六百四十八 志七郎、文通事情を考え過去と未来を思う事
「と、言う訳で明日の朝には此処を発つ事に成る。再び顔を会わせるのは何時に成るかは解らないけれど……手紙は小忠実に送る様にするよ」
お連に旅立ちを伝える為、鈴木道場へと来た俺は、彼女が用意してくれた茶と茶請けに出された塩豆大福を頂きながら、そう言葉を投げかけた。
此の火元国の郵便事情は、前世の世界に比べて決して良いとは言えない。
一応、郵便局の前身とでも言うべき『飛脚問屋』と呼ばれる商家が有り、遠国までも手紙を送る事が全く出来ないと言う訳では無い。
だが、その費用は『葉書一枚全国一律五十二円』だった事に比べれば圧倒的に高い、それに着日も離島以外ならば数日中に届く……なんて事も無く、天候や天災、鬼や妖怪の害等により延着に不着、更には紛失までもがザラに有る事だと言う。
また民間の飛脚問屋の他にも、御公儀の用件を火元国中に届ける『継飛脚』や、諸藩の大名が参勤で江戸に居る間、国許との連絡を取る為に用いる『大名飛脚』と呼ばれる者達も居るが、彼等は飽く迄も幕府や藩の用事の為だけにしか走らない。
俺が個人的に彼女へ手紙を送るならば、そうした飛脚問屋を利用するのが普通なのだが、残念ながら火元国でも上から数えた方が早い危険地域である猪山藩には、常設された飛脚の路線は無いので、『仕立飛脚』と呼ばれる糞高い特別便を利用する事に成る。
聞いた話では、江戸から京の都まで四日で走る仕立飛脚の値が四両程だが、猪山へのソレは更に馬鹿高く、山越えが出来る人材を確保する分も込みで十両が相場だと言う。
そんな物を個人の小遣いで小忠実に送る事など、不可能とまでは言わないが俺の懐に与える損害は途轍も無く大きな物に成るだろう。
だがソレを覆す手段が我が家には有る……仁一郎兄上の鳩便だ。
普通の伝書鳩は鳩の帰巣本能を利用する物で、手紙を持たせた鳩を放ち巣がある場所へと手紙を届ける事しか出来ない。
けれども仁一郎兄上が育てた鳩達は半ば妖怪化しているらしく、一度鳩達に顔を覚えさせた者の所へならば、火元国中何処へでも鳩が探しだして届けてくれると言うとんでも無い物だ。
勿論、お連を兄上の鳩達に会わせる為に江戸へと連れて行く事は出来ないが、特定の人物を探して届けるのでは無く、此の鈴木道場へと場所指定での配達は不可能では無い。
そして一度此処に配達を依頼しソレを彼女が受け取れば良いのだ、兄上の鳩達は群体として意識共有が出来るらしく、一羽と『面通し』が出来れば、以後は直接送れる様に成るのだと言う。
ちなみに手紙一通送るのに取っている手数料は、他藩の者ならば一分猪山藩士ならば一朱と、飛脚に比べて圧倒的に安い。
しかも遅配や不着ましてや紛失なんて事は然う然う無い……と、手広くやれば火元国中の飛脚問屋を敵に回すだろう圧倒的な優位性を持っているのだ。
とは言え、ソレが出来るのは兄上が自分で鳩を育てる事が出来ている間だけなので、一代で終わる可能性の高い事業を広げる気は無いらしく、飽く迄も家臣達や友好藩に対してだけ行っている特別な取引と言う感じの物である。
お連と祝言を上げ国取りを成した後ならば兎も角、猪河家の四男七子である間は、藩士価格で手紙を届けてくれるだろう。
「兄上の鳩が来た時に手紙を預けてくれれば、お連からの手紙も俺に届く筈だから、君も俺に言いたい事とか聞きたい事が有れば、遠慮無く書いて寄越してくれ」
文通に依る遠距離恋愛というと、俺が子供の頃に聞いた『日本武道館での演奏会に券を送ったけど彼女は来なかった……』なんて内容の曲を思い出す。
けれどもアレは、来なかったのでは無く、来たけれども会えなかった……と言う様な内容の対と成る歌が有るのだと、前者の曲を歌っていた楽隊の愛好者だった友人が言っていた記憶が有る。
