七百二 志七郎、根無し草の来歴を知り武光吠える事
一番隊隊長河東 丁、火盗改の屯所前で俺達を案内してくれた、役者顔負けの優男……刀を佩びて居なかったのは、彼が刀では無く太鼓を叩くのに使う枹を得物とした骸流双枹術の達人だかららしい。
「あっし等も倒幕派の集いとやらにゃぁ目を付けては居たんっすよ、んで使われてる麻薬の出所は掴んだんっすけど……その先の黒幕が中々尻尾を見せやがらねぇんでさぁ」
一番隊の隊長と言う立ち位置からも解る通り、彼は火盗改の中でも長官を除けば最強と言って良い実力の持ち主だそうで、世間では『火盗の河東』とか『撲殺火盗』等と呼ばれていると言う。
二番隊隊長史村 建、冠下髻と呼ばれる頭の天辺当たりで束ねた髪を元結と言う紐で巻き立てた髪型に、千田院の伊達様同様に真っ白に白粉を塗った顔、更には緞子の派手な着物を纏ったその姿は、侍の其れと言うよりは派手好きな傾奇者と言った姿だ。
当然の様に腰には刀を佩びず、手には三味線と其れを演奏する為の撥を持って居り、江戸幕府最強の侍軍団で有る筈の、火盗改には似つかわしく無い事甚だしい。
「あたしゃ芸人の振りして連中の宴会に紛れ込んでるんだけどね、そっちから調べても主催者は毎回変わってるし、使ってる見世も毎回違うんだよねぇ。んでもって絡んでる商家も違うってんじゃぁ此方から探るのも無理っぽいんだぁよねぇ」
けれども其れはどうやら、潜入捜査の為の擬態の様である。
とは言え、武器も持たずに潜入捜査等危険過ぎるのでは無かろうか? いや、手にした三味線が仕込み武器なのかもしれない。
「兄者……あの史村と言う男、余は知って居るぞ。あの男は秋雨流と言う柔術の道場に十で入門し、たった二年で皆伝の免状を得た柔の天才。『柔の史村』だ」
柔の史村と言う事は、得物を必要としない無手での戦闘を得意とするのか……。
しかも十二歳で免許皆伝と言うのは確かに天才と称する他は無いだろう。
その上で幕府最強の組織と言っても過言では無い火盗改の分隊長を務めると言うのだから、皆伝を受けたからと驕る事無く、その後も努力をし続けて来た事は恐らく間違いない。
「成程ねぇ……拙等は山猫を何度も追いかけて来たが、此処最近の件は手口が違い過ぎると思ってたんだよ。山猫が集団行動をせず単体で暴れてんなぁ、直接顔を合わせた拙が一番良く知ってる事ですわ。なぁ剛規?」
三番隊隊長仲基 工、仲基家と言う家の名は俺も御祖父様から聞いた事が有る、御庭番衆の長である生天目家の傘下の御庭番衆の忍術使いの一族だった筈だ。
けれども目の前に居る彼は、忍術使いの装束でも侍らしい袴姿でも無く、同心が個人的に雇った町人階級の十手持ち、所謂『岡っ引き』と言った方がしっくり来る服装に身を包んでいる。
更に特徴的なのは、腰に下げた銭束の量が異様に多い事だろう。
普通は一貫文も持っていれば、買い物で早々困る事等無いし、その重さを考えれば銀銭や金子を持つ方が合理的だ。
にも拘らず、其れを何本もぶら下げているのは、彼が『羅漢銭』と呼ばれる暗器の使い手だからだ、彼の腰にぶら下がっているのはただの銅銭では無く戦闘用に端を研ぎ澄ました一種の『手裏剣』なのである。
彼の二つ名は『鳶仲基』忍術使いでこそ無い物の忍びとして育っただけ有って、その身軽さは鳶職人の其れを軽く上回る物だと言う。
「ふが!? ああ、うん。本物の山猫は悪どい商売をしてる見世にしか入らないし『殺さず、犯さず、貧しきからは盗らず』の盗み三ヶ条を頑なに守ってた。んでも、此処最近出てる偽山猫は見つかりゃ殺すし、女を拐かす様な真似もしてるんだぁな」
そして四番隊隊長の剛規 楓、女性の様な美しい名前と相反する恰幅の良いあんこ型の彼は、侍と言うよりは力士だと言われた方が納得出来る見目をしている、髷も大銀杏に結っている当たり彼自身其れを自覚して居るのだろう。
彼は『鉄壁の剛規』の二つ名を持つ元浪人鬼切者で、『剛規流剛体術』と言う風間藩に有る体術流派の道場の三男として、兄達よりも優れた素質を持って産まれたが故に、実家に居辛く成り一人飛び出し鬼切者として生計を立てていたそうだ。
「そうだ。そして偽山猫達は昨夜猪山藩邸に忍び込み、その内の一人が鳥獣司殿に取っ捕まっちまったんだとよ。んで其奴が吐いた事を此の鬼切童子殿と暴れん坊御孫様の御二人が態々火盗改に知らせてくれたって訳だ」
