六百八十二 志七郎、稽古で度肝を抜かれ来歴に慄く事
今日も今日とて、日が登る前に起きて四煌戌達の散歩を済ませたら、稽古場へと足を運ぶ。
「そーら、腹から声を出せ!」
普段使う稽古場は、屋敷の敷地の一角に有る長年の稽古で土が踏み固められた、運動場と言った感じの場所だ。
「一振り一振り丁寧に! 先ずは綺麗な形で振り下ろし、止める事を意識しろ!」
一応雨天時にも稽古が出来る様に、其処に隣接して道場も建てられては居るが、猪山藩の男達は戦場で突然の雨に振られた際に備えて……と、余程酷い雨で無ければ外の稽古場を好む者が大半である。
「打ち合いは、お前等には未だ早い。素振りをきっちり綺麗に出来る様にせよ、急がずとも良い、ゆっくり確実に丁寧に振るのだぞ」
もっとも氣を纏い建物よりも高く飛び上がり、氣翔撃や氣翔斬と言った飛ばし技を撃ち合う様な稽古は室内では出来ない、と言う理由の方が圧倒的に勝っている様にも思うが……。
「「「「「はい!」」」」」
兎角そんな訳で、家の道場は氣を纏う事の出来ない下男や女中、それから雨に濡れるのを好まない女性陣位しか使わない、有る意味で無用の長物……とまで言ってしまえば言い過ぎだが、其れに近い扱いを受けている場所だったりする。
「「「「「いーち! にーい! さーん! よー……」
だが此処に来てそんな道場が此れから暫く、長期的に活用される事と成った。
「どっせい!」
「なんの!」
「うらうらうら!」
九郎以下、従叔父上が弟子とした男児達を此処で纏めて寝泊まりさせ、稽古を付ける事に成ったのだ。
「おうおう、天下の猪山男が霊獣とは言え、大猿風情に……え? あれ? 強くね?」
当初は江戸市中に長屋でも借りて、夫婦と九郎の三人暮らしをしつつ、弟子を育てるつもりだった従叔父上だったが、孤児達を弟子として拾った事で、その思惑は完全に崩れた訳である。
「幾ら若手とは言え、三阿呆とて山越えを成し遂げた兵ぞ? 其れを三人纏めてあしらうとは……」
その後、父上との腹を割った男同士の会話(物理)の結果、弟子達はこの道場で寝泊まりし、食事は下働きの者達と一緒に食べさせる、その費用は従叔父上の俸禄から天引き……と言う事に成ったのだそうだ。
「ごほ! うっほ! うほほ! ごっほ!(脇が! 踏み込みが! 判断が! 甘い!)」
と、従叔父上が子供達に剣術の基礎教練をしている横で、家臣達の目を引いているのは、わ太郎と契約した霊獣のゴリさんが、三阿呆を相手に手合わせをしている姿だった。
「只の獣じゃぁ無ぇ。いや霊獣だから当然、只の獣じゃぁ無ぇんだが……ありゃ何らかの武術を身に着けた動きだぞ?」
ゴリさんの動きを見て、江戸に上っている中では比較的年配の家臣がボソリとそう呟いた。
其れが耳に入って良く良く見てみれば、確かに獣系妖怪特有の本能任せの動きと言うよりは、しっかりとした理性と技術を持った無駄の無い動きで三阿呆の攻撃を捌き、適度に加減したと思われる突きや蹴りを繰り出している。
ただし人とは違う骨格や関節の可動域をきっちり生かした形で作られた武術の様で、其れを人間が習得するのは難しいんじゃぁ無いかとは思う。
それでも無手の打突を得意とする者にとっては参考とすべき部分は多々有るらしく、三阿呆と子供達を除いた多くの者達が、稽古の手を止めて彼等の手合わせを固唾を呑んで見守っている。
「うほほ、ごほ!(これで、終わり!)」
それから暫くの後……三阿呆が肩で息をし始めた所で、ゴリさんは勝負を決める一撃を放った……其れは、両手と右足の人差し指と中指を揃えて振り下ろす所謂『竹篦』で三人の眉間を強かに打ち付けたのだった。
「うほほ、うほ。ごほ、ごほほ(前の主、格闘家。オレと、技作った)」
朝の稽古を一旦終え朝食を済ませた後、ゴリさんの技に興味津々な一部の無手流派の使い手達は、先ず鳥獣の言葉を理解出来る能力を持つ仁一郎兄上に通訳を依頼した。
けれども四煌戌もそうだったが、兄上に加護を与えている獣神 鹿角媛の権能は、霊獣相手には及ばないらしく、ゴリさんの言葉を理解する事は出来ず、敢え無く断られる事に成る。
俺としては神宝である聞き耳頭巾の効果を自ら喧伝する様なつもりは無かったので、そんな騒ぎは無視するつもりだったのだが……四煌戌とヒヨコに餌を与えながら、彼等と会話している所を彼等に目撃されてしまったのだ。
今思えば愛玩動物相手に飼い主が、さも会話している彼の様に話しかける事等、極めて普通の行動だろう。
にも拘らず、其処で慌ててしまったが故に、何らかの方法で俺が霊獣と会話出来るのだと、彼等にバレてしまったと言う訳である。
