六百八十三 志七郎、紹介しようとし偉人伝を聞く事
「え? あれ……? 嘘? なんでゴリさんがこんな極東の島に居るのよ? 貴方、ジャングルの奥地に帰ったんじゃぁ無かったっけ?」
今日は運良く、午後から武光達がお花さんの授業を受けると言う事だったので、早速わ太郎を紹介する為に、授業に使われている庭に面した部屋へと彼等を連れて行ったのだが、彼女はゴリさんの姿を見るなりそんな言葉を口にした。
その言葉を素直に解釈すれば、ゴリさんとお花さんは顔見知りと言う事に成るのだが……さっき聞いた話では彼の前契約者は百五十年も前に亡くなったと言う話だった筈だ。
だがお花さんはゴリさんが密林の奥に帰った筈と、先程の話と全く矛盾しない事を言っている以上、勘違いとかそう言う話では無いのだろう。
と、其処まで考えて、大事な事を忘れていた事に思い至る。
ぱっと見、十代半ば位の少女にしか見えない彼女だが、その実年齢は三百歳を超える森人で、しかも御祖父様よりも年上の隠居した家臣である一朗翁の産みの母なのだ。
ゴリさんの前契約者が未だ御存命だった頃に顔を合わせた事が有っても可怪しくは無い。
「ごっほ、うほ。うほほごっほっほ(フルール、久しいな。主の葬式以来か……)」
その推測が事実だった様で、ゴリさんはお花さんの言葉に対してそんな返事を返した。
ある程度育った霊獣は、一部の例外を除いて人の言葉を話さない。
けれども彼等の大半は人の言葉を理解する事が出来る……と言うか言葉が理解出来なければその身に宿す精霊の力を、魔法使いの指示通りに使う事等出来る筈が無いのだ。
とは言え、一方通行だけの意思疎通で満足している様な者は、熟達した精霊魔法使いに成る事は無い。
契約した霊獣や精霊達と互いに絆を深め、ツーと言えばカーと返す……そんな相互理解に至った者で無ければ使えない様な技術が幾つも有るのだ。
そして世界でも最上級の魔法使いの一人であるお花さんが、そうした技術を身に着けて居ない訳が無く……もっと言ってしまえば、俺が聞き耳頭巾を使って初めて理解出来た四煌戌達の言葉を、彼女は以前から普通に理解していた節が有った。
つまり精霊魔法の深奥に至った者は、神宝の効果と然程変わらぬだけの何かが有るのだろう……多分俺が未だ習って無い範囲の技術として。
「それにしても……私との契約を断ってジャングルに帰った貴方が、また人の前に出てくるだなんて本当に何が有ったの? 私が契約している中ですら貴方以上の霊獣なんて、片手の指で足りる数しか居ないと言うのに……」
うお!? お花さんが契約している霊獣を全て知っている訳では無いが、その中でも五本の指に入ると言うのは、並大抵の事では無いぞ?
恐らくはその指の中でも一番なのは嶄龍帝 焔烙なのだろうが、ゴリさんは其れに並び立てて恥ずかしく無い格の霊獣と言う事に成るんじゃなかろうか?
