六百六十八 志七郎、腐敗を知り人情に向かう事
従叔父上の説得に頭を垂れた少年は『わ太郎』と其の名を名乗ると、仲間が潜伏している場所へと案内する道すがら、彼等の置かれた状況を説明してくれた。
彼を含めた仲間は十人程の子供達で、皆同じ孤児院で兄弟の様に育った間柄の者達だと言う。
碌な後ろ盾の無い孤児の出だとしても、江戸では常に様々な仕事が溢れており、男衆が一人前に育ったならば、独立し生きて行く事は然程難しい話では無い。
中には身一つから鬼切で大枚を稼ぎ出し、其の武勇を讃えられて武家として何処かの藩に召し抱えられる……なんて立身出世話だって皆無では無いのが、此の火元国なのだ。
だが其れが、腕力で劣る女児と成ると話が大きく変わってくる、後ろ盾として身の保証をしてくれる者が居なければ、武家は勿論商家でも下女として奉公する事は出来ず、手に職が無ければ安い銭で春を鬻ぐ事でしか生きられないなんて者も珍しくは無い。
とは言え、江戸に有る多くの孤児院は、開幕当初に家安公自身が設立した物であり、現在でも幕府から少なくない予算が割かれ、其処で育つ子供達には武士程では無いにせよ、其々の資質に合わせた教育が行われている。
女児で有っても読み書き算盤に料理が出来れば、仕事の斡旋は難しくとも嫁の貰い手は幾らでも有る、基本江戸は男余りで嫁不足が深刻なのだ。
にも拘らず、彼等がその孤児院を卒院年齢である十四歳まで其処に居らず、こんな場所で潜伏しているのは何故なのか?
其れは彼等が居た孤児院が本来有るべき運営状況では無かったからだと言う。
具体的に言うならば、見目の良い女児は十に成らぬ内に吉原へと出荷され、吉原で買い手の付かぬ程度の器量しか持たぬ娘は人市を通して各地の岡場所等へと売り払われて居たのだそうだ。
江戸の孤児院は基本的に養育している子供の数に拘らず、一定の額面が支給されている為、中にはその費用で賄い切れない程の子供を抱え、結果として泣く泣く其の様な方法で子供の数を減らす……そんな選択が取られる事も有るらしい。
が、彼等の居た場所は、決して養い切れぬ程多くの子供を抱えていた訳でも無いのにも拘らず、そうした出荷が常態化して居たのだそうだ。
女児を減らす事で経費を減らした上に売り払った銭も入るならば、残された男児はさぞ良い境遇で育てられる……なんて甘い話は無く、男児達には餓死しないギリギリ程度の食事しか与えられず、教育もおざなりな物だったと言う。
稀な例では有るが男児でも見目の良い者の場合には、其の者にだけはきっちり食事を与え、教育についても特別待遇で施される事も有ったらしい……しかしそうした者は、無事孤児院で元服を迎え独立するのでは無く、陰間茶屋なんかに売り払われていたそうだ。
……そんな聞けば聞く程に胸糞悪く成るわ太郎とその仲間の境遇を変えたのが、今彼に付き従う二体の霊獣だと言う。
捕われ船に乗せられて、元々住んでいた場所から大きく離れた此の火元国へと運ばれた彼等は、接岸するなり船が何者かの襲撃を受け、其れを好機と見て脱出したのだそうだ。
そして精霊魔法の才を持って居たわ太郎と偶然出会い、彼は霊獣達の力を借りて、共に暮らして居た孤児達の中でも特に仲の良かった者達を連れて、何時売り払われるかも解らない、そんな孤児院を逃げ出したらしい。
「で、ゴリさんに教えて貰いながら、何とか俺達だけで暮らす方法を探して、山ん中じゃぁ手に入らない物を手に入れる為に、出来るだけ人を傷付けない方法で盗みをする様になったんだ……」
ゴリさんと言うのは、まぁ大猩々の名前なのだろう。
聞けばゴリさんは以前、他の魔法使いに仕えていた事も有ったらしく、言葉こそ喋れない物の保護者として、子供達に人らしい生活をさせる為に尽力していたらしい。
とは言え、やはり人里に降りねば手に入らない生活物資は幾らでも有り、其れ等を手に入れる為に、昏酔強盗紛いの盗みに手を染めたのだと言う。
「ごっほ、うほほ、うほ、ごほほ、うほ、うっほ(盗み、良くない、知ってる、でも子供、もっと、大事)」
