七百一 志七郎、精鋭の巣へと向かい決断を下す事
「御免! 昨今世間を騒がす盗賊団に付いて火盗改の長足る者と話がしたい。俺は猪山藩主、猪河四十郎が四男で志七郎と申す者。どうかお取次ぎ願いたい!」
江戸城を北門から入り、下級武士達の住まう屋敷街を抜けた辺り、幕府の政の中枢である政所と呼ばれる建物の直ぐ近くに火盗改の屯所は有る。
江戸市中の治安を守るのは東西南北四つの奉行所に所属する同心達と、彼等が抱える岡っ引きとか目明かし等と呼ばれる町人階級の者達だ。
だが四つの奉行所は良くも悪くも自分達の管轄する街区の外まで、捜査の手を伸ばすのは極めて稀である。
前世の世界でも今生の世界でも、組織と言う物は自分達の領分に他所が手を突っ込むのを嫌うのが常で、向こうの日本でも県を跨いで逃走されると、余程の凶悪犯でも無い限り追跡を断念するのが通例だった。
下手をすると同じ県警内ですら所轄を跨ぐと後に遺恨を残し、その時の恨み辛みを理由に本来ならば共有されるべき捜査情報が隠蔽される……なんて話も全く無い訳では無かったと言う。
俺が任官した頃には、合同捜査本部の設置が増えたり、所轄や都道府県を跨いだ交流捜査なんかも多くなり大分そうした気風も減って来た頃だったが、其れでもやはり他県への出張捜査では色々と回りに気を使う必要が有ったのも事実である。
現代の日本ですら『そう』なのだから、昔気質と言うか江戸時代らしいというか……兎角、未だ古臭い因習が根強く残る此方の世界では、幕府からの命令でも無い限りは街区を跨いだ捜査が奉行所に依って行われる事は無い。
では罪を犯した者は街区を越えて逃げれば、捕らわれる事は無いのかと言えばそんな訳でも無い、この世界では罪を犯せば其れは其々の者が持つ『手形』に記録される為、折々に行われる『手形改』でバレて捕らわれる事に成るのだ。
しかし義二郎兄上の腕を奪ったあの男や、今回捕えた鹿之子 川下介の様に手形を携帯して居ない者は、手形の不携帯を理由に捕らえる事の出来る法度は無く、常にそうした前世の世界の感覚からすれば強引だったり、ガバガバだったりする捜査が通用する訳でも無い。
故にそうした管轄に縛られず、証拠を積み重ねて捜査を行う組織が必要で、其れを行うのが此処に屯所を構える『火盗改』なので有る。
彼等は主に『火付け』『盗賊』そして非公認での『賭場』の取り締まりを行うが、其れ以外にも『殺し』や『詐欺』等々、火盗改の長が必要と判断を下したならば、他の四奉行所か、各地の藩主にすら捜査協力を命じる権限が有るのだ。
なにせ火盗改は幕府将軍直轄部隊と言う立場で有り、その長とも為れば下手な大名よりも余程大きな権を持っいると言っても過言では無い。
「猪山の四男と言や噂に名高い『鬼切童子』殿で御座んすね。あっしは火盗改一番隊隊長、河東 丁ってな者でさぁ。そっちは『暴れん坊御孫様』ですな? 親分に取り次ぎやすんで、ちーっと此処でお待ち下せぇまし」
俺の名乗りに対して、入り口付近に屯していた若い衆の纏め役と思しき男が、名乗り返しながらそんな言葉を返して来た。
河東と名乗ったその男、着流しを身に纏い腰には刀も佩かぬ姿に、その整った優男然とした顔立ちと相まって、武士と言うよりは二枚目看板の役者と言った方がしっくり来るそんな感じに目に映る
けれどもその身のこなしを見れば、その体軸にブレは無く余程多くの訓練を積んで来た事は容易に想像が出来る程だ。
武士の役目と言うのは基本的に『家』に対して与えられる物なのだが、火盗改を含めた極々一部は例外的に個人の技量で選別された者達が配属される。
である以上、火盗改の中でも『隊長』と言う役職を持つこの男は、江戸に居る全ての武士の中でも上から数えた方が早い位置に居る者なのかもしれない。
「突然の来訪誠申し訳無いが、宜しくお頼み申す」
