七百三 志七郎、忠君の士と事件の裏事情を知る事
「あのなぁ……幾ら上様の御孫様たぁ言え、無位無官の子供の台詞で俺達のやる事を制限出来る訳が無ぇだろ。火盗改は上様直属組織だ。奉行職にある者ですら、その行動に横槍を入れる事は出来ねぇんだよ」
武光の言葉に対して碇長官は多少呆れ混じりでは有物の、主筋の子が言っている我儘を諭す様な口振りでそう応じる。
「それに上様の孫って括りで言うなら、江戸に居るだけでも五十……火元国中を見渡しゃ百なんか軽く超えるんだぜ? そんな連中全員が禿河の名で好き勝手すりゃぁ、あっちゅー間に幕府なんざぁ消し炭になんぜ?」
禿河の……太祖家安公の血を色濃く引く者は多淫の性が有り、同時に放置すると不幸に成る娘を引き寄せる『運命力』とでも言うべき物を持って生まれると言う。
当然、上様も例外では無く若い頃から女性に絡んで、数多の騒動に巻き込まれては、其れを御祖父様の知恵を借りて無事解決し、その度に惚れられる……と言う事を繰り返して居た……と以前聞いた覚えがある。
当初は御祖父様の家臣として生きる心積もりで居た為に、そうした女性達を『お摘み』する様な事はしていなかった。
更には重度の獣好きだった御祖父様が銀虎の変化だった御祖母様以外に側室も妾も居らず、猪山女は情が深い事も有って猪山藩では、概ね一夫一婦が当たり前だったことも有り、当時の上様は正室として娶せた女性以外に手を出さないと言っていた。
けれども時を経るにつれて彼を巡る恋の鞘当ては、何時刃傷沙汰に至る共解らぬと言う、割と冗談では済まない状況に成って行ったらしい。
そして其れは割と能天気だった若い頃の上様本人では無く、憖人より物事の先が読めてしまう御祖父様の胃壁を直撃した。
此れ放って置いたら下手しなくても戦が起きる……そう判断した御祖父様は、痛む胃を楽にする為に他の将軍候補達の醜聞を洗い出し、更には手頃な大鬼や大妖の話を集めては上様に手柄を立てさせ、とうとう将軍の位に着ける事に成功したのだ。
んで将軍と言う立場であれば、両手両足の指を足しても足らん程の女性達を皆纏めて大奥に囲っても何ら問題にはならない、産まれてくる子供の数にさえ目を瞑れば……。
三十人近い女性を其々少なくとも一回、多ければ四回孕ませた結果、子供の時点で六十人を越え、その子等が方々で孫を作るのだから、そりゃ当然の様に百なんて簡単に越えるだろう。
長官の言葉通り、それだけの子や孫が上様の血筋と言うだけで、好き勝手やれば法も秩序も有った物では無く、幕府は瓦解し火元国は再び戦国の世に逆戻りする可能性は捨てきれない。
「確かに余は無位無官の小僧に過ぎぬ。だが余の言葉は禿河の言葉と成る根拠が有る、目にも見よ! この紋所が目に入らぬか!」
にも拘らず自信満々に武光は、川下介の切腹を許すと宣言した時同様に、懐から『芒に旭』の家紋の入った印籠を取り出しそう宣言する。
「な!? 真逆、お前ぇそれを出した上で、禿河の名を出したのか!?」
すると小さな子供に言い聞かせる様な表情を、驚愕と怒りの混ざった物へと豹変させて長官が怒声を上げた。
「無論! 故に鹿之子 川下介に対して更なる拷問の類を加える事は許さん。あやつは己と御家の恥を認め、己自身の意思で全てを吐いたのだ。最期は武士として名誉有る切腹を差し許すと言ったのだ」
えっへん……と子供らしく胸を張って堂々とそう言い切った武光に、長官は溜息を一つ吐いて、硬く握りしめた拳をその頭へと振り下ろした。
「ったく! 面倒臭い真似しやがって! そりゃ子供が玩具にして良い物じゃぁ無ぇ! その紋所はお前が上様の名代として行動している、そう言うのと同義だぞ? その辺解って使ってんのか! お前の一言で要らん死人が出る事も有んだぞ!」
そしてそれから怒声を上げて叱りつける。
けれども其れは感情に任せて怒って居るのでは無い、上様の忠臣として其の名を汚す可能性を指摘した上で、武光の成長を促す為の忠言だ。
「無論解っている! 余は徒に権威を振り翳す程に愚かでは無い! 余が此れを使うのは悪を為す愚か者に最期の慈悲を向ける時だけだ! この紋所に平伏し慈悲を乞うならば、武士として腹を切る事を指し許す。従わぬならば叩き切る其れだけだ!」
拳骨を落とされ痛む頭を押さえつつも、武光はそう吠え返す。
芒に旭の紋所の入った道具は上様とその名代足る者にしか許されぬ物で、其れを掲げて宣言した言葉は上様が発した物と同義として扱われるらしい。
