六十八 志七郎、古き妖かしを知り、神仙を知る事
「しかし父上、仙人の知り合いでも居るのでござるか?」
本来の目的が叶わないとなるや、父上は大社様が歓待してくれるというのを断り、早々に家路へと付くことにした。
どうも大社様は仙人というものに思う所があるらしく、俺達がそれに頼るのを避けたいと思っているらしかったが、それが解っていて尚である。
仮にも神々に名を連ねる存在に誘われていると言うのに、それを断ると言うのは一般的に考えても不敬と言わざる得ないだろう。
だがそれでも帰ることを選択したのには理由があるに違いない。
大社から十分に離れそのことを尋ねるよりも先に、兄上が父上に問いかけた。
「ワシ自身にゃぁ仙人の知り合いなんぞ居らん、じゃが我が家にゃ知り合いに居そうなのが居るじゃろ」
と返すと、兄上にはその心当たりが有ったのだろう、一寸考える素振りを見せた後、ポンっと手を叩いた。
俺も同様に一寸考えてみるが、流石に家族や家臣達一人ひとりの交友関係を把握している訳ではなく、誰の事を指しているのかパッとは想像が出来ない。
そもそも仙人と言うのがどういう者なのか、ハッキリと知っている訳ではないので、誰が面識を持っているのか、どういう要素で考えれば良いのかすらわからない。
まぁ家に帰れば解る事と、その事に着いて考えるのは止め、当初の疑問を父上に問う事にしよう。
「折角大社様がお誘い下さったのになぜ断ったのですか?」
とストレートに問いかけると、父上も兄上もが何を言っているのか? と言わんばかりに顔を見合わせた。
俺が言った事はそんな顔をされるほどにこの世界に於いては非常識な事なのだろうか?
それとも大社様の誘い自体が前世の京都で有るらしい『ぶぶ漬けでもどうですか』と言う問いかけと同様の意味を持っていたのだろうか?
「其方、過去世では神と会う事は無かったのか? 例え温和で人と友好的である大社様とはいえ神は神、長く一緒にいるのは危険なのだ」
曰く神と言うのは、原因となる行動無く結果を押し付ける能力を持ち、万が一不興を買う様な事が有れば戦う事すら出来ず死を押し付けられる事すらあり得るのだそうだ。
流石に無制限になんでも出来ると言う訳ではなく、神にも階級が有りより上位の神が設定した規則を破る事は出来ないのだが、その範囲が実際に何処までなのかを知る術は無く、人間を殺す程度の事は瞬き一つで出来ると思って行動するのが常識らしい。
だが、先程俺が受けた修正ファイルの適用を行う為に、あれを詠唱と呼ぶべきかどうかは疑問がある所だが、少なくともどういう処理をするのか、と言うのを口に出していたように思うが……?
それを素直に口にすると、再び二人は顔を見合わせた、ただその表情は先程よりも随分と強く驚愕の色を秘めたものに見える。
「志七郎、其方大社様が何らかの詠唱をしているのを聞いたのか?!」
「え? 俺の額に爪を立ててから結構長い時間、詠唱と思われる言葉を口にしていましたよね?」
「い、いや。それがし達には大社様が一瞬お前の額に触れた様にしか見えなかったぞ。のう、父上……」
「然り、わしにもそうとしか見えなかった」
「え? ハッキリと言ってましたよ『世界樹』とかなんとか」
「……神が事を成す時、全ては刹那の内に済まされるとされておる。だが其方には神が事を成すその刹那を解する事が出来る、と言う事なのかもしれぬ。大社様が其方の事を読めなんだもその異能故……の事かもしれぬな」
二人は嘘を言っている訳では無いのだろう、こんなことで俺を騙すメリット等何一つ有りはしない。
という事は父上の言う通りあの無機質な機械の様な声は俺にしか聞こえない物だったと言う事の様だ。
それが意味する事が何なのかは解らないが、押し黙ってしまった二人の様子からは、相応に重い意味がある事の様に思え、俺自身もまた口を噤むしか無かった。
「おミヤ。おミヤは居るか!」
素足に草鞋履きが基本で有るため、屋敷の中に入るのであれば先ずは足を洗うのが普通なのだが、帰ると足を洗う暇も無く父上はそう声を上げた。
そうか! 父上の心当たりと言うのはおミヤ婆さんの事か。
考えてみればこの猪山藩最古参、齢七百を数える猫又である、仙人の一人や二人知り合いに居てもおかしくは無いだろう。
だが彼女は江戸でも有数の産婆である。
将軍家大名家は勿論の事御家人旗本の家でも、難産を予想される時には大概呼びだされる。
武士階級でこそ無いものの猪山藩最古参の家人である故、流石に町人やら農民の出産にまで出かけていく事は無いが、大店で有ればかなりの銭を積んで呼ぶ事も有るらしい。
故に常に家に常駐しているという訳でなく、数日に渡り家を開けている事もまま有る事なのだ。
朝食の席では見たような気がするが、昼食の時点ではどうだっただろう?
