六百二十 志七郎、修練を終え予想外に慌てふためく事
あの戦いからまた一月程が過ぎ、俺はやっと爆氣功状態でもある程度思い描いた通りに身体を操る事が出来る様に成っていた。
その間の修業はと言えば、ただ只管に爆氣功状態で大叔父貴に凹られ、備市様に凹られ、偶にふらりと現れては不意打ちを仕掛けて来る御祖父様に凹られ、美々殿や屋良兄妹にも凹られる……と散々な物だった。
日々少しずつ少しずつ、爆氣功状態での身体操作や氣の配分方法等にも慣れていき、やっと此処最近では若手の三人相手ならばマトモにやり合える様に成ってきた……と言った所である。
「ふむ……未だ未だにしてはまぁまぁに成って来たな。そろそろこの辺で此処での修業を切り上げても良い頃合いだの」
ソレを確かめる為に、と言う名目で今日は海岸で御祖父様との手合わせをして居たのだが、どうやらお眼鏡に適ったらしい。
とは言え、爆氣功を使う関係上防具は身に付けて居ないが、此方は刀に銃に魔法と氣功と全力全開だったのに対して、相手は氣を纏わせた木刀一本だけしか使っていないのだから、概ね飛車角落ちで互角未満だったと言う所だが……。
にしても……四錬業を全て極めれば斬鉄を込めた刀すらも素肌で弾く様に成るんだから、とんでもない話だよなぁ。
躱される前提で放った斬撃を、御祖父様が小手も付けていない腕で、甲高い金属音を響かせて受け止めた時には、流石に唖然としてしまい、ガッツリ隙を晒して脇腹に良いのを一発貰ってしまった。
爆氣功状態ならば普段やっていない『剛体化』と呼ばれる防御力を高める氣の運用に回すだけの余力も有るし、多分同じ事が出来なくは無いんだろうけれども……打たれずに打つ立ち回りが身に付いている俺はやろうとは思わない。
まぁ敵の攻撃を防具で捌く事はしているので、その延長線上の技術と言われたならば、その通りだろうし過信しない程度には練習し、いざと言う時の備えとして覚えて置いた方が良い技術かもしれないとも思うが……。
その辺も含めて、此処で学ぶべき事は一通り身に付いたと御祖父様は判断したのだろう。
多分、御祖父様の様に銃弾も弾き、氣の篭もった斬撃すらも受け止める……と言う所までやるのであれば、裸身氣昂法だけではなく他の錬三業も身に着け無ければならないのでは無かろうか?
「くるっくー」
「ぽっぽー」
とそんな時である、二羽の鳩が上空で声を上げて旋回し、俺と御祖父様の元ににそれぞれ一羽ずつ飛んで来た。
見覚えの有るその鳩は、間違いなく仁一郎兄上の伝書鳩だ。
普通の伝書鳩と言うのは、何処に連れて行っても自分の巣に戻ろうとする、と言う所謂『帰巣本能』を利用した物だが、獣神の加護を受けた仁一郎兄上の育てた鳩は、どう言う訳か何処に居るかも解らぬ相手を探し出し手紙を届ける能力を持っている。
仁一郎兄上の収入の多くは馬比べと呼ばれる競馬での騎手としての賞金の筈だが、その大半は馬の育成で消えて居り、本当の意味で自由に成る小遣いは、火元国中を鳩達が飛び回る『鳩便』と犬の調教依頼で稼いでいる……らしい。
兎角、そんな鳩便が態々飛んで来たと言う事は、何か早急に知らせないと行けない事が江戸で有ったと言う事だろう。
御祖父様も同様の判断をしたようで、その顔を見上げるとただ黙って一つ首肯を返し、自身の腕に止まった鳩の足に付いた筒から手紙を取り出した。
俺も同じ様に手紙を取り出すと、ソレを広げて目を通す。
『優駿制覇! 結納の品を集める手が足りない、早急に戻られたし』
要約すれば、そうとしか読めない端的な文言の書かれた紙片……。
うん、清一殿の結納でもりーちやぴんふがソレを集める手伝いをして居たな。
結納品の多少や質は藩の威信が掛かっていると言っても過言では無い。
最低でも婚家の家格に見合うだけの物を用意しなければ『舐められた』と判断し、破談なんて事にも為りかねないし、其処まで行かずともその後の親戚付き合いに支障を来す可能性も有る。
