六十六 志七郎、大社へと詣でる事
あれから二ヶ月の時が過ぎ、日差しは完全に夏の厳しさで照りつける様になっていた。
一郎翁による指導を望んでいた俺としては、彼が逐電したと聞かされた時には大いに驚いた物だが、それを聞いた他の藩士たちは皆が口をそろえて
「一郎ならばしょうがない」
と言う一言で片付けてしまうのだから、彼の信頼性が窺い知れるというものだろう。
となれば、俺の指導は元の通り彼の息子であり猪山藩武芸指南役である、鈴木清吾が担当するのかと思えばそういう事も無く、彼は事前の取り決め通り、義二郎兄上を倒すだけの力を手にするため、単身武者修行へと旅立っていった。
それ以外にも連鎖的に色々な変化が我が家の中に起こっていた、例えば義二郎兄上が父上の護衛を務める様になり鬼斬りへと行く頻度が減り、代わりに初陣を果たした信三郎兄上が鬼斬りへと出かける様になったが、結果はなかなか芳しくはない。
我が家の食卓に置いて、義二郎兄上が仕留めてくる獣や妖怪、信三郎兄上の釣果はかなりの割合を占めていた様で、ここの所は野菜中心のメニューが目立っている。
そんな中で俺は何をしているかと言えば、毎日の早朝稽古のほかは書庫に篭って本を読んだり、偶に智香子姉上が買い物へと出かける際の荷物持ち兼護衛役をしたりしているだけだった。
多少なりとも何かをして稼ぐ事も考えたのだが、今のところは何か欲しい物がある訳でも無く、両親から貰った一両に上様から貰った二両、計三両と言う金は子供が持つには十分過ぎる大金である。
姉上と出かける時には一応、俺も何か欲しい物が有った場合に備えて、それなりの金額を持っていく様にはしているが、結局一文足りとも使っては居ないのが現状である。
たまには買い食いの一つでもすれば良いのかも知れないが、お駄賃代わりに奢られるのが常となっているので、少なくとも姉上と一緒に出かけている限りは、自分の財布を開く機会は無さそうである。
前世からの趣味の延長とも言える読書に関しても、屋敷の書庫には歴代藩主だけでなく家臣や子弟が写本した物等もかなりの量保管されており、全てを読み切るのは未だまだ先の話になりそうである。
「志七郎よ、大社様との面会の予約が取れたそうだ。午後からはワシと出かけるぞ」
そして今日も朝食後から書庫に篭って居たのだが、父上から昼食の席でそういわれた。
「大社様と面会ですか?」
俺の記憶が確かならば大社様とは、江戸中無数にある神社でも最大の『万大社』に常駐するという神様……だったはずだ。
正直な所、神様に会いに行くと言われても胡散臭いとしか思えないのだが、神の加護という物が当たり前にあり、術や魔法が存在するファンタジーな世界である、前世の様な実体の無い神様と同列に語ることは出来ないだろう。
というか『死神さん』という神には前世……と言うには微妙では有るが、とにかく出会っているのだ、前世でもきっと神様とやらは居たには居たのだろう、この世界ほど直接人々の生活には関わっていなかったが。
「そうじゃ。術神である死神の加護を得ている其方じゃが、今のところ術に目覚める兆しは無いのであろう? なればどの系統の術に才があるのか見立てて貰うのが良かろう」
父上に拠ると初祝で見た鏡は大社様の権能を簡易的にした物であり、大社様本人? 本神? はより詳細な情報を見通す能力が有るのだという。
一郎兄上や礼子姉上の様に技能と呼ばれる範疇に無い特殊な能力――異能を持つ者を見極めるのも大社様が江戸に常駐する理由の一つらしい。
一月は前に江戸へと帰ってきていたらしいが、同様に面会を求める者は少なくは無く、かち合えば家格順と成るため、ようやっと順番が回ってきたのだそうだ。
ぶっちゃけ大名家としてはほぼ最後なのだそうだ。