「まぁまぁ、足も洗わず何ですか。婆は逃げやしませぬよ」
俺が思い出すよりも早く、そんな声が台所の方から聞こえてきた。
だがその姿は見えず、向こうも俺達の姿を確認して声を掛けた訳では無いはずだ。
しかし、おミヤの言葉は此方の様子を見極めてから言ったようにしか聞こえない物だ。
「妖怪と言う者は古くなれば成るほど色んな妖術を使う様に成る物でござる。人間と違い歳を経たからと言って衰えると言う事もござらん。おミヤは態々老婆の姿をしているだけでござるよ」
兄上に拠ると彼女程にも成れば、屋敷の敷地の中ならば何処にいようとそれを見聞きする事位は容易にやってのけるのだそうだ。
戦う所は見た事が無いが、その古さを考えれば十分に大妖と呼ぶ事が出来るレベルであり、彼女が本気に成ったならば、恐らくは一郎翁でも無事には済まないだろうと言う。
普段目にする穏やかな老婆の姿からは、そんな凄い妖であるとは到底思えないのだが、これまた俺を騙す理由が無いのだから恐らくは事実なのだろう。
現に目の前で父上が慌てて玄関へと駆け戻り足を洗う姿は、少なくとも我が家では彼女に逆らう事の出来る者が居ないと言う左証の様に見えた。
「という訳でな、其方の知り合いに仙人が居れば紹介して欲しいのだ」
足を洗い改めて屋敷に上がると、父上はわざわざ智香子姉上が住むのとは別の離れへとおミヤを呼び出した。
ここは他言無用の話をする為に作られた建物なのだそうだ、母屋と繋がる渡り廊下以外に外へ繋がる道は無い、明かり取りの窓もかなり高い位置に有るだけで、俺は今まで蔵だとばかり思っていた。
義二郎兄上は閉じた扉の前で、誰も中の様子を伺う事が出来ないように見張っているので、ここに居るのは俺と父上、そしておミヤだけである。
「ふぅむ……、昇仙した知り合いは何人か居りますが、そのうちで今でも交流が有る者は居りませぬのう。今では生きとるかどうか……」
おミヤの話では、昇仙した――仙人に成った者はそれまでの交流を絶ちその身を隠すのだと言う。
稀に隠れる事の無い者も居るが、そういう者は長くない内に命を落とすか、もしくは更に昇りつめ神に成るのだそうだ。
おミヤ自身は仙人という訳ではないので、それがどういう理由に拠るものなのかは知らないが、彼女の知る限りにおいて例外は無いらしい。
なので少なくとも彼女の交友範囲内に仙人は居らず、昔の知り合いにもしかしたら……と言う事である。
その言葉にがっくりと肩を落とす父上を見る限りでは、仙人に纏わるそんな事情は知らなかったのだろう。
おミヤ程長く生きて居ればきっと居るだろう、という甘い見通しだったようだ。
「あー、そう言えば何代か前の猫王も昇仙したと文を貰った覚えがあるのぅ。当代の猫王に聞けば何か解るかもしれぬの」
父上の目に見えた落胆ぶりが余りにも酷かった為だろうか、おミヤはシワだらけの顔を苦笑で更にシワシワにしながら、そう付け加える様に言った。
その言葉に光明を見たかのように父上は顔を上げた。