そしてその彼を見出し、火盗改に引き込んだのは長官である碇 権兵衛様である。
彼は幕臣としては珍しく江戸の出身では無く、京の都で生まれ育ったらしい。
碇家は幕府と朝廷の連絡役として京の都に居を構える家で、武士を一段下に見る公家文化に触れて過ごした彼は、都の破落戸共を相手に、目付きが気に入らないとか鼻の形が気に入らない等の下らない理由で喧嘩を繰り返す、荒れた青春時代を送って居たと言う。
けれどもそんな彼もとある公家の姫と恋に落ちその生活は一変する、彼女を嫁に迎える事が出来るだけの立場と甲斐性を手に入れる為に、家に縛られず上を目指せる数少ない役職である火盗改を志し、京の都の実家を出て江戸へと単身向かったのだ。
京の都の周辺の戦場は江戸よりも危険度が高く、そうした戦場で鍛えられた破落戸達は江戸のそうした立場の者達よりも圧倒的に強く、そんな連中を相手にしてきた長官は武士全体で見ても高い水準の実力を有しており、無事火盗改に入隊する事が出来たと言う。
しかし江戸で生まれ育った者達の中で、京の都出身の彼は割と浮いた存在だったらしく、仲間との協調を取る為に京言葉を封印し、態々江戸訛りの練習までしたらしい。
その後は危険な捜査に率先して飛び込み、多くの手柄を上げて分隊長と成り、小隊長に昇進し、実家からも正式に分家する事を認められ、そしてとうとう懸想していた姫君を嫁に貰う事に成功した……そんな努力の人なのだそうだ。
「んで、その取っ捕まった浪人者は、倒幕派の集いを乗っ取ろうとした連中に麻薬漬けにされた兄貴達と一緒に、黒幕と思しき者から盗みの指示を受けてるんだそうだ。つまりは今まで掴めなかった尻尾の一部が見えた可能性が有る」
ちなみに今はその姫君との間に一男一女を儲け、二児の父として妻子の住む江戸の治安を守る事に命を賭ける熱い心の漢でも有るらしい。
「ご禁制の麻薬の抜荷、倒幕派乗っ取り、両手の指の数以上の急ぎ働きに畜生働き。寄りにも寄って此等の案件が、真逆真逆同じ線の上に上がるたぁ思っても居なかった。だが全てが繋がった以上はもう遠慮は要らねぇ!」
なお彼等の経歴云々に付いては後から瓦版や、猪山藩の中間者達に聞いた話なので、何処まで本当で何処までが噂なのかは定かでは無い。
けれども其処に居並ぶ面子の身体や身のこなしを見れば、此処に居る全員が御祖父様や一朗翁には劣るとしても、義二郎兄上とならば十分に遣り合えるだけの実力者だと言う事は、俺の目からでも明らかだ。
そして前世に培った刑事としての勘は、彼等が捜査官としても十分に優秀な者達だと訴えかけている。
「倒幕派云々に麻薬云々は末端を潰しても蜥蜴の尻尾切りに成るなぁ目に見えて居た。偽山猫の件は狙いが絞れず後手後手に回って取っ掛かりすら掴めなかった。だが其れが同じ連中で、狙う物が見えてその構成員が割れたなら話が変わってくらぁ」
カツン……と煙草盆に煙管を打ち付ける音が、甲高く辺りに響き渡った。
「たぁ言え、今の段階で黒幕までは見えてねぇ。河東と史村の捜査でも尻尾を掴めないんじゃぁ火盗改だけでがっちり掴むのは……まぁ無理だろうよ。んだが手足が一網打尽にされりゃ流石にどっかで綻びて、御庭番衆の調査も進むはずだ」
黒幕の捕縛は端から諦める方針か……いや現場の捜査官としては先ず目の前の事件を片付けたいと言う気持ちは理解出来る。
それに自分達より上位の調査組織が有り、其処が動きやすく成るだけでも、十分な手柄と言えば手柄だろう。
「河東! 史村! 倒幕派の集いに絡んだ人間の所在を全て書きだせ! 仲基と剛規は坊主達と一緒に猪山の下屋敷で、件の男から少しでも詳しい話を聞き出せ! 手段は問わん! 明朝、全ての奉行所と共同して屑共を一斉検挙する!」
碇長官が出した行動方針……皆其れに一斉に返事を返すよりも早く、
「一寸待った! 鹿之子 川下介に対して更なる拷問等は余が許さん! あの男は余が禿河の名を以て武士として最低限の名誉を守り、切腹を許すと言ったのだ。例え御祖父様直属の火盗改の長とは言え、其れを覆すならば先ずは御祖父様に話を通して貰おうか!」
武光がそんな言葉で割り込んだのだった。




