六百八十 志七郎、商家を訪ね決断する事
久し振りに皆でお茶をしてお土産を渡し、装備の更新の為にまだ暫くは一緒に鬼切りに出れない事を伝えた所で、今日はお開きと相成った。
秘密のお土産を渡す予定のぴんふには、後からこっそり俺の部屋を訪ねてくれる様に話は付けて有る。
当初は態々他の二人に隠す事に疑問を持っていたが、物が異世界の艶本だと歌の隙を付いて囁いた事で、得心が行った様子で彼女に気付かれぬ様に承諾してくれた。
「これはこれは志七郎様、お久しゅう御座います。態々こんなところまで御身が出向かれずとも、呼んで頂ければ直ぐに飛んでき行きましたのに……」
で、解散した後に向かったのは江戸に有る悟能屋の支店だ。
俺の顔を知っていた手代が見世先に立っていたので、中へと通してくれた上に茶と茶請けの羊羹を出し、番頭を通り越して直ぐに悟能屋の主である文右衛門が姿を表しそんな言葉を口にした。
「文右衛門が江戸に居る時に来たのは運が良かったな。此処まで足を伸ばしたのは近くに来たついでだから気にするな。とは言え何の用事も無く来た訳じゃぁ無い、この帳面を見てくれ。手持ち素材だが、多少の素材追加は織り込んでも良い、装備更新の意見をくれ」
悟能屋の本店は猪山藩に有り、亭主である文右衛門は基本そちらに居る事の方が多い。
けれども父上が参勤で江戸に居る間は、定期的にこの見世と国許の見世を行き来しているそうで、今回は仁一郎兄上と千代女義姉上の結納に絡む取引が有る為に、此方に長逗留する事に成っているのだそうだ。
「成程、ではちょいと拝見致しますよ……」
石高上は小藩に分類される我が藩では有るが、その経済力は下手な中藩を軽く超える。
そして相手と成る千代女義姉上の実家である河中嶋藩も、石高上は中藩ながらやはり経済力と言う点では大藩と並び立つ程で、実際に彼処以上の稼ぎを得る事が出来ている藩は大藩でも数少ないと言えるだろう。
そんな経済的に豊かと言える二つの藩が縁付くのだから、当然傍目から見ても十分以上に豪華な祝言の儀式を執り行わなければ、他所からは吝嗇だと陰口を叩かれる事にもなる可能性が有る。
まぁ藩によっては質素倹約を旨とし、必要以上に銭を掛けた式を執り行うのを、驕奢だと眉を潜める所も有るだろう事も容易に想像が付くので、どちらにせよ陰口は無く成る事は無いとは思うがね。
兎角、今は悟能屋は可也忙しい状況なのは間違いないだろう。
そんな所に俺の装備更新なんて仕事を捩じ込む様な真似をして、問題は無いだろうか?
「兄上の縁談の準備で忙しい状況なら、時期を改めるなり、他所の見世を紹介してもらうなりの方法でも構わない。取り敢えず今の装備はもう何とか着れる位にはぎりぎりまで身体が大きく成ってしまってるんでね」
悟能屋は猪山藩の御用商人としての面子が有る故に、藩主の子で有る俺が勝手に他所の見世に注文を出す様な事をすれば、悟能屋の面目を潰す事にも成りかねない。
けれども悟能屋がどうしても手が回らず、悟能屋が仲介して他所に仕事を振ったと言うので有れば面目は立つ、故に俺はそう言葉を付け加えたのだが……。
「何を仰います志七郎様、確かに仁一郎様の結納や祝言の準備の為に我が悟能屋は天手古舞の有様ですが、だからと言って日常の仕事を疎かにする様な真似は出来ませぬ」
表情自体は、張り付いた様な商人らしい笑顔を浮かべては居るが、その目は全く笑っていない状態で、文右衛門はそう返事をする。
「特に家は武勇に優れし猪山の御用商人、武具の扱いに掛けては火元国でも上から数えた方が早い方と自負しておりまする。抱えている職人の腕前も同様……されど縁談に絡む商いには彼等は絡みませぬ。故に武具作りの仕事ならば大歓迎でございます」
……成程、悟能屋は本来武具の仕立てが主な仕事で、其れ以外の商売は飽く迄も副業な訳か。
幾ら儲かる副業だとしても、其れが忙しいからと本業を忘れてしまえば、どんな商売でも先は長く無い。