結納品や結納返しは、多少やり過ぎ位に用意するのが、見栄と面子で生きている武家のやり方なのだ。
「志七郎、お前の方には何が書いて有った?」
自分への手紙を一読した御祖父様は、不機嫌そうな顔で俺を見下ろしてそう問いかけてきた。
「見られて困る内容じゃぁ無いですし……」
そう返して、手紙をそのまま差し出せば……
「成程の……仁一郎の奴が勝つのは、早くとももう三、四年先の話だと思っとったんだが、運が味方したか、それとも岳の坊主が腑抜けたか……何方にせよ予定が狂ったのぅ」
と、そんな言葉が帰って来た。
どうやら仁一郎兄上が今年優駿を勝つのは、御祖父様にとって想定外の出来事だったらしい。
そーいや、御祖父様方夫婦は賭け事はあまり強く無い、なんて話を何処かで聞いた覚えが有る、将棋や囲碁の様な純粋な知略遊戯ならば無類の強さを誇るが、花札や麻雀の様に運の要素が入ると途端にその勝率はガタ落ちに成るんだとか。
多分、下手に知恵が回り過ぎる所為で、運と言う要素が入って自分の戦略と実際の手札に差異が出てくる事が負担に成る性質なんだろう。
競馬なんてもろにそうした『やってみなけりゃ解らない』類の競技だし、だからこそ古くから賭博として洋の東西問わずに行われて来た訳だしな。
「此処での修業の他にも、何処か寄り道する予定だったんですか?」
予定が狂ったと言う言葉に疑問を覚え、そう問い返す。
「ちくと国許に寄ってお前さんの許嫁と顔合わせをさせておこうと思ったんだがな」
吹いた。
え!? 許嫁!? なにそれ聞いてない!? 前世から通算して四十年を超える真性童貞の俺に許嫁!? え、ちょ、まっ!? え!? なんかのドッキリ!?
「アレもそろそろ話して聞かせて物事が解る様に成る歳頃の筈だかんな、お前が将来の旦那だって教えて置いた方がこれから先の嫁入り修業にも身が入るかと思ってな」
言って聞かせて解るとか、嫁入り修業とか、え? その娘幾つよ!?
つか何でそんな大事な話が俺に一言も無いままに決まってんの!?
いや武士の結婚なんてお家の都合が第一で、本人の気持ちなんて二の次……なんてのは理解していたが、流石にソレが俺自身の身にこうも早く降り掛かって来たのは予想外が過ぎる!!
……だが信三郎兄上も二年前に安倍の伯父上と一緒に宇佐美姫が江戸に上がって来るまで、会った事も無い相手が許嫁だったんだ。
下手すりゃ結納やら祝言やらのその日に、初めて会った男女が夫婦に成るなんて事も珍しい話じゃ無いんだし、俺にそう言う話が有っても何ら不思議は無いのか……。
と、頭で理解は出来るが、感情では納得が出来ない。
自由恋愛至上主義者だった訳では無いが、それでも恋愛に関してやはり前世の日本の価値観を引きずり過ぎているんだろう。
「今の内に会わせて言い聞かせて置きゃ、自分の好みの娘に育てる事も出来るんし、悪い話じゃぁ無ぇたぁ思ったんだがなぁ。なんせお前ぇは形は子供だが、中身は三十路過ぎたおっさんだ、女の好みの一つや二つ有るだろうしな」
……つまり何か? 御祖父様は俺に現実で光源氏計画をせよと、そう言いたい訳か? と言うか、育てる……って事は俺にとって恋愛対象外の幼女が相手って事だよな? そんな本吉じゃぁ有るまいし、勘弁してくれよ。
「でも……まぁ、こうなっちまったら仕方無ぇ……いや、待てよ? うん、そうだな、そっちの手が有るか」
俺の反応を待つでも無く、御祖父様はその異名に相応しい悪党の表情で、そんな事を呟いた。
「よし、手紙の返事は儂が書いて置く。お前は明日にでも出立出来る様に、荷物纏めて挨拶回りも今日の内に済ませておけや」
一体どんな悪巧みをしているのか、想像も付かぬままにそんな事を命じられ、俺は反抗する理由も無くただ素直に頷くのだった。




