六十二 志七郎、友好を思い不穏を知る事
「はんっ! 勘違いするでない。あたくし達は餌にも成らぬくたばり損ない共に、山を穢されたく無かっただけの事、人間如きを助けに来たで無いわ」
兄上のお礼の言葉に白尾君は、ブンっと音が出るほどの勢いでそっぽを向きながらそう言葉を返した。
「おみゃー、さっき思いっきり助力するって言ってたニャ」
それに対して斑目が誂うような口調でそう被せ、
「俺達狸狢連は推参しただけだが、猫っころに犬っころは人間に助太刀しに来たんだろ」
源太郎たぬ吉がそう続けた。
推参とは獅子舞や人形師等の芸人が招かれもしないのに家を訪れ芸を押し売りする事で、それを転じて武芸者や浪人者が戦場へと押し掛けて勝手気ままに参戦する事にも使われているらしい。
たぬ吉はそれを口にして人間に味方する為に来たのではないと殊更強調した、無論白尾君への当て擦りだろう。
「ええい! 煩いわ三味線の皮に鍋の具如きが! 丸のまま食ろうてやろうか!」
怒りのあまりかプルプルと身体を震わせながらその大きく凶悪な口を開け猛々しくそう吠える白尾君。
「……どちら様もその辺に。屍繰りは理を乱す生ける者全ての敵。それを討つは人妖隔たりなき事なれど、貴殿らの助けが無ければ多くの被害が出ていたのは疑いなき事実。故に改めて御礼申し上げます」
すわ一触即発の状況かと思いきや、仁一郎兄上がそんな長台詞で割って入った。
普段寡黙すぎる兄上で、こんな長台詞を口にしているのを見たのは始めての事かもしれない。
だがその分、兄上の言葉には真摯な思いが篭っている様に感じられ、それは普段の兄上を知らない筈の御三方にも伝わった様で毒気を抜かれた様子である。
「ニャー達猫又は、猫王様に命じられて来ただけなのニャ。それに万が一江戸が落ちる様ニャ事にニャったら、煮干しも鰹節も手に入らニャくニャるのにゃ」
仕切り直しと言う事か、仁一郎兄上の改めた謝辞に斑目は目を細め笑顔でそう返した、猫の表情はよく分からないが多分笑顔だと思う。
「俺達は狸狢連はあくまでも推参しただけだ、礼を言われる筋合いはねぇ。それでも礼がしたいってのなら、酒の一つでも差し入れてくれや」
たぬ吉はこれまた表情は解りづらいが、その口調から察するに恐らく仏頂面でそう口にする。
「あ、あたくし達も礼が欲しくて来た訳じゃないわ! に、人間なんてどうなろうと知ったこっちゃないけど、あたくし達の縄張りで腐臭をプンプンさせられるのも迷惑な話だったからよ!」
山犬ってのは人間に対してかなり敵対的な種類の妖怪だと聞いていたのだが、少なくともこの白尾君はただツンデレ気味なおばさんとしか思えない。
そんな彼女の様子は周りから見ても随分と滑稽に見えたらしく、誰ともなく笑い声が聞こえてくる。
それに対し憤慨するのかと思えば、自身でも無理の有る物言いだったと思っているらしく、小さいながら彼女自身からも笑みが漏れていた
と言うか、例え相手が妖怪と呼ばれる化け物の類だとしても意思疎通が出来、今回は共通の敵が居たからとはいえ、こうして共闘し笑い合えるのだ、彼女たちと人間が殺しあう様な事はあって欲しくない。
少なくとも俺は何の憂いも無く戦うこと等、きっと出来はしない。
「おうボウズ、なんだ湿気た面しやがって。せっかく無事に帰れるってのに、ちったぁ嬉しそうにしやがれってんだ」
と、不意にそんな言葉とともにヒョイッと音がするほど軽々と俺の身体が持ち上げられた。
その声の主は一郎翁であった、俺をそのまま肩車の要領で自身の身体に座らせる。
「さっきキレてたのも、今思い悩んでんのも、あれの事だろう?」
そう言って顎で指し示された先には、既に動かなく成った屍が山のように積み上げられ、その傍らには首の無い鎧を纏ったそれが横たわっていた。
「テメェが命を掛けて殺し合った相手だ、弄ばれりゃそら面白くねぇわな」
見下ろしてもその表情を見やる事は出来ないが、彼も長いその戦歴の中で同様の経験が有ったのだろうか、その物言いには余りにも実感が篭もり過ぎて居るように思える。
