六百五十七 志七郎、組打ちで勝ち己の技を考える事
丁寧に纏められた左を身体を振って掻い潜り、伸び切った一瞬を着いてソレを首と肩で挟み取り、腕を絡め脚を払い、身体を入れ替える様にして、体重を掛け押し潰す。
「ちっ! 糞! この位……」
氣を含めた身体能力で押し切るのでは無く、純粋に前世の人生で習い覚えた技術に依る制圧……此方の世界に生まれ変わってからも、一応朝稽古なんかで錆び付かない程度には鍛えていたが、こうして完全に初見の相手と勝負の場で使うのは初めてだ。
前世の競技としての拳闘とは違い、此方の世界の撲震無刀流は実戦武術、他流派との対外試合は勿論、鬼や妖怪を相手取る事も想定された物である。
けれども幾つもの道場が近隣に存在する様な大藩の藩都や江戸とは違い、此処等辺りには他の道場は無いそうで、早々他流試合なんて事は出来ないらしい。
田舎の道場と言うのは、地元民の社交場であり、学問の場でも有り、武芸習熟の場でも有る。
特にこの火元国では、男は戦場に出て初めて一人前、農夫で有っても鬼や妖怪から田畑を守る為に、戦う術を持たない者はほぼ居ないと言って良い。
故に土地に根付く事の出来た道場と言うのは月謝は勿論、周辺で発生した鬼や妖怪の情報を得てソレを誰よりも先に狩る事が出来たり……と、役得とでも言える物は決して少なく無いそうだ。
当然そうした縄張りを奪う為に、他流派の道場が進出してきたりする事も有るらしいが、普通は同系統の武具を扱う道場同士で無ければ多少縄張りが被った所で、お互いに共存共栄を図る物らしい。
にも拘らず、此処等一帯に他流派の道場が一切無いのは、伯父貴が力尽くで排除したから……と言う訳では無い。
彼の師匠で有り先代の道場主だった人物の兄が夭逝した結果、期せずして藩主の座が転がり込んで来てしまい、結果として藩主の庇護を受ける道場と言う位置付けを得てしまったのだ。
この道場自体は、現在此の土地の藩主である先代道場主が、江戸の道場で学んだ撲震無刀流を領地に広める目的で建てた物で、此の道場を通して兄が治める領民達の武力を底上げする狙いが有ったのだと言う。
結果的には伯父貴が道場を引き継ぎ、その目的は果たせている形では有るが、その代わりでは無いが若い門下生の対外試合の機会が激減している……と言うのが現状なのだそうだ。
流石に城には家臣を対象とした剣術の道場は有るが、其処に通うのは皆武士で、町人階級の弟子が殆どを占める此の道場との交流は殆ど無い。
まぁ武士面子は治安に直結する以上、勝って当たり前、負けたら恥と言うだけの試合等、藩主としても早々認める訳にも行かない……と言う様な事情が有りそうなのは何となく理解出来る。
武士だろうがソレ以外だろうが、無関係に武を競うのが当たり前な猪山藩が、色んな意味で例外なのだ。
「おらな、完全に極まった関節技ってのは、力尽くで外そうとしても無理なんだよ。極められる前に殴り倒せなけりゃ、お前の負けって訳だ」
実際、今俺が相手をして組み伏せた宮太郎も、鬼や妖怪は既に数え切れない程に殴り倒した、新人の星とでも言うべき猛者では有るが、組技を使う者を相手取った事は無いらしく、割と簡単に組み伏せる事が出来た。
「痛っ! 参った」
柔道の脇固めにも近い形で、肘と肩と手首の三点を極められても、暫く足掻いていた宮太郎だったが、流石に外せないと解ったらしく、悔しそうな声を上げる。
「次! 竿彦、お前ぇも志七郎に相手して貰え、此奴ぁお前ぇより年若い子供でも強ぇぞ。自慢の腕力でも上手な組技師にゃぁ通用しねぇ事も有るって体感しとけ」
で、俺は休み無く次は強打者な竿彦の相手をしなければ成らない……と、しかも微妙に柵を上げられたぞ。
「はい! 胸をお借りします!」
宮太郎が輪を下りると、拳闘手袋を打ち合わせながら竿彦がそう言いながら輪の中へと上がって来た。