「ごほ、うほ。うほほ、ごっほ、うほほ。ごっほ、ごほ(話す、長い。朝、この子、全部話した。この子、聞け)」
お花さんの言葉に衝撃を受けている俺の頭を、優しく撫でながらゴリさんは、彼女の言葉にそんな返事を返した。
……マジか、此れ後から俺が午前中に聞いた話を彼女にしなけりゃ成らん流れだよなぁ、面倒臭いが仕方ないと割り切るしか無いか。
「まぁ、深くは聞かないわ。貴方にも師匠にも散々世話に成って、今の私が居る訳だしね。近い内に一度師匠の御墓参りにでも行きましょう? あれからずっとジャングルに居たなら、御墓の場所も知らないんでしょうしね」
ゴリさんって、お花さんの師匠の契約霊獣だったのか……そりゃ生半可な霊獣じゃぁ無い訳だ。
「花殿の御師匠様……其れはさぞ偉大な精霊魔法使いなのであろうな。とあれば、この火元国にもその名が伝わっていたりするのでは無いのか? のう花殿、良ければ今日の授業はその御人に付いて教えて下され」
と、そんな事を言いだしたのは、ゴリさんとお花さんの会話を黙って聞いていた武光だった。
彼には当然、ゴリさんが何を言っているのか理解出来ていない筈だが、お花さんの言葉と朝の稽古で見せた武道家としての腕前から、ゴリさんが只者では無く其れを使役していたであろう人物も一角の者と考え、その話をねだった様だ。
「……そうね、彼は十分に偉人と言って良い人物だわ。けれども多分この火元国に彼の名は届いて居ない。というか多分彼の地元でも、彼の事を良く言う者は殆ど居ないでしょうね。彼を称えるのは精霊魔法学会の者か冒険者達だけよ」
一瞬思案するような表情を見せたお花さんは、ゴリさんとわ太郎の間に結ばれた魂の繋がりを見て取った様で、提案をした武光では無く、わ太郎の顔を見つめながらそんな言葉から話しを始めたのだった。
その名をエイブラハム・デュ・インスブルク8世、彼は南方大陸を統べる『帝国』に属する王国の一つ『インスブルク王国』の王子と言う、極めて高貴な出自を持つ男だったと言う。
しかし彼は、王侯貴族として政に携わるには向かない、極めて正義感の強い、清濁併せ呑む事の出来ない性格の男だった。
南方大陸には帝国を大陸の覇者とし続ける為に、幾つもの悪法としか思えぬ法が古来より有り、外つ国では禁じられた筈の『奴隷制度』が未だに息衝いて居るらしい。
特に帝国では人間以外の種族に対する蔑視が酷く、人間では無いと言うだけで、何の落ち度も無く法を犯した訳でも、借金の形にされた訳でも無く、彼等を奴隷にすると言う行為が罷り通って居るのだそうだ。
今でこそ『冒険者組合』に所属する者であれば、組合が守ってくれる様に成ったが、其れも組合が力を持つ様に成った此処百年位の話で、未だに人間以外の冒険者が彼の地へ行けば決して愉快では無い目に合うと言う。
そしてそうした蔑視は、精霊や霊獣にも向けられており、南方大陸では彼等は人間に奉仕する為に存在する者……と言う認識なのだそうだ。
流石に世界樹の神々が定めた『天網』に抵触する精霊や霊獣の売買までは、行われては居ないが、霊獣の子供を捕えて無理矢理契約し、術者の寿命が尽きるまで酷使すると言う様な事は当たり前に行われていたと言う。
そうした『人間至上主義』とでも言うべき物に異を唱え、解放運動を行ったのがエイブラハム・デュ・インスブルク8世だった。
奴隷とされた多くの亜人……森人や山人に魔族と呼ばれる者達や各種獣人達、そして其れ等と交流を持った事で隷属させる事に違和感を覚えた者達が賛同し、大きな戦乱と成ったと言う。
だがその戦いは解放派とでも言うべき者達が敗北し、その中心だったインスブルク王国も帝国に属する他の王国により蹂躙され、その領地は全て隣接する他国に奪われる事と相成った。
解放派の者達は多くは戦いの中で命を散らし、エイブラハム師もその戦いの中で理想に殉死するつもりだったが、多くの賛同者達が力を合わせ彼と少数の弱き者達を南方大陸の外へと逃したのだと言う。
その後、世界樹諸島を経て西方大陸へと辿り着いた彼は、冒険者に身を窶しその生活の中でも、西方大陸南部の未踏破地域の制覇や、火元国で言う特級危険指定妖怪に相当する化物を撃破したりと多くの逸話を残したのだそうだ。
そして晩年は自身の理想を次代に託す為、精霊魔法学会で教鞭を取り、お花さんと出会ったのはその頃で、彼が寿命を迎えるまで長らく親交が有ったらしい。
ちなみにゴリさんとエイブラハム師の出会いは、西方大陸南部の未踏破地域制覇の際で、大猩々と言う生き物自体が、其時初めて発見されたとの事で、この世界の生物学史にも名が残る人物だと言う。
「と言う訳で、南方大陸では彼は帝国に逆らい王国を滅ぼした愚かな統治者として名を残し、外の世界に出てからは冒険者として、精霊魔法やその他の学問の発展に貢献した人物として名を残す偉人なのよ」
彼の事を語るお花さんのキラキラと輝いた瞳は、旦那さんの事を語る時の惚気話とはまた違う、幼い頃に憧れた英雄を語る……そんな物に見えたのだった。




