六十四 志七郎、不満を飲み込み、期待に胸膨らませる事
「その通りじゃ。憶測を元に推測を重ねた、恐らく事実とは程遠い内容じゃろう。じゃがそれが幕府としての公式見解となる」
俺の言葉に父上は落ち着き払った様子でそう言葉を返し、一旦言葉を切り掌を顔の前へと掲げ改めて口を開く。
「大社様の居らぬ隙を突いた屍繰りの出現、しかもそれは人為的な物」
1つ2つと数えるように指を折りながらそう続ける。
「援軍を止め立てする様な虚報、それと時を同じくしての惨殺」
3つ4つ、
「虚報を城に届けた伝令の者も件の屋敷で死した故、その真実は闇の中となった。一つ二つならば偶然も有ろうが、これほど重なれば最早何者かの陰謀としか思えぬ」
そして最後の指を折り握りしめた拳は力が入る余りか細かく震えていた。
「じゃが、その陰謀が幕府を標的としたのか、我が猪山を標的としたのか判別つかぬのが現状。故に上様は解りやすい落とし所で事態の幕引きとし、手の者を使い密かに調べを進めるとのことじゃ」
小さくため息を付き一度目を閉じ、改めて広間に居る家族そして家臣たちを見渡し、そして口を開く。
「どちらにせよ尋常成らざる手管を用いる者が、その陰で蠢いている事は間違い無い。我が藩も上様に協力する事は勿論、妙な手練手管を用いる者と敵対したと心得、何時如何なる時にも決して油断する事無きように」
「「はっ!」」「「御意!」」「「無論」」
静かながら力の篭ったその言葉に、皆が食事の手を止め口々に応を返す。
「なお、この度の一件に着いてはハズレを引かされた他藩の手前、大々的に手柄を誇る様な真似せず、報奨を求める様な事もせぬ。上様のご厚意で経費については精算して頂ける事にはなった故、智香子は使った霊薬の詳細を提出する様にの」
「はーい、なの」
そのやり取りを以てこの話は終わりと言う事らしく、父上も含め皆が再び食事に取り掛かった。
正直な所、今の話を聞いても俺は色々と納得の行かない事がある。
惨殺が有ったという屋敷は昨夜の内に調べられたらしいが、照明といえば提灯やらロウソクの様なものしか無いというのに、それでどうしてまともな捜査が出来ようか。
当主一人だけが自殺だという話だったが、それだって詳しく検死が行われた結果の話では無いだろう。
だが政権を担う幕府と上様が、世論を気にして幕引きを図りたいと思う気持ちも理解出来ない訳ではない。
昨夜は上様の指示で町人のほとんどが避難なり防衛準備の手伝いなりをしていたのだ、江戸に危機が迫っていた事自体を隠すことは不可能である。
その状況が『何者かの謀の結果でありその首謀者も目的も不明である』等と言う事が公になれば、幕府や上様への批判の声は多かれ少なかれ出る事に成るだろう。
ここが前世の様な民主主義国家ならばそれは当たり前の事であるが、幕府や将軍という唯一の権威を頂く政治体系である以上、それに対する強い反感は政情不安へと繋がりかねない。
独裁政権下のそれほど苛烈では無いにせよ、余計なトラブルの火種を撒く様な事は避けたいだろう。
俺が捜査に関して何らかの権限なりを持つならば兎も角、所詮は数えで五つの小僧なのだ。
例え俺がしたり顔で捜査に口を挟む様な真似をしても、前世の記憶を持つ事を知る家族は藩士ならばまだ、話を聞いて貰えるやも知れないが、そうでなければ子供の戯言で済まされるか、悪くすれば邪魔をする無礼者と言う事にも成り兼ねない。
前世でだって管轄外の事件故に手を出すことが出来なかった、そんな事なんてざらに有ったのだ、むしろ自分の所属的にはこの手の事件に関わる事の方が少なかった。
なのになぜもこんなに腑に落ちないのだろう。
それはきっと自分のやるべき事がはっきりと解らないからかも知れない。
そんな事を考えながら食べる朝食はろくに味も感じられなかった。