「次は今までの様な装甲の厚い甲冑型では無く、義二郎兄上の様な動きやすさを優先した毛皮型の防具にしようかと思うんだ。で、大袖や小手は鉄大蛇の鱗か、鬼亀の甲羅を使って補強する……ってな感じで行けないか?」
そう言う事ならば安心して任せて問題無いだろう、そう考えて新しい防具の構想を相談する。
「成程、受けて止める防具では無く、身の躱し易さを優先しつつ、要所要所では装甲を利用する事も出来る……そんな防具をと言う事ですな。よござんす、なら主素材は刃牙狼の皮を油脂で煮固めた物を使い、急所や腕周りには鱗と甲羅を使いましょうか」
俺の持って来た帳面の中から必要な素材を見定めつつ、算盤を弾きながらすらすらと淀みなく製法を組み立てて行く。
その姿を見れば、悟能屋が武具の仕立てでは火元国でも上から数えた方が早いと言うのも、決して過大な大言壮語の類では無いと言うのが良く解る。
「あ、其れに加えて土蜘蛛の反物と震々の膠も有るから、前者で鎧の下に着る着物を、後者は鎧を作る際の副素材として使って欲しいんだが、行けるか? ああ、銭に糸目は付けないから職人には手当を弾んでやってくれ」
手元には八岐孔雀を倒した事で、幕府から支給された討伐報酬も有るし、安く上げる事を考えるよりは、一寸高く付いても良い物を用意したい。
「んー、志七郎様は未だ未だ成長するでしょうし、今の段階の装備に八岐孔雀の尾羽根を使うのは流石に勿体ないですね。刃牙狼の皮で作った堅い革鎧に震々の膠で斬撃耐性を付与すれば十分な防御力を得る事が出来るでしょうし、良い買い物に成るかと思いますよ」
土蜘蛛の反物を使って作る着物も、無駄に裁断せず裾を折り込んで縫い付ける事で、成長に合わせて長さを変えて行ける様に作れば、永く着る事が出来る物を作れるらしい。
鉄大蛇の鱗で小手を作り、鬼亀の甲羅で大袖や草摺と言う甲冑の腰にぶら下がる『スカート』とでも言うべき部分を作るのが良いのでは無いかと、文右衛門が提案してくれた。
素材の組み合わせ的に土蜘蛛の着物も含めて、全てきっちり身につければ『斬撃耐性』『火耐性』『水耐性』『風耐性』『土耐性』『幻惑耐性』と、耐性を大分盛れる良い武装に成るらしい。
複合属性に対する耐性を付けようと思えば、其れに対する素材が必要に成るそうなので、現状手持ちの素材から作れる物としては、此れが一番良い組み合わせだと言う。
此処は本業の判断を信頼するとして、防具に付いては此れで決定で構わないだろう。
「問題は刀の方ですね。刃牙狼の牙は未だ在庫が有る様ですし、単純に今使っている刃狼逸刀と同じ作りの物を、今までより長めに作るだけ……と言う手も有りますし、虎の子とも言える剣牙狼の牙を使って、剣牙真刀を作ると言う手も良いでしょう」
刃牙狼は大分前に仁一郎兄上と一緒に山程狩ったので、素材の在庫も十分に有る。
対して剣牙狼は仁一郎兄上が主体で倒した一体だけだったので、俺が貰えた取り分は牙一本分だけだ。
一応、十分な数の刃牙狼の牙が有れば、剣牙狼の牙は一本混ぜるだけでも剣牙真刀と言う一段上の刀を打つ事は出来るそうだが、ぶっちゃけ江戸州内で使う分には刃牙逸刀でも十分な攻撃力を確保出来るだろう。
とは言え、京の都周辺の戦場辺りだと、剣牙真刀でも力不足と成るらしいので、義二郎兄上達の様に江戸州を抜け出しての鬼切りをすると成ると、此方の方も十分選択肢に入ると言えなくも無い。
此処で問題に成るのは、剣牙狼の牙は早々簡単に手に入らない希少素材だと言う事だ。
今後、また身体が大きく成れば、再び装備の更新が必要に成るだろう。
其時に剣牙狼の牙を欲する可能性は零では無い……が、その頃にはより上位の得物を作れる獲物が手に入っている可能性も有るのだ。
「……よし! 刀は剣牙真刀を作る事にする。身体が大きく成った後でも、其れを脇差として佩くなら無駄にも成らないだろう。次の武器を作る為の素材は其時までにまた集めて置けば良いんだしな」
一口茶を啜ってから俺は決断を下し、新たな装備の発注をしたのだった。