一応、聞き耳頭巾が神宝である事は隠し、京の都で手に入れた装身具……とは誤魔化したが、効果までは誤魔化しきれなかった。
依って仕方なく俺がゴリさんの言葉を通訳していると言う状況なのだ。
で、その話を纏めると、ゴリさんは今から百五十年程前に生きていた、精霊魔法使いにして格闘家だった男と契約していた事が有り、その当時に共に冒険する中で大猩々の為の武術とでも言うべき物を作り上げたらしい。
限られた寿命しか生きられぬ人族とは違い、霊獣は基本的に寿命と言う概念が無い、故にゴリさんは主人があの世へと旅立った後、西方大陸南部に有る故郷の密林へと帰り、只管に修行を続けて来たのだと言う。
そうして若手とは言え猪山藩士三人を手球に取る格闘大猩々が誕生した……という訳だ。
だがそうなると気になるのは、何故其れほどの実力者である彼が、たかが密猟者如きに捕われたのか? という事なのだが。
「うほほ、うほ、ごっほ。うほ……うっほ?(久し振り、旅、したく成った。後は……野生の勘?)」
単純に旅に出たく成ったから、無抵抗で態と捕まったと言う事らしい。
船がお花さんに襲撃された際、新たな主に出会えるだろう……と直感的に感じ、船から投げ出されそうに成っていた小狐を拾って、わ太郎達の居た孤児院に迷い込んだのだと言う。
そして彼は自身の勘が、幼く弱い少年達を助ける為に働いた物なのだと確信した。
出会ったばかりの何も知らない筈の少年は、第一印象で見れば凶悪凶暴な獣だと思われても仕方の無い大猩々の姿を闇夜にも近い状況で出会ったにも拘らず、恐怖の声を上げる様な事も無く、人好きのする笑みを浮かべて手を差し伸べたのだと言う。
「うほほ、うほ、ごっほ。うほ、うほほ、うほ、ごっほほ。うほ、ごほほ(砂の耳、前の主、聞いた。獣も、妖怪も、人も、全部解る耳。わ太郎、持ってた)」
しかもその少年は、神宝足る聞き耳頭巾と同じ能力を、素で持っていると言うトンデモ無い逸材だったと言う訳だ。
「うっほ、うほほ、ごっほっほ。ごほ、うほ、うっほ、うほうほ(魔法、霊獣、勝手に使えない。俺、わ太郎、教えた、簡単な魔法)」
『霊獣が勝手に魔法を使えない』と言うのは『古の契約』の中に含まれた事柄で、正しくは『霊獣は己の生存の為以外に魔法を使わない』と言う物だとお花さんに習った覚えが有る。
故に彼等は例え契約者の居ない『野良』だとしても『自衛』や『狩り』と言った、自然の営みの範疇でしか自分の判断で魔法を使えず、魔法使いと契約を結んだ後は術者の判断に従ってのみ魔法を行使するのだ。
何故そんな縛りが霊獣には課されているのか? 其れは彼等霊獣と言う存在が、一体でもその地域の生態を簡単に狂わせるだけの力を持つ『特』付きの『危険指定妖怪』と同等か其れ以上の存在だからである。
古の契約と言うのは、世界樹に神々が降り立つよりも以前に結ばれた、精霊や霊獣、そして人族や其れに類する亜人達が、互いの生活を維持する為の決まり事だ。
今では其れを結んだ『原初の魔法使い』が誰なのか、其れすらも記録にも残っていないが『古の契約』と言う縛り其の物は、世界樹の神々すらも崩す事無く維持されているのである。
しかし火元国は嶄龍帝 焔烙と言う、この世界に四体しか確認されて居ない最上位の霊獣である『龍』の一体が住みその影響か野良の霊獣や精霊は一切存在して居ない為、他の霊獣被害と言う物は無い。
が、外つ国では時折『自衛』や『狩り』の結果、暴走した霊獣に依る被害と言うのが出る事が有るそうで、其れは神々ですら制御できぬ『災害』の一つとして数えられているのだそうだ。
そしてそうした、暴走した霊獣を取り押さえる為の道具が外つ国には有り、彼等を火元国に持ち込んだ密猟者はその道具を悪用し、数多の霊獣を捕獲していたらしい。
「うほほ、ごほほほ、ごほ。うっほ、うほほうほ、ごほうっほ(とは言っても、古い獣には、効かない。暴走するのも、捕らわれるのも、若い霊獣だけ)」
胸を張ってそう言ったゴリさんのその言葉は、言外に自分にはその道具は効果が無かったと言っているのだろう。
今の段階だと間違いなく四煌戌よりもゴリさんの方が格上だぞ? ……うん、此れは出来るだけ早くお花さんと連絡を取って、わ太郎にも授業をしてもらう様に頼まないと不味いなあと、従叔父上にも忠告が必要だ。
万が一にも、彼が私利私欲で魔法を使う様な事に成ったら手が付けられない……そんな怖い未来を想像し、俺は背筋に冷たい汗が流れ落ちるのを感じたのだった。