歌舞音曲に余り興味が無かった前世の俺だが、彼の家を訪ねれば必ずと言って良い程に掛けられていて、繰り返し聞いていれば流石に覚えてしまった。
大学時代や警察官に成ってからも付き合いでカラオケに行くことも有ったし、そう言う時にはその楽隊の曲を持ち歌として歌って居た物だ。
まぁ……音程取りが上手く無い事を誤魔化す為に絶叫を多用する歌い方をしていたので、譚詩系だった件の曲は残念ながら持ち歌にはしていなかったが。
「はい連も一生懸命手習いを頑張って御前様に恥ずかしく無い文を書ける様に致します。本当に会えて嬉しかったです……最初に会えるのは祝言の時に成ると思っていましたから」
恋愛結婚至上主義とでも言うべき『俺』が生きていた時代には先ず有り得なかった話だが、向こうの世界でも江戸時代以前ならば、結婚式が初対面なんてのは希少な例と言う程でも無い。
……中には現実で顔を会わせた事も無い男女が、電網遊戯で知り合い、電子会話を通じて心を通わせ、結婚式が殆ど初対面に近い、なんて夫婦も居たなんて事も聞いた事が有るが、ソレこそ希少例だろう。
それでもそうした希少例は、要はあの曲で歌われていた文通相手との恋……と同質の物なのだと思う。
ならば俺達だって手紙を積み重ねる事で心を重ねて行く事だって出来る筈だ。
「俺は生来無精な方で、誰かに向けて定期的に手紙を書くなんて事をした事が無い。けれども人伝に聞いた話だけでは、本当の俺を知って貰えるとは思えないんだ。隠し事が全て悪いとは言わないが、伝えられる事は全部手紙に書くよ。ソレで俺を知って欲しい」
家長の権力が強いこの火元国で、本当の意味で対等な夫婦なんて物は、夢物語なのかも知れない。
それでも……少なくとも父上と母上は、お互いを尊重しお互いを立て、お互いを理解し合って支え合っている、俺の目にはそんな風に見える。
御祖父様からすれば『気の強すぎる生意気な嫁』と言う事に成るのかも知れないが、割と理想的な夫婦の形の一つなのでは無いかと思うのだ。
無論、ソレを今の彼女に押し付ける積りは無い、俺達は俺達為りの関係を作って行けば良いのだから。
その為の手段として、先ずは文通をするんだ。
「連も未だ文を認めた事は有りません……けれども母様と父様も、幾通も文を交わしてお互いを知り合って行ったんだって聞いた事が有ります。連の事も御前様に知って欲しいので頑張って書きますね」
人は誰から習うでも無く、自分を守る為に嘘を吐く事を知ると言うが、俺の目には彼女の表情と言葉に嘘は無い……そうはっきりと見て取れた。
彼女は本当に俺を知り、自分を知って欲しい、そう思っているのだろう。
ただソレは、母親や家の御祖父様の言いなりに俺の許嫁と言う立場を押し付けられた子供が、少しでも良い未来を得たい……と本能で察して言っているのだろうか?
幼い子供と言うのは、大人が思っている以上に大人の姿を観察しており、ソレに望まれる良い子で有ろうとする者だ、例えソレが自分を虐待する親で有っても……と生活安全課に配属された警察学校の同期から聞いた事が有る。
彼女の生い立ちを考えれば、俺の許嫁として富田藩骨川家を簒奪する為だけに育てられて居たとしても不思議は無い。
結果として俺と結ばれる事は変えられないとしても、少しでも自由に物を考え、自由に行動し、彼女自身の判断で生きて欲しいと、一度は大人に成った事の有る者として心から願っている。
「何か解らない事が有ったら、猪牙道場に居る熊爪姉妹……お晴ちゃんやお雨ちゃん、それから猪牙の太郎彦と次郎彦に相談したりするのも良いと思う。大人の意見だけじゃぁ無く子供同士で話合う事も大事な事だからね……今から挨拶に行こうか」
俺との手紙は飽く迄も相互理解の為の物、彼女の心を育てるには、俺とだけ交流していれば良いと言う訳では無い。
そう考え、俺は歳の近い再従兄弟姉妹達を紹介する為に、お連を四煌戌の鞍上へと誘うのだった。