……本当に件の孤児院の責任者には、人間に騙され捕われ連れて来られたのに、其れでも人の子供を慈しむ様な目で見下ろすゴリさんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいな。
そんな事を思いながら俺達は、山間の川沿いに空いた洞穴の前へとやって来たのだった。
洞穴の中に居た子供達は、男児は皆痩せ細りガリガリの身体で、女児は歳相応の食事を与えられていたらしく、比較的健康そうに見えた。
を太郎、か太郎、よ太郎、た太郎、お優、お鶴、お光、お奏、お春。
男児の名前は恐らくは『いろは順』に太郎を付けると言う極めて適当な物なのに対して、女児は其れなりの名付けがされている辺り、本当に酷い孤児院だった事は想像に難くない。
「俺もキツい暮らしをしてたと思ってたけど、未だマシだったんだな……」
彼等の姿を見た瞬間、九郎がボソリと小さく呟いた言葉は、幸い彼等には聞こえなかった様だが……口減らしに高難易度の戦場へ放り込まれた者からしても、そう見える程に彼等の姿は凄惨だった。
「……先ずは飯の支度をしてあげないと駄目ね。米と乾燥野菜は確か未だ有った筈よね? 志七郎様、申し訳無いんだけれども、ワンちゃん達の鼻で一寸鹿か猪でも探して来てくれないかしら? 粥を作るにしても肉類を多少は入れてあげたいわ」
溜息を一つ吐き、お豊さんが俺に頭を下げて、そんな事を頼んで来た。
「いや、そんな事なら態々頭を下げて頼ま無くても行ってきますよ。こんなの見て見捨てられる程、薄情に成れる様な人間じゃぁ無いですから……」
当然其れに否を唱えるつもりは無い、此処等は戦場と言う程危険な場所では無い様だが、少し山に分け入れば動物なり妖怪なり、何か食える物は狩れるだろう。
「取り敢えず一旦ワン公から荷物下ろして、俺と志七郎様とでひとっ走り狩って来らぁな。見た所、野郎共はいきなりガッツリした物食わせるのもヤバそうだし、鹿や猪よりは蛙か蛇辺りのあっさりした肉の方が良さそうだわな」
打てば響くでは無いが、お豊がそう言い出す事を見越して居たらしい従叔父上は、俺が返事をするよりも早く四煌戌の鞍に括り付けられた荷物を下ろし始めながら、そんな言葉を口にする。
「なれば蛙よりは蛇を狙う方が良いだろうな。確か此の川の上流には鉄大蛇の群生地が有った筈……有れの肉は産後病後の滋養強壮に良いと昔から言われておるし、鱗を集めれば小奴等が初陣を飾る為に良い鎧を仕立てる事も出来るだろうて」
そして流石は鬼切奉行所に勤めているだけ有って、江戸州内だけで無く近隣地域の鬼や妖怪の分布にも詳しいらしい桂殿が更に意見を出す。
「鉄大蛇の鱗と言えば……前に俺が着ていた奴の素材が其れでしたね。大名家の子が纏うには丁度良い物なんでしょうが、町人階級の者が着てると悪目立ちしませんか?」
鬼切の武具は自分で素材を集めて拵える物だとされているが、初陣の際に身に纏う『最初の装備』は身内が用意するのが通例だ。
だが其れとて余りにも実力や後ろ盾の格に見合わぬ装備を用意すると、其れを力尽くで奪おうとする馬鹿が出ないとも限らない。
「んなもん、見合うだけの格が身に付く様に俺が鍛えてやらぁ! 九郎も末っ子だって話だしな、弟弟子の面倒見るのも良い経験だろうよ。九郎、俺達が戻ってくるまで他の子供共守ってろや!」
……今まで弟子を取らず、九郎を弟子とする事が原因で猪山藩を出ざるを得なく成ったのに、此処に来て此の子供達を皆弟子にするつもりなのか?
義理と人情どっちが重いかは人其々だが……従叔父上はどうやら人情が重い性質の人なのだろう。
いや弱い者を見捨てる事が出来ない人なのか? んで、猪山には弱い者が居なかったから、今まで其の性質が露見しなかった……とか?
どちらにせよ俺の中にも此の子供達を見捨てて帰ると言う選択肢は無いのだから、取り敢えずは今夜の晩飯を取りに行くとしよう……そう考え、俺は空に成った四煌戌の鞍へと飛び乗るのだった。