故に其れを覆す事が出来るのは、上様当人だけ……と言う事に成るのだと言う。
何処でそんな物を手に入れたのかは知らないが、武光自身は其れを良く知っている様で、配下の忍術使いであるお忠の調査で、汚職に手を染めていると断言出来る者に対して、降伏勧告の為だけにしか使って来なかったのだそうだ。
幕府の権威を使って私服を肥やす輩にすら向けられる最期の慈悲、即ち『素直に罪を認めて腹を切れ』と言う最後通告。
犯した罪と言う点で言えば川下介は、そうした幕府の面子に泥を塗る様な真似をして来た連中よりも圧倒的に軽い物と言って良いだろう。
その上で罪を認め知る事を全て話したのだから、武士として最低限の名誉を守った上で切腹を許す……と言うのは道理と言えば道理なのかもしれない。
「……ああ、うん。権力に酔って好き勝手に使ってる訳じゃぁ無ぇ事は認めらぁ。んでもさっき言った言葉は引っ込めねぇし、殴った事も謝らねぇぞ。大人として子供がおいたをしたら叱るなぁ当然の事だからな」
武光には武光の基準が有りその上で、上様以外に覆す事の出来ぬ命令を発して居るのだろうが、火盗改と言う上様直属組織の長としては、そう簡単に捜査に横槍を入れる様な真似をして欲しく無いと言う心情も俺には理解が出来た。
「うむ! 其方の忠言確かに聞き届けた。忠言耳に痛しとは言うが、頭にも痛い物なのだな! 御祖父様直属部隊の長とも為れば、余を叱責する権威も十分だしな!」
武光はそろそろ痛みが引いたらしく朗らかな笑顔でそう返事を返す、どうやら長官は然程強く叩いた訳では無い様だ。
「真面目に其れをそう簡単に掲げる様な真似は本当に止めてくれや。此処だけの話にして欲しい事だが……件の麻薬を仕入れさせてる奴ぁ禿河の名を持つ者でな、その名を悪用して息の掛かった商家にご禁制品を取引させてんだよ……」
長官が言い辛そうに切り出した話に拠れば、この一件で浪人者達が飲まされている『特別な酒』に使われている麻薬は、傍流とは言え禿河の名乗りを許されている者が手引し、何処からかこの江戸へと運び込まれているのだと言う。
しかも厄介な事に、其れは二種類の霊薬として偽装されており、其々一つでは偽装された霊薬と同様の効果しか持たず、二つ合わせて初めて麻薬としての効果を発揮する……そんな物らしい。
其の二つの霊薬は其々別の商家が商って居り、その商家の者すら其れが『混ぜるな危険』な麻薬だと言う事は知らない可能性が高いのだそうだ。
……錬玉術を多少なりとも齧った身で言わせて貰えば、霊薬と言うのは『概念』と『概念』を混ぜて『新たな概念』を生み出す魔法の一種と呼んで差し支えない物である。
素材に含まれている概念さえ同じであれば、必ずしも製法を守らずとも、同じ霊薬を作り出す事が出来ると言うのだから前世の世界の科学で作られた医薬品とは根本的に違うと言って間違い無い。
そして其れを知るが故に断言出来る、霊薬はただ二種類を混ぜたからと言って新たな概念を生むと言う事は無い。
正しい手順を踏まずに二つを混ぜれば、良くて消し炭、下手を打てば産業廃棄物が出来上がり、更に悪くすれば大爆発を起こす事すら有るのが錬玉術の産物なのだ。
其の辺の法則は錬玉術が火元国に伝わるよりも以前から薬師と呼ばれる者達が作ってきた霊薬も大差は無い。
霊薬を買う事が出来ない様な貧民達が使う、民間療法的な薬草等の生薬の類ならば、混ぜて使うと言う事も可能だが、今回の物は一つだけで使えば間違いなく霊薬としての効果を発揮すると言うのだから、其れに当て嵌まる物では無いのだろう。
「その麻薬作りには先ず間違いなく、高位の錬玉術師か薬師が居ますね。その麻薬を手に入れて智香子姉上が解析すれば……其れで駄目でも彼女の師に調べて貰えば、その構成や材料なんかが解るかもしれない」
此方の世界に産まれ変わってからの積み重ねと、新たに知った情報から、件の麻薬根絶に繋がるだろう提案が俺の口を突いて出る。
「ほぅ? そりゃ確かに根っこに繋がる情報が手に入るかもしれ無ぇな……。確か河東が飲んだフリして持ち帰った分が有った筈だよな? 仲基、其れを錬玉姫に調べて貰え。んでさっき言ったな手段を問わないってのは取り消しだ、武士として丁重に話をして来い」
其れは長官の御眼鏡に叶った物だった様で、彼は表情を緩めながら武光の言を肯定する命令を出し直したのだった。