あれだけの戦いをした昨日の今日である、参戦した者達は皆今日一日休養日とされており、普段ならば忙しく立ち回っている藩士たちも皆、思い思いに一日を過ごす様だ。
「ボウズ、ちょいと面を貸しな」
取り敢えず書庫で適当な物でも読もうかと思い席を立つと、そんな言葉で呼び止められた。
仮にも藩主の子である俺を、ボウズ等と呼ぶのは一郎翁の他には居ない、振り返って見れば案の定である。
「何か御用でしょうか?」
彼は既に家督も御役目も息子に譲った楽隠居の身分で有るが、その類まれな功績と経験から父上の相談役とでも言うべき扱いを受けている。
それ故かそれとも本人の性格に拠るものなのか、一郎翁は俺達兄弟に対して決して丁寧とは言えない物言いをするが、誰一人としてそれを咎める者は居ない。
袂から手をだす事もなく、俺の問いかけにも答えることも無く、俺を見下ろし無言でニヤリと笑った様なその瞬間だった。
脳天から真っ二つにされるような鋭い寒気が襲いかかってくる。
それが何なのかは解らないが、このままでは危ない気がした。
それに対してどう手を打つか……。
「痛!」
「遅せぇよ。俺が敵ならテメェ真っ二つだぜ」
考え答えを出すよりも早く、一郎翁の手刀が俺の頭を打った。
「たくよぉ、ついさっき油断すんなって言われたばっかだろうが……」
苦笑半分呆れ半分と言った口調でそんな事を言われたが、流石に今の不意打ちは唐突過ぎやしないだろうか?
そんな俺の不満は例の如く顔に出ていたのだろう、俺が口を開くよりも早く。
「良いか、人間の戦い方にゃ大きく別けて二種類ある。俺や義二郎の様に野生に任せて感じるままに戦う奴。家の馬鹿息子の様に理性で考えて戦う奴、お前は後者だ」
曰く、野生型ならば最初に感じた寒気すなわち殺気を感じた時点で、身体が命じるがままに回避なり防御なり反撃なり、何らかの対応を本能的に取ることが出来、理性型はそれに対する反応、行動を考えてから行動するので防御という面では劣るのが普通なのだそうだ。
だからと言って野生型が絶対的に強いと言う訳ではなく、優れた理性型が先手を取ったならば、まるで詰将棋の如く数手、数十手先まで考えられた攻めにより、反応できても避けられぬ攻撃に成るのだという。
それを判別する為の一撃だった、と言うのが一郎翁の弁である。
「昨日の戦いを見た限りじゃ、どっちかはっきりしなかったんでな。まぁ霊光が見えてんだ、術者の素質も有んだろ。となりゃ順当な所だ」
考えてみれば、一郎翁が国元から呼び寄せられたのは俺に対し武芸を指導する為だ。
となれば、指導方針を定める為にも俺がどちらのタイプなのか把握する事は必要な事だろう。
事前に聞いていたスパルタ的な訓練も、それを受けていれば色々と余計な事を考え無くて済みそうだ。
自分でやる事を考えるには、まだまだこの世界を知らなすぎるが、やるべき事を指し示して貰えるのであれば、それに対して全力で取り組むだけで良い。
一郎翁のそれがどれ程の物なのかは実際に経験してないので慣れているとまでは言い難いが、キツイ苦しいは前世でそれなり経験している、そしてそういう辛い事が後々まで力となり、若い頃に苦しみを避けた分だけ後悔する事も、経験として知っている。
俺には決して強く成りたいと言う欲求がある訳では無い、無論前世に比べて随分と物騒な世界だ、強いに越した事は無いだろう。
護る為の戦いと言うのは、決して負けてはいけない戦いの事だ、と言われた記憶が有る。
そして殺さずに倒すと言うのはただ殺す事よりも数段難しい、と言うのが武道の世界での定説だったはずだ。
別にこの世界で不殺を気取るつもりは無いが、好き好んで殺すようには成りたくない。
ならば、少しでも強く成るべきだろう。
「あー、やる気満々なのは面みりゃ解るがよ。流石に昨日の今日だ、俺だって休みてぇんだわ」
そう言う一郎翁の表情は今度こそ100%の苦笑いだった。