「緑鬼王の事、死者を弄ぶ様なやり方に腹を立てたのは事実ですが、今思っていたのはその事では有りません」
「大方御三方と兄貴のやり取りを見て、殺し合ったのが間違いだったとでも思ったんだろ」
図星である、緑鬼王とだって戦い殺し合う以外の道が有ったのでは無いだろうか、笑い合う一匹と二頭と一人その姿を見て俺はそんな事を考えていた。
「まぁ、誰でも皆一度は考えるこった。鬼斬り者と鬼や妖怪、それら個人としての友好ってなぁまま有るこった。それが男と女で有れば種を超えて夫婦になるなんてのも古今珍しい話じゃねぇ。俺だって何匹かは知り合いも居らぁ」
数多の鬼や妖怪を屠って来た彼の口からそんな明るい展望に満ちた言葉が出る事にちょっと面を食らった。
「だがなぁ。それが種と種てな事になりゃどうしても上手く行くもんじゃねぇのよ。混ざり者の俺が言うのも何だが、人間てなぁ鬼や妖怪に比べて弱すぎんだ。鬼や妖怪ってのは弱い者を認めるこたぁ絶対ねぇ」
彼の言う混ざり者と言うのは、森人の血とやらの事だろう、だがそれを言うならば猪河家の先祖には鬼や妖怪が居ると言う話も聞いた覚えが有るので今更の気もする。
そういう視点で言うのであれば、猪山藩の家臣達も皆が強者に分類され、決して弱い者では無い。
だが街で見た一般の町人や、腐れ街とやらへ出かけた時に絡んできたチンピラ達はどうだろう、彼らは氣を使うことも出来ず前世の世界の人間とさほど差が無いように思えた。
となれば、彼らをもって強いと言う事が出来るだろうか……。
武士は武力を以てその身を立てる者達だから、弱い者と言う事は有っては行けないだろうが、そうでない者達に強く有事を強要するのは些か乱暴が過ぎると思う。
そして緑鬼王と俺の戦いも、義二郎兄上という強者があの場にいたからこそ、弱者である小鬼達を護る為、傷ついた子供達を護る為、お互い引く事が出来なかったからの物だったはずだ。
「人間同士だって一緒だ。見栄、面子なんて下だらねぇ物から、家族や仲間なんて本気で護んにゃならん物まで、殺し合う理由うなんて幾らでもある。それが武士ってもんだからな」
鬼や妖怪だけでなく、果たし合い闇討ちに関しても無数の場数を踏んだ彼のその言葉は重く、自分の考え方や生き方が余りにも甘く幼い物の様に思えてしまう。
「まぁテメェはまだガキなんだ。そう顰めっ面してんじゃねぇ、ガキはガキらしくアホみたいに笑ってりゃ良いんだよ」
中身はそれ相応の大人である、と思いたいのだが言われた通りこの世界に生きる俺は未だガキなのかも知れない。
「な、なんだこりゃぁ!?」
一郎翁に担がれたまま思い悩んで居ると、そんな叫び声が聞こえ意識が現実に引き戻された。
見れば叫びを上げたのは、たぬ吉だった。
彼は紐の絡んだ人形と棒――恐らくは操り人形のそれ――を手にあまりにも大袈裟な様で驚き叫びをあげていた。
「やいやいやい! 毛無猿! こらぁどういうこった!? 屍繰りたぁ歳経た蜘蛛が変化した者てのが相場だろうが! 百歩譲っても器物百年の類って事もあろうさ。なんでぇ、このまっさら新品その物ってのはぁよぉ!」
歳経た蜘蛛と言うのはなんとなく理解出来る、要はこの場にいる猫又、山犬、化け狸、化け狢、それらの同類と言う事だろう。
だが器物百年と言うのはよく分からない。
「器物百年ってなぁ付喪神とも言うがな、よく使い込まれた古い道具に魂が宿り変化に成る事だ。元が器物ってだけで歳経た妖って意味では連中と一緒だ」
ああ付喪神、九十九神とも書くそれならば前世でも聞いた事がある、と言うかかなりメジャー所の妖怪だ。
だがそれが解っても今ひとつたぬ吉の怒声の意味が解らない、物が化ける事が有るならそれは別にこの世界では普通の事ではないだろうか。
そう思い、ふと気がつく百年経った物がまっさらな新品なんて事があるだろうか?
それが指し示す何かは未だ理解の及ぶ所ではないが、それが重要な意味を持つ事は薄っすらとだが感じ取れる、そんな気がした。




