六十一 志七郎、化の助けを受ける事
三方からやって来た応援は人ですら無く、妖に分類される者達だった。
根子ヶ岳と言うのは才能高かったり歳を経た猫が猫又に成るため修行を行う場所であり、そこを治める猫王と言うのは火元国にいる全ての猫達の王なのだという。
野生に置いて単独での生活を送る事が多い猫は、自力で猫又と成れるほど長生き出来る者は少なく、猫又に成るのは大半が人間に飼われている猫なのだそうだ。
それ故、概ねの猫又は人間に対して友好的であり、猫又に襲われた等という話はその殆どが飼い主の仇討ちだったり、猫に乱暴を働いた報いだったりと、自業自得的に語られる事が多いらしい。
人間と猫又が夫婦となるケースも古今幾例も有る様で、こと江戸に置いては猫又は人間と同等の存在として扱われているという話だ。
応援に来た『征鼠小将』と言うのも、猫又達の間でだけ通用する肩書と言うわけで無く、京の帝より賜った正式な官位なのだという。
そんな猫又達が応援に来たことについては、さほど驚くべき事という訳では無い様で、うちの藩士達は元より、この場に居る町人階級の鬼斬り者達もが当然の事と受け止めていた。
だが問題は山犬達と狸、狢達である。
彼らも猫又と同じく歳経た獣が妖術、妖力を身につけた変化と呼ばれる類の妖怪なのだが、彼らは人間側に立つ存在と言う訳ではない。
狸と狢は決して人間に敵対的な存在ではなく、彼らのテリトリーに人間が入る様な事が有っても、大半は化かされ面白おかしく笑い者にされるだけで、大した被害が出ると言う事は殆ど無い。
むしろ人間の側が未だ化ける事の出来ない彼らを狩り、その肉を口にしていると言う状態で、彼らからすれば人間の方がよほど危険な存在という事になるだろう。
しかし化け狸達は猫又とは違い、自力で変化と成る事を推奨しているらしく、人間や他の生き物に食われ死ぬこと自然の営みの内と、よほど獲り過ぎ無ければそれを咎めるつもりは無いのだそうだ。
いわば彼らは人間に対し中立な立場であり、こうして応援に来ると言うのは異例以外の何物でも無い事らしい。
狸狢連合を率いる源太郎たぬ吉は若手の化け狸としては、そこそこ名の知られた者であり錦絵にも描かれて居るそうだ。
また山犬に至っては完全に人間に対して敵対的な存在で、己のテリトリーから出て来る事こそ少ないものの、そこに踏み込んだならばまず間違いなくその腹に収まる事になるという。
基本的に群れで行動する彼らは、自らの群れ以外の生き物達は全て自らの餌である、と公言しているというのだから洒落に成らない。
中には人間に育てられ化けるに至る者が居ない訳ではないらしいが、そういう者は狗神と呼ばれ山犬とは別の妖怪として区別されるのだそうだ。
彼らを率いるのは御影山の白尾君、彼女ーーそう雌なのだーーは血気盛んな山犬達の中にあり多くの雄を力で捻じ伏せ総大将に収まった女傑である。
彼女が率いるまで御影山の山犬は、己のテリトリーである山とその一帯の森だけでなく、近隣の人里に下りては家畜や時には人間すらも食い殺すなど繰り返していた。
その余りに甚大な被害記録からあと数ヶ月遅ければ一郎翁の討伐行に、かの山の平定も含まれていたのでは無いか言われているらしい。
無論、彼女を討つべしと言う主張も無い訳ではない。しかし統率者を失う事で以前の状態に戻ればやはり被害は大きくなるだろうし、それを避けるには山犬を根絶やしにしなければ成らないと考えれば、その労力も被害も馬鹿にできないだろう。
となれば、理性的で話し合いに応じる姿勢を持つ彼女が頭を張っているのが、人間にとっても山犬にとっても最良なのだそうだ。
ちなみにこれらの事は、全て彼らの戦いぶりを眺めながら一郎翁自身が語ってくれた事である。