この間の戦いと言い猪山藩はかなり幕府に貢献し、歴史も古く相応の家格を認められても良いはずだと思うのだが、領地替えの話が出ても先祖伝来の土地に固執し、加増は地形の関係から飛び地に成らざるを得ず、飛び地は管理が面倒だと受け取って来なかった。
一万石の小大名である事を、先祖代々選択し続けてきた結果なのだ。
そしてこの火元国に置いては家禄はそのまま家格なのである。
まぁ、そんな理由もありこの時期に成ったのだそうだが、俺がどんな術を習得出来る様になるかなんて事を聞く為にわざわざ面会を予約していたと言うこと事態初耳である。
「初祝とは違い別段儀式めいた事をする訳ではない、普段通りに出かける準備をすればよい」
神様に会いに行くのに普段通りで良いと言うのは一寸気になりはしたが、父上がそう言うのであれば普段着で問題無いんだろう。
「はい、解りました」
そう素直に返事を返した。
俺と父上そしてその護衛である義二郎兄上の三人で屋敷を出た。
小なりとはいえ大名の外出だというのに、お付の者も連れずたった三人で出かけると言うのはどうなのだろうかと思ったが、よくよく見れば父上も兄上も羽織には家紋も入って居らず、それは所謂お忍び姿で有るようだった。
ああ、お忍びで出かけると言うならば、俺にも普段通りの格好で来いと言うはずである。
そんな事を一人で納得している内に屋敷街を抜け大社大路へと出る。
春先に初祝を受ける為に来た時には多くの露天が並んでいたと思うが、あれは多くの者がこの道を行くあの日独特の風景だったらしく、今日は道の広さの割に人通りも少なく閑散としている。
「随分と人が少ないですが、大社を参拝する方は居ないのでしょうか」
「大社は直接神々と対面出来る場所じゃからな、定められた日以外は予約の有る者以外その領域に入る事は許されておらぬのじゃ」
この火元国だけではなくこの世界には数多の神が居り、その神々が江戸へとやって来た際に宿とするのがこの万大社なのだという。
この万大社以外にも江戸には多くの神社があるので、日々のお参りはそちらでするらしい。
実際に神の力で現世利益を受ける事は極めて稀な事では有るが、実際に神の手による奇跡が起こる事が有るというし、神の加護を受けて生まれる子供も存在している。
また神官や巫女といった神に仕える者の中には『聖歌』と言う魔法を使う者も居るらしく、それは自分の仕える神から力を借りて行使する物なのだから、前世の様に無神論者などという者が居ようはずも無い。
「この大社だけではないぞ、火元国には至る所に神の住まう地がある。そういう場所は全て禁足地となっており、濫りに踏み入れば一族郎党に災いが有るとされておる。其方も気を付けるのじゃぞ」
当然、神と言うのは人間に対して常に都合の良い存在と言う訳ではなく、怒りを買えば厄災を振りまくそんな存在でもあるそうだ。
「まぁ、ここに御座す大社様は神々の中でも特に穏やかな気質の御方じゃ、余程の無礼を働かぬ限りは特に問題と成ることは無い、其方ならば普通にして居れば良いじゃろう」
神という存在に対して思う所が有るわけではないが、どういう風に付き合うべき存在なのか今ひとつよく解っていない。
恐れるべき存在なのか親しむべき存在なのか、無論死神さんの様にフレンドリーで親しみやすい神様も居るだろう、だが話で聞いたような荒ぶる神もまた存在しているのだ。
無論、神様もそれぞれ個性があり、十把一絡げに決め付ける物でも無いだろう。
父上の言う通り、江戸という多くの人が住む場所に常駐している神である、そうそう厄災をばら撒く様なタイプでは無いだろう。
そう思いながら顔を上げると、既に鳥居を潜り抜け白木で建てられた綺麗な御社の前に俺達は立っていた。
父上は俺の手を引いたまま、賽銭箱に銭を投げ込みそれからガラガラと鈴を鳴らした。
「あー、ちょ、一寸、ウエイトザンス! ウェルカムの準備が未だザンス!」
荘厳な威厳有る存在を期待したのだが……コレがこの世界の神様なのか。




