六百七十三 志七郎、瓦版を深く読み動物達と戯れる事
江戸州に入ったとは言っても、子供の足に合わせて歩いて居ては日の有る内に市街地まで辿り着く事は出来ないと判断し、少し早目では有るが街道沿いの旅籠で一泊。
子供達は水浴び程度はしていた様だが、温かい風呂に入るのは本当に久しぶりの事だったらしく随分と燥ぎ、晩飯も俺の目から見れば普通の料理でも、碌な物を食わせて貰って居なかった今までと比べ凄い御馳走だと悦び、体力を使い果たした様なので早々に眠らせた。
「うむ、この鰤大根やはり酒に合う!」
「確かに! これだけで幾らでも酒が呑めるわ」
「いろはにほへとちりぬるを……此れをお手本に書き写して練習よ」
「はい、義母様」
ある程度体力に余裕の有った者達は未だ起きているが、従叔父上と桂殿は晩飯の残りを肴に酒を呑み、お豊さんは読み書き算盤が出来ない九郎に其れ等を教えている。
んで俺が何をしているのかと言えば、昼間従叔父上が買った瓦版と、この旅籠に有った割と近い時期の他の瓦版の読み比べをしていた。
江戸に瓦版を発行している見世は数え切れない程多く有り、物に依ってはガセや飛ばしデマ誤報は当たり前で、あからさまに後ろ盾に成っている藩の意向を受けて書かれているとしか思えない物なんかも腐る程ある。
故に一枚だけを見て物事を判断するのでは無く、同時期に書かれた物を数種類見比べて見なければ事実は見えて来ないのだ。
其れを念頭に置いて記事を読んで見れば、どうやら従叔父上が買った物は猪山藩とは余り仲の良くない藩が後ろ盾に成っている物らしく、書かれている内容は猪山藩の事と断定出来ない様な書き方には成っている物の、割と批判的な物言いで書かれている様に見える。
例えば一番の見出しに成っている『お孫様の悪奉行退治の件』は他紙では『大手柄』とか『大活躍』なんて言葉が踊っているのに対して、其れは『将軍家と預かり先の名を借りた専横』とか『虎の威を借りた独断専行』等と否定的な文言が記されて居る。
他にも『とある藩の姫が稚児を屋敷に囲い込んだ件』と言う見出しでは、他紙だと病に倒れた母子を助けた姫と、その恩返しに丁稚奉公する子供……と言う感じの美談風に書かれているのが、其れだと幼子を連れ込んで如何わしい事をしている風に書き立てられてた。
他紙と合わせて読む事でどうやって母子を助けたとか、『練玉姫』と言う二つ名を持つ姫なんて情報も拾えて、結果として智香子姉上が少年を丁稚兼弟子にしたと言う事が読み取れるが……其れはどう考えても悪意を込めた噂話だ。
更には『とある藩の御子息が四人の妾を無事孕ませた件』に至っては、『女鬼の妾四人』と特定して下さいと言わんばかりの合言葉がはっきり書かれており、しかも表現的にも『慶事』というよりは『お盛んなのね猿なのね』と言う感じである。
いや……まぁ、ギシアン煩いと言う理由で態々別棟の離れを建てて与える位だから、全く言い訳出来ない事実では有るが、其れは飽く迄も身内からの意見で、他所様から言われる筋合いの物では無いだろう。
その他にも幾つか小さな時事ネタとでも言う様な記事も書かれているのだが、兎にも角にも妙に攻撃的な文章が連なっているのは、そう言う作風だと割り切るしか無いんだろうな。
と、そうして読み比べた結果、間違いなく事実と言えるだろう事が幾つか解った。
先ずは武光が汚職に手を染めていた幕臣を何人か討ち果たして居ると言う事だ。
孤児院の予算を横領していた奉行補佐、女掏摸を見逃す代わりに身体を要求していた同心、阿漕な金利で金を貸し付け力尽くの取立で女子供を売っていた金貸しと其の企みに加担していた与力……と、最低でもその三件が表沙汰に成っているらしい。
更には武光が直接成敗したのがその三人が確定というだけで、其れに前後してもう二人が自身の悪事を恥じて腹を切ったのも、裏で彼が動いた成果なのでは無いか? と言う様な噂も有るようで、其れ等総じて『暴れん坊お孫様』なんて二つ名が付いた様だ。
次に智香子姉上が弟子兼丁稚の少年を自分の離れに住まわせている……と言うのも概ね事実らしい、ただまぁ少年は未だ『如何わしい事』が出来る様な年齢では無い様で、普通に小間使として働いていると言う事だろう。
時折、彼女がその少年を連れて低難易度の戦場で、霊薬の素材を採集している姿の目撃談も有るらしく、一部の穿った見方をしている瓦版以外は普通に錬玉術の弟子として教育しているらしいと書いていた。
そして最後に信三郎兄上だが……人と女鬼の間には子供が出来辛い、と言う話が有るにも拘らず、四人が殆ど同時期に妊娠発覚している事から、夜中に相当発するしたのでは? と言う憶測記事なのだが。
此れに関しては、ぶっちゃけ言い訳出来ない事実なんじゃぁ無いかなぁ……と思う。
寧ろ問題は、四人全員孕ませるだけの性欲を今どうしているのか? と言う事では無かろうか?
