六百十八 志七郎、九死に一生を得て下の心配をする事
「火ーっ火っ火っ! ワテハ個ニシテ群、群ニシテ個……核足ル者サエ残レバ多少時間ハ掛カッテモ再ビ増エレバ済ムダケノ話ヤ。トハ言エアンナ雌ト子供ニ、千ヲ超エル数ヲ潰サレ、残ッタ二百モ弾ケサセル羽目ニ成ルタァ思ワヘンカッタケドナァ」
濛々と立ち込める熱気と湯気の向こうから、安堵と苦痛が入り混じった……そんな声が聞こえてくる。
その言を信じるならば、たった今俺達に襲いかかってきた爆炎は、側に居るだけでも熱中症に陥り、直接その髪に触れれば焼死する事すらありえる燃髪将が、二百体その生命と引き換えに繰り出した自爆技だったのだろう。
そして唯一残った核の一体が、自身の勝利を確信して高笑いをしている……と言う訳だ。
うん、此方も旗立てたけど、向こうも旗立てるなぁ。
「つまり、後はお前さんを仕留めれば此処はもう終わり……って事ですね」
と、呑気にそんな事を考えて居れられるのは、当然ながら俺達があの爆炎で命を落とす様な事にならなかったからである。
「ナ!? 何デヤネン! アレホドノ熱量デ何デ生キテンノヤ!?」
どうやって防いだかと言えば……俺がやったのは頭上に突き出して居た腕を真下に引き下げた、ただソレだけだ。
追撃の為唱えた水槌の魔法、その為に貯めた水は俺の腕に連動して動くのだから、真下に引き下ろせば、当然水の槌は俺達を襲う事に成るのだが……槌としての打撃力を生むには勢いを付ける距離が短過ぎる事が幸いし大した衝撃も無く水球に包まれた訳である。
幸い二百体分の生命力を込めた自爆と言えども二百六十五貫もの水全てを吹き飛ばしたり、蒸発させたりする事は出来ず、水は遮蔽物として十分な効果を発揮してくれたのだ。
但し俺達に被害が全く無かった訳では無い、幾ら叩き付けた訳では無いとは言え、莫大な量の水を浴びたのだ、滝に打たれる程度の衝撃は有った。
とは言えソレは俺達が体勢を崩したり、行動が阻害されるホド大きな物では無かった……が被害が全く無かったと言う訳でも無い。
割とがっちり締めていた俺の褌は無事だったが、僅かな面積しか覆って居なかった美々殿の下着? 水着? 兎角、小さな三つの三角形は多量の水と共に何処かへと流れていってしまったのだ。
幸い俺の位置は彼女の後ろ側で、見えては行けない場所は、覗き込もうとしなければ見えないし、そんな事に気を取られるよりは敵の姿をきっちり視界に捉える様に意識する。
「私だけなら死んでたでしょうね、でもこの子のお陰で私は生きて……お前は死ぬ! 裸身氣昂法が最終奥義! 全裸万象!」
にも拘らず……彼女は慌ててその身を隠す様な素振りも無く、そんな台詞と共に両腕を斜め上へと突き出し、全身から権太光線をぶっ放した。
「オノレ! オノレ! 此処マデ来ルノニ、一体ドレダケノ時間ヲ費ヤシタト思ッテンネン! 百年! 百年ヤデ!? それガコンナ一瞬デ! 嫌ヤ! 消エルンハ嫌ヤ! 死ニトウナイ! 死ニ……」
それが炎羅大王と名乗った大鬼の最後の言葉だった……奴は美々殿の放った氣の奔流の中で、丸で蝋燭の火に息を吹きかけたかの様に僅かな煙を残して吹き消され、その煙すらも辺りに漂う蒸気に紛れて見えなく成ったのだった。
「古の盟約に基づきて、我、猪河志七郎が命ずる! 我が朋友に宿りし火の精霊よ、列びに水の精霊よ! 混ざり混ざりて新たな力を成せ! 雲の力よ、我が魔力の及ぶ限り全ての天に陽の光すら通さぬ黒き雲を呼べ! 『黒雲!』
蹴りが付いたのを見定めた後、俺は後始末をする為に空を見上げて呪文を唱える。
確かに炎羅大王は倒したが、その身体から放たれた熱は俺達だけではなく、この盆地に腐る程有った小鬼や赤鬼なんかの雑魚達の住処にも効果を及ぼしており、至る所で火の手が上がっているのだ。
