは、普通の神経をしている者には可也抵抗が有る物らしい。
俺の記憶が確かなら、前世の世界でも梨かなんかを人の形をした型に嵌めて育て、其れを人参果と称して売っていたと言うのを国際電子通信網で見た覚えが有る。
ただアレは表面の皮が普通にその果実の色で、一目見ればそう言う加工をした果実なのだと解る物だったが、此方の世界の人参果はその色合いや表面の質感までもが完全に人の赤子その物らしい。
外つ国には人の姿をした根っこを持つ『マンドレイク』と言う植物や、更にその亜種で知恵を持ち殆ど亜人と言っても過言では無い植物『アルラウネ』と言う、火元国基準で言えば植物系妖怪に分類される物も有るし見た目が人っぽい位は有っても不思議は無いだろう。
「前に志七郎君を連れて行った事も有る、あっしが普段使ってる薬種問屋なら干した人参果も扱ってた筈なの。んでも一欠片でも十両とかするから、そう簡単に使える様な品じゃぁ無ぇの」
生の果実を海を越えて運ぶ事は出来ないが、乾燥加工した果実は少量ながら火元国にも輸入されているらしい、けれども当然の事ながら渡来品は高く付く。
含まれている要素を考えると軽々しく流通させて良い物では無いとは思うのだが、火元国に多く居る伝統的な薬師達は、要素を顕在化する様な霊薬調合技術は持たない為、今の所ご禁制の品としては扱われて居ないらしい。
けれども素材の一つが割れたならば、その流通経路を調べる事も出来る筈だ。
特に其れが希少で高価な物であるならば、流通量は少なく成り其れが通った場所や、其れを手にした者を特定するのは簡単な事だろう。
火付盗賊改方と御庭番衆は何方も上様直属部隊と言う点では、同格と言っても良い立場では有るが、捜査に必要と為れば協力を要請する事は幾らでも出来ると長官が言っていた。
人参果の産地は今の所、世界を見渡しても萬寿山一箇所だけらしいので、其処から火元国へと輸出される経路を探れば、黒幕まで行き着くかは兎も角、其れを加工し件の麻薬の元に仕立てている薬師までは辿れるに違いない。
錬玉術師に限らず、高位の術師を育てるのはそう簡単な事では無い。
候補と成る者の才能や努力は当然として、経験を積み続けるには相応の対価が必要に成る。
賢神の加護を受け、産まれながらに錬玉術の基礎を知っていた智香子姉上ですら、作り方が読み解け無い程の霊薬を調合する薬師……その腕は生半可な物では無いだろうし、其れが潰された場合に直ぐ代わりの人材を用意するのは不可能だろう。
もしかしたら其れを作っているのは火元国の薬師では無く、虎殿の様な放浪の錬玉術師が何らかの理由で黒幕に雇われている……と言う可能性も有るだろうが、何方にせよ事件の鍵と成る麻薬を潰す事が出来るのは間違いない筈だ。
智香子姉上ですら出来上がった物から、その製法が読み解け無いと言う事は、製法さえ解ればそこそこの腕前程度の錬玉術師や薬師でも作れると言う様な簡単な霊薬では無い……そう信じて、俺は智香子姉上から聞いた事を帳面に報告書として纏めるのだった。