彼らが参戦すると膠着気味だった戦況はあっさりと我らの側に傾いた。
人間ではごく一部の特別な才能を持つ者にしかなれない術者だが、彼らは全てが多かれ少なかれ妖術を使えるのである、生き屍に対して術が有用なのは陰陽術も妖術も変わらない様で、俺達が苦労していた相手を当に鎧袖一触の勢いで駆逐されていく。
妖術と言っても信三郎兄上の様に派手な物ではない。
猫又達は皆が皆二股の槍を手に騎乗突撃を繰り返しているだけなのだが、その槍こそが彼らの妖力の源である二股の尾を変化させた物で、神器霊刀と同様に生き屍を貫き叩き伏せている。
狸や狢達の振るう刀も猫又達同様、その力の源である己自身を変化させた物だそうで、斬り捨て御免とばかりに次々と斬り伏せていく。
武器が武器である当然狸狢連合にはオスしか参戦していないのだろう。
……それはさておき、それら両陣営以上に圧倒的な強さを見せているのは山犬達だ。
彼らは他の陣営と違い人に準じた姿を取ることもせず、強靭な足で四つ足で生き屍を踏み潰し強靭な顎と牙で噛み砕き、時折吐き出す吐息は火炎に変わり焼き払う。
だがその焔は生き屍をいや屍を覆う陰だけを焼き、草木や人そして倒れ伏す死体すらも燃やす事は無い。
「ありゃ熱の無い炎、金行の火だ。白尾は兎も角取り巻きもあんな真似が出来んじゃ、俺一人であの山を平らげんのは無理だろうな。いやはや命拾いしたぜ」
彼の英雄をしてそう言わしめる程に山犬達の強さは群を抜いており、多少なりとも少なく見積もってもその戦果は他の二陣営を足して尚届かない程である。
俺達人間が改めて参戦するまでもなく、見る間に生き屍は数を減らしていった。
「まったくこの程度の相手にこの為体、駄狐の権能が無ければ所詮人間なぞこんなものかえ」
と、唐突に頭の上から少しハスキーだが女性らしい声が聞こえてきた。
慌てて振り返り見上げると、そこには山犬の女王白尾君が一郎翁を見下ろし対峙していた。
「黒狼王を屠った英傑がこの地に来たと文を受け、態々あたくし自ら罷り越したと言うのに、ほんにがっかりだわいな」
はぁ……っとため息を付くその姿には、絵にも恐ろしき山犬の女王と言うより、憧れていた芸能人にリアルで会ったらオーラの無さに幻滅するおばさんのそれが近いように思えた。
「そこな童子何やら失礼な事を考えておろう。お前の所の猫婆婆に比べればあたくしなんぞ未だ小娘の部類。婆扱いなんぞしおったら食い殺すぞえ」
と、彼女は最早一郎翁なぞどうでも良いと言わんばかりに、その矛先を此方へと向ける、言葉の内容こそ物騒な物では有るが、物言いは軽く誂う気でそう口にしている事が丸分かりだ。
「未だ全部倒した訳では無いのに、宜しいのですか? こんな所で油を売ったりして」
「あらまぁ肝の据わった童子だこと。流石は天下に聞こえし鬼斬童子、長ずればあたくしの首を取る事も出来ようかね」
怯える素振りすら無く切り返した俺に、彼女は口元を片手(片前足?)で押さえる様にして笑い声を上げた。
「山犬の……あまり童子を誂うモンじゃねーニャ。おミヤの婆様より年上ニャんぞ神仙の類位だニャ。人間の基準で言えばおミャーも十分婆ぁニャ」
それに答えたのは俺でも一郎翁でも無く、大きな猫に跨がった猫又の長斑目であった。
見れば狸狢連合の長である源太郎たぬ吉もが、此方へとやって来ていた。
どうやら生き屍は概ね駆逐されたらしく、残りはそれぞれの部下に任せて……と言う事らしい。
「……此度の救援、忝なく厚く御礼申し上げる」
それぞれの陣営のトップがこうして面を合わせているのだ、当然俺達人間のトップである父上も此方へと来るのかと思えば、やって来たのは仁一郎兄上だった。