当然、放って置けば周囲の山々にも延焼しかねない為、消化しておく事に越した事は無い。
故に俺は以前お花さんが江戸の大火を消し止めたのと同じ魔法を――無論効果の規模は比べ物にならない程小さいが――使う事にした訳だ。
雲属性は火と水の複合属性である為、一度耐熱の魔法を切らねば黒雲は使えないが、其処は爆氣功を纏いソレで耐熱能力を高める事で無理矢理何とかする。
黒雲は天候操作と言う、神仙術に片足突っ込んだ大魔法だけ有ってその難易度は決して低い物では無い、それでも紅牙と御鏡の協力が有ればこの狭い窪地の上空を覆う位の雲を集める事が出来た。
とは言っても此処での雲の魔法の成功は、割と条件が良かったからと言って良いだろう。
水の魔法も雲の魔法も、完全に無から水や雲を生み出す事が出来ない訳では無いが、ソレをやろうと思えば極めて効率が悪く成る為、普通は周辺の水蒸気を集めて結果を出すのだ。
そして今此処は、俺が叩き込んだ水槌の魔法で集められた大量の水と、ソレを炎羅大王に叩き込んだ際に出た大量の水蒸気が立ち込めている状況である。
未熟な俺でもある程度大きな雲を生む事が出来る下地が揃って居たからこそ、見える範囲全てが黒雲に覆われると言う結果と相成った。
「古の盟約に基づきて、我、猪河志七郎が命ずる! 我が朋友に宿りし水の精霊よ! 清浄なる蒼き力よ! 天より下りて人と大地に恵みを与えよ! 『雨乞い』!」
次に使ったのは、お花さんがあの時用いた『豪雨』より二段階下の魔法だ。
黒雲は一度使えば、自力で維持しなくても暫く効果が残る性質の魔法だが、豪雨やその一段下の『降雨』は発動後、効果を維持するのに意識を集中しなければ為らない魔法なのである。
しかし雨乞いは振り始めるまではある程度、意識を集中していなければ為らないが、一度振り始めれば後は、自然現象がそうで有るように勝手に降って勝手に止む様に成る魔法なのだ。
視線を下へと動かす事無く、空を見上げたまま意識を魔法に集中する。
「あれ~? ブラとパンツは何処かいな~?」
決して視線を下に下げては行けない、決して然程遠く無い所から聞こえる美々殿の呑気な台詞に気を取られては行けない。
やむを得なかったとは言え、二百六十五貫もの水に飲み込まれたのだ、彼女の身に着けていたマイクロビキニも、脱ぎ捨て近くに落ちていた着物も、水に流され何処かへと行ってしまったのを、彼女は全裸のままで探しに行っているのだ。
まぁ普段から全裸で、両手に持った鉄扇で大事な部分はきっちり隠して行動する事に慣れて居る彼女だから、そうそうポロリが有るとは思わないが……それでも長い掃討戦から続けての激戦だったのだ、気が抜けてしまう事も有るかもしれない。
もしかしたら見えるかもしれない、そう思えば視線が下がりそうに成るが……幼いが故にそんな事を考えて居てもピクリとも反応しない分身の事が切なく成る。
万が一、目の当たりにしてすら無反応だとすれば、多分俺は立ち直れない心への衝撃を受けるんじゃぁ無いだろうか?
いや、未だ身体がそう言う事を求める程に成長してないからこそ反応しないだけだ! 決して前世から通算しての精神年齢故に、心から枯れていると言う事では無い……筈だ。
と、そんな余所事ばかり考えて居ては、何時まで経っても魔法は成功しない……集中しなければ。
そう思い、軽く頭を振って今一度空を覆う黒雲に意識を集中する。
ぽつり、ぽつりと天から落ちてきた雫が鼻に当たり、降り出したなと思ったら、然程の時を置かずに雨脚が強くなり……大火事に成る前に至る所で上がっていた火の手は無事鎮火した様だ。
「あー!? 折角見つけたブラがまた流されていくー!? まてー!!」
雨音に混じってそんな声が聞こえた気がするが、気にしちゃ行けない奴だ。
まだ視線を下げるのは早い……そう判断し、俺はため息を一つ吐いたのだった。