旦那の浮気は女房が妊娠して夜の相手が出来なく成る時期に始まる案件が多い……と言うのは前世の世界で言われていた話だが、多分此方の世界でもその辺の事情は然程変わらないだろう。
浮気の定義は割と人其々で、二人で会って食事する程度でも浮気と見做す者も居れば、接吻で有罪とか、致さなけれ無問題と言う人も居る。
此方の世界でどの辺まで行くと浮気と見做すのが一般的なのかは解らないが『(酒を)呑む(博打を)打つ(女を)買う』は男の甲斐性と言う言葉通り、岡場所や遊郭での遊びで有れば問題無い……と言う女性も居るなんて話も聞いた覚えが有った。
ちなみに家の母上の場合、特定の遊女に入れ揚げる様な事をせず、付き合い程度に遊郭で遊ぶのは(ギリギリで)容認出来る範囲らしい。
信三郎兄上の愛妾さん達はどの辺から許容外なのかは解らないが、変な遊女にのめり込んで修羅場ってるとか成ってなきゃ良いけれど……。
「……ふぁぁぁ」
と、瓦版の読み比べをしていると、思わず欠伸が出た……うん、そろそろ寝ようかな、また妙な騒動に巻き込まれさえしなければ、明日の午後には屋敷に付けるだろうしな。
そんな事を思い、俺は布団の敷かれた隣の部屋へと足を向けるのだった。
「おお! 今日も大江戸は日本晴れ! 皆の者、今日中に江戸市街に入り、猪山藩屋敷へと辿り着くからな! 遅れず頑張って歩くのだぞ!」
翌朝は雲一つ無い綺麗な晴れで、従叔父上の言う通りの日本晴れだ。
問題はそろそろ暑く成ってくる季節だし、子供達……特に栄養状態の良くない孤児院組の男子達が、脱水症状や熱中症を起こさない様に注意してやらないとな。
「うほ、うほほ、ごっほ(歩く、疲れる、オレ運ぶ)」
子供達に対してそうした気遣いをしているのは俺だけではなく、ゴリさんもそんな事を言ってるが、聞き耳頭巾を被った俺は兎も角、他の子供達には伝わっているのだろうか?
「ちゅん、ぴかぴっぴ。ぴよぴよぴー(頑張れ、皆で頑張れー。私は御姉様の頭の上だけどねー)」
そんなゴリさんの気遣いの言葉に反応したヒヨコだが……此れは躾案件かな?
「ばう! わわん、わん(こら! 楽してるのは、自慢に成らないよ)」
おっと? 俺がどうこう言う前に、紅牙が注意の声を上げたぞ。うん、良いお姉ちゃんしてるなー。
「きゅうん……こんここん(私も……自分で歩けるのに)」
そんな彼女等の会話を聞いてか、わ太郎の腕の中に抱かれた小狐がそんな声を上げた。
んー、此れはわ太郎に伝えた方が良いのか? んでも身を捩ったり暴れたりとか、抜け出そうとする素振りは無いんだよな。
四煌戌だって名前を付けた後でも、小さな頃は俺の言葉に従わず暴れたり遊んだりする事も有ったし、あの子狐は四煌戌達より賢いのかな?
「お豊、九郎、志七郎様、忘れ物は無いな? んじゃ、そろそろ出発すっか!」
従叔父上が口にした確認の言葉を、しっかり頷き肯定すると、そのまま号令が掛かる。
「「「「「「おー!」」」」」」
それに子供達は元気な声で拳を突き上げ応じるのだった。