こうした交流戦の様な物を想定しているのか、道場には指出し手袋も用意されており、俺もソレを打ち合わて彼を迎え討つのだった。
「おう、お疲れさん! 江戸や浅雀の藩都だと柔の道場が幾つも有るから、遠征すりゃ組技師との試合も出来なくは無ぇんだが、生業を放置して長々と遠征するってな訳にも行かねぇからなぁ」
あれから暫く、道場の若手連中を相手に練習試合をし、そろそろ体力が切れて来た頃、伯父貴がそう言って俺を輪から下りる様に促した。
「ほれ志七郎、此れでも飲んで一息入れろ。つか、無手でも思った以上にやれるじゃねぇか。ただ有りゃ完全に対人用の武術で、鬼は兎も角妖怪の類相手にゃぁ使い辛いやな」
手ぬぐいを受け取り滴り落ちる汗を拭いながら、輪の中から下へと下りると御祖父様がそう言いながら瓢箪を一つ投げて渡して来た。
……中身はよく冷えた運動飲料っぽい飲み物だな、激しい運動で熱を持った身体に染み込む様だ。
「元々俺の体術は、犯罪者を取り押さえる為の捕縛術ですからね。必要以上に相手を傷付けない事を前提に組み上げられた技ですから、化け物の類を相手にするには心許ないのは仕様が無いでしょう」
一応、前世に俺が学んだ逮捕術にも突きや蹴りは有ったが、打撃は被疑者に必要以上の被害を与え兼ねないが故に、可能な限り使わない様に指導されて来た。
それでも必要ならば其れ等を使う事を厭うつもりは無いのだが……何となく刀を使った時よりも素手で殴ったり蹴ったりする事に抵抗感が有るのは、やはり慣れの差なのだろう。
試合とか稽古とかでやり合う時には、余り抵抗を感じないのは、ソレをする事を前提に行動している時だからなのか?
「んー、かとっいって今から撲震無刀流を叩き込む……ってのも折角出来上がってる形を駄目にしちまって勿体無いやぁなぁ。裸の里で修行して来たんなら、素手はもう氣功術でどうにかしちまう形で良いんじゃぁ無ぇですかい?」
俺の体術に対して伯父貴の評価は割と好意的と呼べる様な物で、今の動きを壊してまで新たな技術技法を押し込むべきとは思わないらしい。
「んー、確かにのぅ。無手でも思っていた以上の練度は有るようだからのぅ。あの竿彦とか言う小僧をぶん投げる事が出来るだけの技量を崩す必要は無いわの。化け物を相手に得物を失ったら素直に脱いで裸王轟衝破を撃ちゃ良いわな」
伯父貴の言葉にそう返す御祖父様……その言葉の通り、対人ならば素直に逮捕術を用いれば良いし、化け物が相手ならば刀と銃と魔法を使えば良い。
そして万が一其れ等が使えない状況に成る、そんな時の為に裸身氣昂法を学んだのだし、其処まで行ったならば恥も外聞も気にせず、素直に脱いで氣砲をブッ放すべきだろう。
閉所で逮捕術で対応出来ない化け物相手ならば裸身丸を叩き付ければ、多分なんとか成る気がもする。
数が多い状況ならば、裸漢光殺法で纏めて貫くと言う方向でも良いだろう。
最悪其れ等氣砲の類が使えない状況でも、爆氣功を纏って超強化した身体能力で打ん殴ると言う選択肢だって有る。
もっと鍛錬を重ねれば、爆氣功を纏った状態で『火炎付与』の様な付与魔法を拳に乗せてはっ倒すと言う手だって有る筈だ。
……と言うか、俺って選択肢が多すぎて、逆に何を選ぶかを考える時間が無駄に多くなり過ぎるのが弱点なんじゃぁ無いだろうか?
折角、家庭用電子演算器が有るんだし、江戸に帰ったら一度自分に何が出来るのか全て文書に纏めて、其れ等に優先順位を割り振って見るのも良い気がする。
「さて、志七郎。そろそろ息も整った様だし、もう一本やるか。今度は俺が相手しちゃるから、簡単に行くたぁ思うなよ?」
いつの間にか、拳闘手袋を付けていた伯父貴が輪の上へと登りながら、俺を誘う様に手招きする。
「押忍! 胸をお借りします!」
俺はそう返事を返すと、即座に輪の中へと駆け上がるのだった。