彼の立ち振舞に対する値踏みを終えた俺は、彼の言葉に従いこの場で待つ事を決め、軽くお辞儀をしながら、そう返事を返すのだった。
「俺が火盗改の長官を勤める碇 権兵衛だ。鬼切童子殿に暴れん坊御孫様、お二方共お見知り置きを……んで、盗賊団に付いて話がしてぇってな事を丁坊から聞いたが、一体どんなお話で?」
此れまた侍と言うよりは八九三の親分と言った方が、しっくり来る様な細身ながら強面の男が俺達を迎え入れてくれた。
「昨夜、猪山藩邸に山猫を名乗る輩が忍び込みましてね……」
とは言え、その態度は割と慇懃無礼と言う方が相応しい様な扱いで、決して歓迎してくれている物では無い。
まぁ幕府でも精鋭部隊と言える火盗改の屯所に、俺達の様な子供が訪ねて来る事自体が愉快じゃ無い事は容易に想像が出来る。
前世の警察官と言う立場で考えても、何処かの頭脳は大人身体は子供な探偵が、現場にしゃしゃり出てくる様な事が有れば当然嫌な顔をした筈だ。
寧ろ立場が許すならば『子供の遊びじゃねぇんだ』と怒鳴りつけて追い出す事位はしたい。
にも拘らず、碇長官が俺達と態々会ってくれたのは、俺の持つ猪山藩主四男と言う立場と、武光の持つ将軍の孫と言う肩書が有ってこそだろう。
「成程なぁ最近世を騒がせてる山猫と、以前火盗改の史村達が追ってた山猫……手口が違い過ぎるたぁ思ってたがやっぱり別人か。まぁ今の話の通りなら麻薬中毒共が手前ぇの犯行を山猫に押し付けようってな話なんだろうなぁ」
川下介から聞き出した話を俺が長官に話すと、彼は煙草盆を手元に引き寄せ、煙管を手に取ると刻み煙草を詰めて火を点け……一服。
「にしても……『倒幕派の集い』を乗っ取ろうってな動きが有るって話は、上様から来ては居たが真逆其れが盗み働きの為に使われるたぁなぁ」
ぷかりと紫煙を吐き出しながら長官がぽつりと零した一言……やはり倒幕派に関わる話は、既に上様は掴んで居たのか。
「猪山藩は国許で変事が有って、其方に手が取られて此方へ回す手は無ぇんだろ? たぁ言え此処まで情報を貰って後の手柄は此方が全部ってなぁ話じゃぁ、今度は俺達が恥知らずの誹りを受けらぁな……」
長官は煙管を吹かしながら、少し考え込む素振りを見せた後、
「んで、お前さん等二人が火盗改に来たって事たぁ、猪山を代表してお前さん等が捕縛に参加するって事で良いんだよな? それなら此方も其方も面子が立つだろう?」
俺達に向け御祖父様にも引けを取らない悪そうな笑みを浮かべて、そんな言葉で問いかける。
猪山藩としては藩邸に入り込んだ賊は全員、猪山藩の手で捕えないと面子が立たないのだが、其れをするには手が足りない……そして火盗改としても猪山藩が全て解決したら、将軍直属の捜査組織としての面子が丸潰れと言う事に成る。
だが両者が協力して事に当たり、無事決着を付けたので有れば、双方共に面子が立つと言うのは事実だ。
そして今猪山藩邸に居る人員では、屋敷の防衛を考えると自由に動けるのは、俺と武光、そして蕾とお忠の四人だけだろう。
いや配置を逆にして俺達が防衛に残り、三阿呆と兄上が参戦すると言う選択肢も有るが……、長官が其れを提案せず態々俺達を名指しするのには何か意味が有る様にも思える。
あ!? そうか! 火盗改は将軍直属と言う扱いだから、主筋である武光が参陣するのは、どっちの体面的に考えても、他所に対して言い訳が立つのか!
そう思い至った俺は、ちらりと横目で武光の顔を見て其処に覚悟の色を確認すると、ただ黙って首肯した。
「おう! 誰か! 剛規と仲基呼んで来い! ついでに史村と河東もだ! 山猫の件と倒幕派の件が繋がった! 一番隊から四番隊全員動員した大捕物の可能性が出てきたぞ! 五番から八番隊は引き続き手持ち案件を進めて置け!」
其れを見た長官は急にその場で立ち上がると、大きな声でそんな事を叫んだのだった。




